第8話 事件(B2パート)そして事件は起こった

 その言葉にひらりちゃんは大声を上げる。

「後藤さん、コン先輩には手を出さないでください」


「なぜですか、ともちゃん。この男は初対面にもかかわらず、あなた様と親しげではないですか。これでは学園の秩序にかかわります」


「そ、それは、コン先輩も芸能関係で働いているかもしれないからです。今の現場で見た顔だなって思って。だからまったくの初対面ってわけじゃないんです」

「こいつが芸能関係者ですって。ということは役者なんですか」


「そ、それは」

 ひらりちゃんが口ごもってしまう。俺が仕事内容を明かしていないんだから、適当に言うわけにもいかないよな。


「芸能関係でも職種はさまざまだからな。俳優みたいな役者だけでなく、監督やプロデューサー、照明や音声、衣装や特殊メイクなんかもある。どれかは教えられないが、俺もいちおう映画の関係者だ」


「適当ふかしてんじゃねえぞ、てめえ。どこにでもいるような面構えじゃねえか」


 芸能関係者は全員イケメンというわけでもあるまいに。俳優を諦めたリタイア組のスタッフがいるのも確かだが、スタッフ全体からすれば微々たるものだ。

 多くのスタッフは映画学校やそれぞれの師匠の下で修行して這い上がってきている。

 それぞれがプライドの塊といえる。


 俺だって仕事を与えてもらえるまでには相当な訓練を積み重ねた。

 一度仕事を引き受けたら、手を抜くことなく役割を果たして信頼をかちえていく。

 だから今回の仕事も割り当てられたのだ。


 今回の仕事を果たせる人材が俺しかいなかったからでもあるが。

 だからケンカで怪我をするわけにはいかないし、誰かをボコボコになるまで叩き潰すわけにもいかない。

 代えがきかないからこそ、自分を律し続けなければならないのだ。


「守秘義務があるので、なにをやっているかは明かせない。だが、代わりになるやつはいないから、俺の身になにかあったら相応の賠償責任は負うことになるからな」

「そんな脅しで俺が引き下がるとでも思っているのか」


「まあ、焼きを入れてやろうって顔をしているのは確かだろうな」

「わかってんじゃねえか。だったらさっさと退散するんだな。ともちゃんは芸能界の宝であり、わが校の宝でもある。お前みたいな得体のしれない奴を近づけさせるわけにはいかないんだ」


 後藤とやらいう大男がこちらに踏み込んできたかと思ったら、俺の襟元を掴んで吊り上げにかかった。かなりのパワーがあるのか、片手で軽々と持ち上げられた。


 これにはさすがのひらりちゃんや秋川さんも色を失った。

「後藤さん、コン先輩はいいんです。先輩も芸能関係者だから、なにかあったら重罪になりかねません」

「後藤くん、乱暴は働かないで。転入早々に私的懲罰なんて暴力団体のすることよ。ひらりの言うように、彼が芸能関係であることは間違いないと思うから」


 後藤の腕力で高々と宙に吊られたまま階段まで移動された。

「たとえこいつが芸能関係でも、代えがきかないなんてあるはずがない。仮に監督でも助監督はいるし、プロデューサーでもアシスタントがいるでしょう。撮影はチーム作業なのだから、代えがきかないはずがないんだ。つまり、こいつの言い分はすべてデタラメなんですよ、ともちゃん、秋川さん」


「ちょっと待って、後藤くん。もし彼が俳優側だったとしたらどうなるの。もし怪我をして再起不能にでもなったら、代わりの役者を探してくるだけで撮影スケジュールがズレ込むし、完成が遅れたことの損失をあなたがかぶれると思っているの。数億円、数十億円の賠償額になるわよ」


「俺はこいつをテレビや映画で観たことがありません。つまり役者側じゃないんですよ。スタッフ側なら必ず代えがきくんです。だからこいつは大嘘つきもいいところだ」


 どうにもこの後藤は近視眼もいいところだ。

 自分で観たことがないから役者じゃない。そんなセリフが芸能界で通用することはない。

 現に俳優協会だけでも数千人は所属している。その全員を憶えていられるほど、こいつは頭がよいのだろうか。


「どちらがミーハーなんだか」

 後藤の反応に呆れること頻りだ。


 もしきちんとドラマや映画で出演者をすべてチェックしているのなら、俺の存在に気づかないのは節穴と言ってよい。

 やはりこいつは「芸能人」というものには弱いが、「芸能関係者」には興味がないのだろう。

 仮に著名な映画監督を挙げてもらったら、十人でも答えられるか怪しい。

 だからこそ、後藤こそがミーハーである、という結論に達するわけだが。


「俺がミーハーだとでも言うのか、貴様」

「少なくとも、俳優は知っていてもそれを支えるスタッフを知らなければミーハー呼ばわりされても文句は言えないだろう」


「なんだと。どうやら貴様には教育が必要なようだな。これに懲りてもう二度とともちゃんに近づいたり親しげにしたりするんじゃないぞ」

 言い終えるのを待つことなく、後藤は腕を振り下ろした。

 俺は下り階段めがけて思いっきり投げ捨てられることになった。


 ひらりちゃんと秋川さんの悲鳴が響き渡り、俺は階段に投げ落とされた。


 まさか転入早々に暴行を受けることになるとは思わなかったな。

 後藤は明らかに短慮だ。おそらくこの後に起こるだろう出来事への想像力が足りていない。自分をミーハーと呼ばれたくらいでキレる理由にはならない。


「お前たち、そこでなにをしている」


 男性の野太い大声が聞こえてきたが、到着するのがもう少し早ければこんな事態は避けられたわけだが。

 頭に血が上った生徒の愚行を止めるほどには、規律がしっかりしていなかったのだろう。


 このままだと受け身もとれずに頭から階段に落下することになるな。

 投げられたときの受け身は投げられる際にきっかけを与えられなければ、なにかにぶつかるまでとれるものではない。

 つまり階段に頭部を叩きつけられたのちでなければ、それ以上の怪我を防ぐすべがないのだ。

 頭部がダイレクトに叩きつけられれば、そこで意識が刈り取られる可能性もある。

 その場合は怪我をし放題だから、回復までに相当な時間がかかる。たんこぶができるくらいで済めば御の字だが。



 俺は頭から階段に叩きつけられると受け身もとれず派手に転げ落ちた。

 踊り場で止まったとき、身じろぎひとつできなかった。指先すら動かせなかったのだ。頭から流れ出る血を止めることすらできない。

 野太い男性の声が近寄ってくるのを感じながら、意識が遠のいていく。


 遠くで秋川さんとひらりちゃんが名前を呼んでいるような気がした。





(第3章A1パートへ続きます)

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