第6話 事件(A2パート)蛭沢ひらり

 意識して憶えようとしているゆういちとは異なり、美少女はおそらく記憶力がよいのだろう。すれ違った一瞬で顔を憶えるなんて、警察の見当たり捜査並みの能力である。それだけでも優秀な人物なのだと見当がつく。


「どこにでもいるような顔立ちじゃない。知人の誰かと似ていたって不思議じゃないわ」


 ずいぶんとしんらつなことを言われているのはわかる。

 表に出るような顔じゃないことは自認しているが。


「それはそうなんですけど。もし仕事関係の方だったら失礼があってはいけないし」

「あなたの仕事関係にこんな中途半端な当たり障りのない顔の人がいると思って。監督やプロデューサーの歳じゃないんだから。撮影スタッフの端っこかもしれないけど。そんな端っこのご機嫌までとる必要はないわよ」


 監督やプロデューサーに撮影スタッフだって。まるでドラマに出演する俳優のような言い回しだけど。


「もしかして、ひらりさん、は芸能人なのかな」

 その言葉でひらりさんはにこやかになった。


「はい、そうですけど。そんなこと、この学園では皆が知っていると思いますけど」


 やはり業界人か。であれば撮影現場の顔合わせで見たことがあるのかもしれないな。


「僕は今日転校してきたんだ。だからひらりさんのこともまったく知らなくて」


 その言葉に美少女は合点がいったらしい。

「あー、なるほどです。でも、〝ひらりさん〟はちょっと距離を置きすぎかなって思います。真夏美さんと同級生なら私のほうがひとつ下ですし。他の上級生からは、〝ひらりちゃん〟って呼ばれていますから、できればそちらでお願いします」


「ひらり、あまり初対面の人を信用しないでって、いつも言っているじゃない」


 秋川さんの言い分もわからないではない。とくに業界人としてはよからぬ輩に付け入るスキを与えかねないからだ。

 スキャンダルも聞かず、つつがなく芸能活動を送れているのも、秋川さんがにらみを利かせているから、なのだろうか。


「ですが真夏美さん、この人の口ぶりだとお知り合いのようでしたし」


「私も初めてよ。たまたま今日、うちのクラスに転入してきただけ」


 この言い方だと、昨日会ったのは秋川さんじゃないのかもしれないな。

 世界には似ている人が三人いるとも言われているし。他人の空似だろうか。

 だが昨日「明日にはわかるわよ」と告げたあの言葉の意味とは。


 悠一の呆然とした表情を見たひらりと呼ばれた女子生徒は、くすりと微笑んだ。


「改めまして。私、ひるさわひらりって言います。先輩のお名前は」


 突然美少女から話を振られたが、業界でもあいさつは重要だ。すぐに気持ちを立て直した。

「あ、僕は今日転入してきたひつじさる悠一と言います。呼びづらいでしょうから〝コン〟でお願いします」


「ひつじさる、ですか。確かに言いづらいですね。それじゃあコン先輩、お昼はどうなさるんですか」

「学生食堂があるって編入試験後に説明を受けていたから弁当は持ってきていませんが」


 彼女の手には弁当箱を入れたと思しき風呂敷包みがあり、秋川さんもランチボックスを持っている。


「学生食堂は人気がありますけど、順番待ちの時間を考えるとお弁当のほうが断然効率はいいですよ。明日からはお弁当になさったらいかがですか」


「ひとりぶんの弁当って作りづらいんだよね」

「もしかして独り暮らし、とかですか」


 結構立ち入ったことを聞いてくる子だな。そういうのは察して欲しいところだが、この子くらいの年頃ではまだ無理からぬことかもしれない。


「いえ、父と二人暮らしなんですが、コンビニチェーンのエリアマネージャーをしているので朝、出かけるのがとても早いんです。お弁当を持たせる時間もありません。だからお金をもらって学生食堂で、ということになりました。ここに転入してきたのも、弁当必須の学校は通えなかったからということもあるんです」


「あ、なんか聞いちゃいけないことを聞いちゃいましたか」


 ようやく踏み込みの深さに気づいたようだ。秋川さんがたしなめる。

「ひらり、無駄口は叩かないで。早く屋上へ行きましょう」


「秋川さん、ひらりちゃんの話しぶりだと弁当ならそんなに急がなくてもいいんじゃないかな」

「私たちはだいじょうぶでも、あなたが食べ損なうわよ。食堂は早い者勝ちだから」

「どれだけ混み合うのか、まだ行ったことがないんだけど」

「それもそうですね」

 ひらりちゃんがにこにこだ。どうやら業界人としてのやりとりはうまくいったようだ。


「そういえば、この学校には芸能人が大勢通っているって聞いたのですが」

「あ、はい。私もいちおうアイドルやってますけど」

「そうなんですね。でもひらりちゃんの名前は聞いたことがないんだけど」

 その言葉にひらりちゃんは口を少し尖らせた。


「芸名で活動しているからかな。にらさわともって言います」

「韮沢とも、さんですか」


 秋川さんがこちらをじとっとにらみつけている。

「もしかして知らない、なんて言わないわよね」

「ええ、知りませんよ」

 即答した。ここでおもねっても無意味だ。


「正直に言って芸能人には興味がないからなあ。でも韮沢という名字はどこかで聞いたことがあるような」

「私のこと、知らないんですか。びっくりです。芸能人ってお嫌いですか」

「嫌いというわけではないですね。ただ表舞台には縁がないから接点が少ないんですよね」

「接点が少ない、ですか」

 ひらりはやや残念といった雰囲気を醸し出している。


 それにしても韮沢か。最近どこかで見聞きした名前なんだけど。まさか仕事関係かな。

 でも代役以外の名前なんて憶えていなくても差し支えない職場だからなあ。


「ちなみに今、ドラマか映画の撮影なんてしていませんよね。芸能界と言っても俳優だけでなく歌手もグラビアモデルもお笑いも。種類は多岐にわたりますし」


「コン先輩すごいです! 実は今、映画の撮影に入っているんです。といってもクランクインはこれからで、前回はキャストとスタッフの顔見せしかしていませんけど」


 やっぱりそうか。仕事現場で出会ってはいるんだな。ただ、役割が違うから記憶にないのかもしれないけど。

 年齢的には主人公の娘役ってところかな。あとで台本を読んで確認してみようか。





(第2章B1パートへ続きます)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る