第2章 事件

第5話 事件(A1パート)絶対零度の女王様

 昼休みとなり、なんとか昼食にありつかなければならない。前の席の河合かわいくんが座ったまま振り向いた。


「ねえ、ひつじさるくん。お昼はお弁当を持ってきているのかい」

「いえ、学生食堂があると編入試験のときに伺っていたので、お金を持ってきているのですが。いちおう先ほど校舎内を案内されているときに食堂の場所も教えてもらっているから、そこに行こうかと」

「僕も学生食堂派だから、ご一緒しようよ」


 河合くんは立ち上がると廊下へ向かって歩いていく。それに付いていったが、廊下へ出たところでひと声かけた。


「かまいませんけど、少しあきかわさんと話してきてもいいですか」


 どうにもトゲのある態度を見せる秋川さんが、本当に昨日見たあの少女だと思えなかった。だが、あのときの話しっぷりだとどうやら彼女で間違いないようではあるのだが。


「〝絶対零度の女王様〟に声をかけるつもりなのかい。どうやら本物の勇者になりたいようだね。僕が言ったのになんだけど、昼休みに声をかけようというのはオススメしないよ。最悪の状況になるんだから」


「最悪の状況とは」


 ただでさえ、教室ではとっつきにくい秋川さんだが、昼休みになるとさらに悪くなるとはどういうことなのだろうか。


「そんなことはいいから、さっさとお昼を済ませようよ。坤くんが行かないのなら僕ひとりで行ってくるけど」


 このやりとりをしていてちょっとした引っかかりを感じた。

 級友がいつまでも互いを「くん」「さん」呼びするのもどうなんだろうか。お互いにもう高校二年生だし、心に距離を置くような関係が長続きするとも思えない。


「ねえ河合くん。これからは僕のことを、〝コン〟と呼び捨てにして欲しいんだ。男子から〝コンくん〟と呼ばれるとどうにもこそばゆくてね。前の学校でも男子からは〝コン〟だけだったから」


「それはいいけど、じゃあ僕のことも河合と呼び捨てにしてくれていいよ。確かに高校生にもなって、相手を〝くん〟呼びするにも他人行儀すぎるね」

 河合くんにじっとりとした視線を投げつける。


「わかったわかった。これからはそう呼ぶよ。じゃあコン、昼食に行こうぜ」

「それはいいけどな、河合。さっきも言ったけど少しだけあきかわさんと話をさせてくれ。彼女が〝絶対零度の女王様〟には思えなくてな」


 昨日の初対面の過程を話すわけにはいかなかった。下心が透けて見えるようで憚られる。


「これから修羅場になるぞ。昼休みは短いんだ。寄り道は手短にな、コン」

「悪いな、河合。ちなみに学食は何時までやっているかわかるか」

「受付は十二時四十五分まで。退室が五十五分までだ。多くの生徒が並ぶから、僕が先に行って順番をとっておくよ」

「ああ、助かるよ。じゃあまたあとで」


 教室へと引き返して、窓際で校庭を眺めている秋川さんに近づいていく。


「秋川さん、秋川さん、ですよね。昨日お会いした」

 鋭い視線を返してきた秋川さんは、さも興味なさそうに視線を校庭へと向け直した。


「誰か眺めていたい人でもいるのかな」

「これから人がやってくるわ。学校では私にかまわないで」

 言葉にまるで感情がこもっていないようだ。愛想がないことを演じているような気もするな。


「でも昨日はいろいろ話したじゃないか。昨日の失敗を言い触らしていないようだから助かっているけど。あれをばら撒かれたら俺も安穏とした学園生活が送れなかっただろうしね」

「ああ、そう。なんなら今からバラしてもいいのよ」


 取り付く島もないとはこのことか。なるほど、だから〝絶対零度〟なわけか。なかなかに手強いな。でも昨日の印象だと、ここまで頑なになる理由がわからない。


「なんで学校ではこんなにテンションが低いんだよ。昨日くらい人当たりがよければ、じゅうぶん人気者だろうに」

「人にはそれぞれ理由があるものよ」


 すると廊下から女子の声が聞こえてきた。どうやらすれ違いながら生徒たちにあいさつをしているようだ。


「ん、なんだろう、これ。どんどんこっちに近づいてきているような」

 秋川さんはゆういちを無視して席を立った。


「ごめんください。真夏美さんいらっしゃいますか」


 元気な女子の声が教室内に響いた。

 すでに席を立って教室の後ろへ向かっていた秋川さんをすぐに見つけたようで、小走りに近寄っていく。


「真夏美さん、おまたせしました。屋上へ行きましょう」


「わかったわ。ちょっと待ってて。お弁当箱をとってくるから」


 秋川さんは教室後方にある荷物入れの棚から自分のランチボックスを取り出すと、飛び込んできた女子生徒とともに教室を出ていった。


 悠一は駆け込んできた女子生徒に見覚えがあるような印象を受けた。

 最近どこかで見たことがあるような。だが、それがどこかは思い出せない。

 あれだけの美少女は記憶に残っていて不思議はない。秋川さんは昨日会っているから記憶に新しいが、彼女もそう遠くない時期に見ているはずだ。


 一瞬すれ違っただけかもしれないが、悠一は仕事上、初対面のスタッフはなるべく顔を憶えるようにしている。

 いつ一緒に仕事をするかわからないので、命を預ける心の準備をしたいからだ。

 だから美少女とどこかですれ違っただけでも憶えている可能性はある。

 あまり観ないが、テレビドラマで俳優さんの顔を憶えているようにもしていた。

 もしかしたら彼女は女優かもしれない。だが名前がまったく思い浮かばないのだからもどかしさが募る。


 しかし彼女のことは置いておこう。まずは秋川さんときちんと話がしたい。昨日の好印象を崩してしまいそうな秋川さんの態度に納得のいくはずもなかった。


「秋川さん、待って」


 すでに廊下に出て歩き去るふたりを呼び止めようとする。振り向いた秋川さんの視線は冷ややかだ。一瞬、ここが南極かエベレストかと錯覚するほど背筋が凍るようだ。


「真夏美さん、この人なにか用があるみたいですけど」


「ひらり、どうせあなたを狙うオオカミのひとりでしょう。取り立てて話す必要はないわ」

 ひらりと呼ばれた女子生徒は、顎先に指を立てて首を傾げている。


「うーんと、記憶に間違いがなければ、最近どこかであったことがあるような気がするんですよね。この人」


 やはり彼女とはどこかで会っているらしい。

 だが先方もしっかりとは憶えていないようだから、現場ですれ違った程度かもしれないな。





(第2章A2パートへ続きます)

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