肝試し

 カク子とヨム美とカド吉は、田舎の集落と集落を結ぶ山道の側道を抜けた先にある廃ホテルの入口に立っていた。

 そのホテルは、生い茂ったツタと、所々、剥がれたタイルによって、いかにも〝ホラー映画に出てくる廃墟〟といった外観をしている。


 数十年前、このホテルの経営者が首吊り自殺をしたという噂があり、それ以来、放置されたままになっているのだという。


 その噂が本当かどうかは三人とも知らない。ただ、〝出る〟という噂があるからこそ、ここに来ているのだ。――そう。彼女らの目的は肝試しだった。


 ホテルは各部屋専用の車庫からそのまま部屋に入室する構造のラブホテルで、一行が目的とする部屋は一〇三号室。しかし車庫からの正面入口は施錠されているため、スタッフルームから入室する必要がある。


 カク子とヨム美は動画投稿サイトである程度の知名度をもつインフルエンサーだ。視聴数のためなら大食いでもゲテモノ食いでも、少々セクシーな服装でのスポーツでも。リスナーが望むのであればなんでもやってきた。


 今回の廃ホテルでの肝試しも、リスナーのコメントによるリクエストがきっかけだった。心霊系の動画を今まで投稿していなかったカク子たちは、これを機にオカルト系のユーザー層も引き込もうと考え、今に至る。


「大丈夫大丈夫、どうせ幽霊なんかいないって!」

 と、カク子は笑顔で言った。その言葉とは裏腹に、彼女の手は少し汗ばんでいる。


 一方、ヨム美は腕を組み、フンッと鼻を鳴らす。

「こんなネタ、さっさと撮って帰ろうよ。次は新商品レビューの企画も控えてるんだから」


「二人ともさ、車の中じゃあんなに弱気だったのに、現場じゃもうノリノリじゃんか。――二人じゃ怖いって言うからついてきたのに、これじゃ俺、何のために来たんだか」

 二人の様子を眺めながら、ついて来ただけのカド吉は呆れた顔をして髪を掻いていた。


 撮影はカク子が自撮り棒を装着したスマートフォンと、ヨム美のヘルメットに装着した小型カメラで行う。生配信をしようという案もあったが、生憎あいにくこのホテル周辺は電波の入りが悪かったので断念した。


 鍵の壊れているスタッフルームの入口を開け、ヨム美がバッテリー式ライトで周辺を照らす。――錆びたドアがきしむ音が静寂の中でやけに大きく響いた。

 肝試しスポットということもあり、室内は至るところにスプレーで落書きがされていて、窓ガラスはほぼ全て割られている。


「やっぱ、荒らされちゃってるよね~。地元じゃ有名みたいだし」

 カク子が残念そうに言う。


「ウチら一応、不動産屋に許可もらってんのに、なんか申し訳ない気持ちになるよね」

「……じゃあついでに掃除する?」

「それは嫌。断る!」


 ヨム美の食い気味な返答に残りの二人はフっと吹き出し「ですよね~」と声を揃えた。


 一行は問題の一〇三号室の裏口を目指す。

 スタッフルームからキッチンを抜け、従業員用通路を進む。通路に置いてある棚には、いくつか毛布やガウンが残っていたが、通路の窓も割れているせいか――いずれもボロボロになっており、苔が生えているものもあった。


 割れた窓から入る風がカーテンを揺らし、かすかな音を立てる。


「さすがに奥までくると、ちょっと怖いね」

 カク子が呟く。彼女の握る自撮り棒は小刻みに震えていた。

「まあ何か出てきても、その棒でぶん殴っちゃえば大丈夫っしょ」

 ヨム美は笑いながらペースを落とさず歩く。しかし彼女の持つライトの光もまた不自然に震えていた。


 一行の後ろに立つカド吉は、ついて来たもののやることがないため、ただ黙って後を追う。二人のやり取りを聞きながらも、何かの物音が背後から聞こえた気がしたのか振り返る。


 しかしそこには何もなかった。


「――!!」

 突然、ヨム美が振り向く。「ヨム美、どうしたの!?」カク子もそれに合わせて振り向いた。


「いや、俺もさっき何か気配がしたから振り向いたんだけど、たぶん……風だったんじゃないかな」

 カド吉が苦笑いを浮かべる。


「うん……? なんでも無いみたい」

「びっくりさせないでよね、ヨム美」


 割れた窓から入り込む草の擦れる音と一行の足音だけが通路に響き渡る。それでもその音は、空気の異様な静けさを際立たせるだけだった。やがてその足音はぴたりと止まった。


「さて、ここが噂の一〇三号室……か」


 部屋の裏口前で足を止めていた二人に追いついたカド吉がぼそりと呟く。カク子とヨム美は互いに顔を見合わせて頷いた。彼女たちの覚悟は決まったようだ。


 一〇三号室のドアが開くともう一枚のドアが見える。奥側のドアの真ん中あたりには手だけが出し入れできるくらいの小さな穴が、猫用の出入り口のような形でついている。


 ここは古いラブホテル特有の、精算用の小部屋だったようだ。

 精算用ドアも裏口同様、施錠されておらず、すんなりと開く。


 風通しの悪い室内は、通路とは違いカビ特有の粉っぽい臭いが立ち込め――ネズミか何かがいるのだろうか――、小さな生き物がカサカサと動き回るような音が響いている。


 スタッフルームと同様に、壁は落書きがされており、ベッドはバネが剥き出しになっていて、ソファは刃物か何かでズタズタに切り裂かれている。そこには風情も趣もなく、ただ時間の残酷さだけが刻み込まれていた。


 一行はそのまま洗面室へと向かう。〝噂〟ではこの洗面室の大鏡の前で『カドカワさん、カドカワさん』と唱えると哀しげな顔をした中年男性の姿が鏡に映り込むという。

 このカドカワさんというのが経営者の名前だと言われているが、真相は定かではない。


「それじゃあ、ヨム美、カメラの準備はOK?」

「……うん、ばっちりよ」


 二人は普通のやり取りを演じながらもカメラの画角外で震える手を握り合っていた。


「「カドカワさん、カドカワさん」」


 噂どおりのまじないを唱え、数十秒ほど鏡を見つめる。しかし鏡にはなんの反応もなかった。


「やっぱり、ただの噂だった……みたいね」

「ちょっと味気なかったかな。じゃ、帰ろっか。カク子」

 強がっているように見えるが、二人はこの場を離れる口実を求めているようにも見えた。


「ええ、もう帰っちゃうの?」

 カド吉が二人の後ろから鏡越しに問いかけたその時だった。「――ちょっとヨム美! 鏡! ――鏡に今!」


「何? どうし……キャアアアアア!」


 カク子とヨム美は一斉に走り出す。互いに繋いだ手を離さないよう。眩しいライトの明かりを頼りに。

 カク子は自撮り棒を畳んで短くする。これで多少は走りやすくなった。


「ちょ、ちょっと待ってよ二人とも!」

 一人だけ残されたカド吉は、真っ暗な中、外から入る月明かりだけを頼りに二人を追いかける。


 足場の悪い通路とスタッフルームを駆け抜け、ひと足先に車庫に戻った二人はすぐさま車へ乗り込む。カク子はブレーキペダルを踏み、エンジンスタートボタンを押す――しかし、何の反応もない。セルが回る音すらしない。


「嘘でしょ!? バッテリー、あがってるの?」

「でも、ルームランプは点いてたから! カク子、何回か押してみて!」

「もう、やってるってば!」


 カク子の声は、すでに冷静さを欠いていた。何度もスタートボタンを押す指先が震えている。ボタンを押す度、車外から何かがこすれる音が微かに聞こえる気がした。


「置いてけぼりなんて、ひどいじゃないか!」


 二人が車と格闘しているうちにカド吉も車庫に到着した。カド吉が後部座席に乗り込むと、タイミングよくカク子の車はエンジンがかかる。


「点いた! ……スピード出すから、気を付けてね、ヨム美!」

「――うん」


「っちょ、待って、俺まだシートベルト……、うわああああ」


 車は車庫を勢いよく飛び出し、山道を下る。

 ラジオも音楽も流していない車内には、エンジン音と車が風を切る音、そして路面の砂利をタイヤが踏みしめる音だけが響いていた。


「一体、あの大鏡で何を見たんだよ?」

 カド吉の質問にも二人は答えようとしない。


 道路の幅が広くなるにつれ、カク子がアクセルを踏む力を強める。

 一刻も早くあのホテルから離れたいと言わんばかりに。


 ――


 翌日、カク子とヨム美、そしてカド吉は、再び集まって映像の確認をすることに。ヨム美はおそるおそる、録画ファイルの再生ボタンへマウスカーソルを運ぶ。


「準備はいい? 押すよ」

「……うん」


 二人が生唾を飲み込む音が鮮明に聞こえるほど、部屋は静まり返っていた。ヨム美の指がマウスの左クリックを押し込む。


 ――カチッ。


『大丈夫大丈夫、どうせ幽霊なんかいないって!』

『こんなネタ、さっさと撮って帰ろうよ。次は新商品レビューの企画も控えてるんだから』

『二人ともさ、車の中じゃあんなに弱気だったのに、現場じゃもうノリノリじゃんか』


 ……。


 画面に映る三人の姿を見た瞬間、――再び彼女たちは恐怖に包まれるのであった。


「嘘でしょ……?」

「どういう……ことなの!?」

 青ざめた顔のカク子とヨム美。


「え、何? 二人とも何か見えてるの? ちょっと分かんないから教えてよ」


 いったい、映像には何が映っていたのだろうか……。


「ねえ、本当に何か見えたの? そんな顔してないでさ」

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