万引き

「今日は暇で良かったな。――まあ、あんまりにも暇が続くとオレ達の仕事もあがったりなんだけどな」


 先輩は缶コーヒーを片手に笑いながらそう言った。一段落ついているとはいえ、業務中であるにも関わらず彼はリキッドタイプの電子タバコをふかしている。


「先輩、スタッフルーム内は禁煙ですよ? 従業員さんに見られたら――」

「問題ねえよ。これ電子だし」


 俺と先輩は警備保障会社からスーパーに派遣されている保安員。いわゆる万引きGメンと呼ばれている職業だ。

 春に入社し研修を終えたばかりの俺はこの先輩のもとで、いくつかの店舗を担当している。


 暇だった、と言ってもそれは体力を全く消耗しなかったというわけではない。業務中は不審な人物へ声掛けした時や、万引き犯を押さえた時などを除けば、ずっと店内を歩き回って監視するため、暇な日であれば一日の歩数は軽く数万歩を超える。


 しかし歩くだけだと侮ってはいけない。神経を尖らせながら数万歩も歩くこの仕事は、実際にやってみないとその辛さを理解するのは難しいだろう。


 テレビの特番で紹介されているような業務の様子とのギャップに耐えられず、すぐ離職する者も多い職場だと面接の日に教えられていた為、ある程度の覚悟はできていたのだが、離職した者たちの気持ちもある程度、理解できる。


 ちなみに、俺とペアを組む前の先輩の相方も、突然、連絡がつかなくなり退職代行を通して辞めたらしい。


 このスーパーでの駐在時間が終了するまであと僅か。少し早めに店内の巡回を切り上げていた俺達はスタッフルームで業務報告書にチェックを入れていた。


 書類のチェック漏れが無いか確認をしていると、防犯カメラの映像が映っているモニタに、先輩がぐいと顔を近づけている。


「なあ、万引きをするやつの特徴って、カメラを見ただけで判るか? お前は」

「えっと、周囲をずっと見回していたり、商品を隠すために使うポケットやカバンをしきりに気にしていたりとか……、そういった感じですかね」


 俺の方に首を振って先輩はフっと鼻で笑った。


「四十点かな」

「ええ、厳しいですね」


「そんな、明らかに見ればわかるような奴は、すでに店員さんがマークしているもんだし、やり慣れているやつはもっと堂々としている。オレ達が店のために捕まえなきゃいけねえのは、そういったプロの窃盗犯だ」

「じゃあ、そういったプロはどのような特徴があるんですか?」


 そう尋ねると先輩は、もう一度モニタに顔を近づけ睨みつけるように眺める。


「たとえばだな、――おお、居た居た。見えるか? あの黒いバッグを持った女だ」

「黒いバッグ、この人ですか」


 少しばかり不安だったが、俺はモニタに映る女性を指さして先輩の顔色をうかがった。口角を少しばかり上げて彼は頷く。


 しかし、ひと目で彼女を怪しい人間だと思う要素はどこにも見当たらなかった。


「この女はな、カートと体の間にバッグを挟んでいるんだ。判るか? それに、バッグの入口がカメラの死角になるよう順路をとっている。おそらく普段の買い物はかごに詰めて、高級品……たぶん化粧品かな。それを狙ってバッグに入れ込む算段だ」


 先輩の推測を聞いたところで、俺はあまり納得ができなかった。持っているバッグが邪魔なら安定する場所に挟むこともあるだろうし、死角になる順路を通ることも偶然の一致に過ぎないようにも思える。


 しかし、カメラをよくよく眺めていると、この女性に何らかの違和感を覚える。違和感の正体はしばらく見ているうちに理解できた。――彼女の視線だ。


 彼女の視線はまわりをキョロキョロとするような挙動不審な視線でもなく、バッグをしきりに気にする様子もない。ただ、普通の客には見られない不自然な点が一つだけあった。

 ときどき、カメラ越しに俺と目が合うのだ。


 アイスクリーム売り場のストッカー付近のカメラ。調味料売り場のマヨネーズ付近のカメラ。そしてチョコレート菓子売り場付近のカメラ。

 周りの様子を確認するでもなく、まっすぐにカメラを見つめる視線はどこか不気味さを感じた。


 もしかすると、彼女は店の監視カメラの位置をおおよそ把握できていて、死角になるようなポイントを確認しているということなのだろうか。


 彼女に不審な動きが無いか、じっくりと目を凝らしてみる。しかし、カメラ越しに目が合う不気味さを除けば普通の客にしか見えなかった。


 しかし、スタッフルーム内の沈黙を先輩が破る。


「よし、今、入れたな」

「え……?」


 先輩は立ち上がった。

 俺にはモニタに映る彼女が不審な動きをしたようには見えなかったが――あまりにも一瞬すぎて気付けなかっただけなのだろうか――、どうやら先輩には何かが見えていたようだ。


 警備会社のロゴ入りジャンパーを羽織った先輩は、ドアを開ける前に少しだけ立ち止まり、俺の方を見る。


「おう、お前はもう上がって良いぞ。あとはサクっと捕まえて店舗に引き渡すだけだから、残業はオレだけで充分だ」

「いえ、俺にもしっかりと見させてください。あの女を捕らえるところを」


 バツが悪そうな顔をして先輩は頭を掻いていた。


 ここで帰れ? 冗談じゃない。残業代なんて要らないから、少しでも多く先輩の仕事を見て覚えたい。

 俺は必死で頼み込む。


「残業ではなくて、終業後に見学していただけという扱いでいいですから、お願いします!」

「あのなあ、そういう問題じゃねえっての」

「お願いします! お願いします!」


 それから何度も何度も頭を下げると、ついに根負けしたのか先輩は「……本当に仕方のないやつだなお前は」と言い、やっとのことで見学を許してもらえた。


 売り場に出て、〝かごの商品の会計〟を終わらせた黒いバッグの女を見つけると先輩が早速、声を掛ける。


「まだ、会計がお済みでない商品がありますよね」


 声をかけられた女は先輩と俺の姿をみて驚いたような顔をする。まるでパニック映画で最初に殺される脇役のような、そんな顔だった。


 制服を着た保安員に話しかけられたことで諦めがついたのだろうか、戸惑ったような表情を浮かべつつも無駄な抵抗をすることもなく、女は素直に「はい……」と言って頷く。すると先輩は「では、バックヤードまで一緒に来て頂けますね」と促した。


 やはり、彼女はモニタを監視する俺の眼の前で堂々と盗っていたのだ。

 それを見落とすことなく女を捕らえた先輩は、……やっぱり凄い。


 結局のところ、バックルームで盗品の確認をする段階では、女が素直に応じていたため、あまり参考にはならなかった。

 ただ、バッグから化粧品の容器が大量に出た時は、正直驚いた。そしてこんなに盗られていたのにも関わらず何も気付けなかった自分を情けなく思う。この反省は次に活かしたい。


「あとは店長さんに連絡を入れて対処を判断してもらうだけだから、お前はもう帰れ。――ああ、それと、自分の残業代を犠牲にするようなこと、二度と言うんじゃねえぞ?」


 そう言って先輩は、笑いながら俺の額を軽く小突いた。


 その日の帰り道、俺は先輩の仕事ぷりを思い出しながらぼんやりと考える。

 彼のように優秀な保安員となって活躍するためには、どのような努力を重ねていけば良いのだろうかと。


 ――突然、スマートフォンの通知音が鳴った。先輩からのメッセージだ。


『リキッドまた入れておいて』


 奥さんか誰か宛の間違いメッセージだろうか。先輩も日常ではこんなミスをやるんだなと思いながら、『送る相手まちがえてますよ、先輩』と返信し、晴れ渡った星空を眺めつつ家路をたどった。

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