第2話「エンドロード その2」

「先輩。私の裸見たことありますか?」


 さてさて、どうして僕は一日のうちにこんな破廉恥なセリフを二度も、しかも一応は初対面の後輩の女子から聞くことになるとは——神様は一体僕になんの恨みがあると言うのだろう。

 ……いや、今回ばかりは僕のせいだよな。

 図書室には夕日が差し込みオレンジ色の光が眩しい。

 普段ならぽつぽつと何人かの生徒しか使用しているはずなのだが今の図書室にいるのは僕と僕と正面衝突した女子の長谷川みゆの二人だけだった。

 だからこんなひょうきんな質問も容易く行われてしまう。

 人の目の重要さが身をもって知る機会となっただろう。お互いに。


「見たことないよ。想像することは出来るけどね」

「はぁー? 先輩、マジで言ってます? もしも本当に初対面だったら先輩は病的なまでのセクハラくそ野郎なんですが?」


 僕の隣に座る女子は純粋なまでに赤面して怒っている。

 一応演技として、病的なまでのセクハラくそ野郎を演ずることにしたは良いものの、仮に疑いが晴れたとして果たして僕はちゃんと先輩として扱って貰えるのか甚だしいものだ。

 まぁそれはぼちぼち考えるとして、とりあえず今は彼女から離れる手段を考えなくては。


「ところでなんで付いてきたの?」

 まずはどの程度疑っているのか、聞いてみよう。

「まだ先輩の名前を聞いてませんから」

「名前かぁ」

 いきなり名前か、瑠衣って言ったら絶対に深まるよな、疑い。

「聞いてどうするの?」

「そりゃあ、あなたがどのクラスの生徒で成績はどれくらいで何部に所属していてどんな家庭環境なのか調べ上げてあなたの正体を突き止める予定ですが?」

「いや怖すぎるんだけど。ますます言いにくいって」

 深まるどころかもう随分と沈むところまで沈んだって感じなんだけど。

「え、まじなの?」

「じゃあ冗談です」

「……ほんと?」

「……嘘です」

「ん、てことは?」

「さぁ?」


 相変わらずまどろっこしいやつだ。

 まぁ僕に比べれば大した事じゃない。なにせ僕は大きな嘘を君たちについている。

 なのに胸が痛む程度で済んでしまっていることに嫌気すら感じてしまう。

 もしもここで言ってしまったらやっぱり驚くだろうな。信じてくれないかもしれない。でも、どうせ気持ち悪がられてしまうのならそっちの方がましだなぁ。

 そんなことを思いながら彼女の顔を見ていた。

 彼女も僕の方をじっと見つめていた。


「これって相思相愛?」

「やっぱり先輩なんか怪しいんですけど」

 あ、やり過ぎた。

「——さーてとそろそろ塾の宿題しないとな。ほらだから早く帰りなよ」

 どう考えても取ってつけたような言い訳だ。こんなのに乗るわけないだろ。

「……へー勉強するんですか。なんの教科ですか?」

 あれ、割と乗り気だ。

「数学だけど?」

「へー教えてくださいよぉ、私数学苦手なんですぅ、駄目ですか? 先輩」

 なんだ、これ、可愛いな、おい。

 急なデレについつい僕は口が綻ぶ。

「方程式解くのにも時間が掛かってる君には無理だよ」

「……でも私結構努力してやれるようになったんですよ?」

「へえ、じゃあ見せてみてよ。努力の成果を——」

「そうですね~」

「…………」

 

 おい、何を言っているんだ。僕。

 目の前の彼女はジトっとこちらを怪しむ目をして首を傾げる。

 それもそうだ。なんで初対面である僕が方程式が苦手なことを知っているんだよって話。

 そんなの過去に話したことがなければ絶対にありえないことだ。

 こいつ……あえてつっこみを入れずに観察していたな。

 

 動物で例えるなら——なんだろう、蛇か? いや蟻地獄?

 いやいや、そんなことを考えている場合じゃない。バカか僕は。


「私って有名人なんですかね? だって初対面のはずの名前も知らない上に一つ年上の先輩に方程式が苦手な事を知られているんですからね」

「そ、そうだよ。だってみんな可愛い後輩だって話題にしてるからね」

「ふーん、でもおかしいですね」

「な、なにが?」

「だって私の苗字、本当は古瀬ですから」

「え……」


 嘘だろ……。もしかしてみんなに嘘の名前を言っていたって事なのか?

 確かに僕自身、苗字はあえて名乗らずに魔法少女をやっていたがまさか自分以外にも名前を隠す人がいたなんて。


「観念してください。あなたはルイさんなんですか?」


 長谷川みゆは目を逸らそうとする僕の両肩を掴み強制的に目を合わせた。

 先ほどまでの下らない冗談交じりの会話の時は見せなかった真剣な眼差しだ。

 思わず真実を零してしまいかねないほど真っすぐでやはり僕は目を逸らしたくなってしまう。


 ——笑っていてよ。


 物音と言えば秒針の音だけの静かな空間がやけに気になる。

 言ってしまえば楽になるのだろうか、今ここでついつい零してしまえば君は受け入れてくれるのだろうか。

 分からない。

 いや、分からないと言うよりは受け入れられないなんて言われたくない。

 でも、もしかしたら——


「僕は……」

 

 喉が急に痛くなってくる。するとどうしてだろう。目元がふいに熱くなって——


 ブル——ブル——!


 静かな空間に突然、バイブレーションが鳴る。

 その直後に長谷川みゆはスカートの腰のあたりを気にする素振りを見せた。しかしすぐに僕へと向き直り、再び真面目な顔をする。

 しかし、僕はその音のおかげで我に返っていた。

 一呼吸してから僕は切り捨てるように「ごめん、勉強しなくちゃいけないから」と言い、顔を背けた。

 もう一度彼女の顔を見ることは今の僕には出来そうにない。

 少しの間、沈黙があった後、椅子の引く音が聞こえる。


「先輩、また会いましょうね。私は絶対に会いに行きますから」

「…………」

「約束ですからね──」


 彼女の後ろ姿も見送れないまま僕はずっと俯いていた。


 恐らく彼女は僕が魔法少女として会って、戦って、笑って、さよならを言わずにいなくなったあのルイだってことに確信を持ったに違いない。

 嫌だ、嫌だ嫌だ。

 嫌われたくない。気持ち悪いって言われたくない。

 確かに僕はそう思っていた。

 だけど、どうしてだろうか。

 みんなならもしかしたら。根拠も理由も証拠もないけれどもしかしたら——


 言ってもいいんじゃないか。


 約束ですからね──そう言った彼女の顔を想像すると、ふとなんだかそんな気がした。

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