第6話
あれは俺がプロの写真家になって、数年経った頃だった。
広告代理店からの撮影依頼。
ファッション雑誌に載せる新発表の服を着たモデルを街で撮る仕事だ。
行き交う人々を背景に、構図を決めていく。
「前島さん。この背景で大丈夫ですか?」
助手が決めた場所を、ファインダーを覗いて俺が確認する。
「あの人」
「えっ?」
「ほら、あそこ座ってる」
本当だったら誰も気づかないくらい小さな存在だった。
俺が指摘するまで、助手はまったく気づいてはいなかった。
気になるその人物は、小さなイーゼルの前に座っていた。
誰も座っていない椅子が一つ、イーゼルの横に置いてある。
たぶん似顔絵を描く仕事だろうか。
「場所を移動してもらうよう言いましょうか?」
どうせ写真の背景はボケる。
わざわざ移動をお願いするまでもない。それなのにーー。
「そうだな、頼めるか?」
助手が駆けっていく。
後ろ姿をずっと見つめ、気になる人物へと近づいて行く。
なぜか不思議と心が騒ついた。
お辞儀をするアシスタント。
しかし相手は微動だにしない。
遠くから見ていても移動する気配は微塵と感じられなかった。
助手がこちらを向く前に、足が勝手に動いていた。
モデルをしていた時に焼きついたアイツの姿が重なった。
「かっ…ちゃん?」
俺が近づくと、アイツが言った。
長い前髪の間から、大きく見開いた琥珀の瞳。
「久しぶりだな」
顔をそむけ立ち上がるアイツ。
また逃げられると思い、とっさに腕を掴んだ。
高校の時と比べ、やせ細った腕。
見上げる顔はやつれ、目の下にはクマができていた。
俺の心はざわついた。
腕を離しては駄目だと、頭の中で警笛が鳴る。
手早く仕事を終わらせ、近くのカフェへと連れていく。
いまどんな状況なのかを知るために。
アイツはなかなか言いたがらなかった。
やっとのことで話を聞き出した時には、外は暗くなっていた。
両親は亡くなり、実家は父親が経営していた会社の借金を清算するために売った。
大学は中退し、いまはシェルターで生活している。
仕事は似顔絵を描くこと。
それしか思いつかなかったらしい。
一緒に住もうと提案したが、すぐに断られた。
アイツが俺に『モデル』を頼んだ時のことを思い出す。
今度は俺が毎日付き纏った。
アイツが根負けするまで。
一緒に住み始めて、やっと色んなことが分かった。
高校に入ってすぐに、アイツは俺が好きになったこと。
口づけも嬉しかったが、怖くなって逃げ出したこと。
後悔していると言った。
ならその後悔をチャラにしようと俺から言った。
いま思えば、あれは求婚の言葉だった。
互いを生涯の伴侶とすることに時間は掛からなかった。
毎日のように抱きしめ、愛を確かめる。
ここまで来るのに、だいぶ遠回りした。
ずっと二人で幸せに暮らせると思った。
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