第2話

 15年前、俺はアイツと高校で知り合った。


 同じ学年でもクラスが違うと全く接点がない。

 部活も違って、アイツは美術部、俺は写真部に所属していた。


 その接点のない俺たちが、ある日を境に交差した。


 いきなり写真部の部室を訪ねてきたアイツが言った。

『モデル』になって欲しいと。


 それまでの俺は、アイツの存在すら知らなかったというのに。


「はぁ、モデル? 断る」


 当然、俺は見も知らぬ相手にやすやすと応じることはしない。


 それにモデルは楽じゃないことくらい、写真部の俺ならよく知っていた。相手の要求に応えられる素質が必要だ。

 そんなのは、俺の柄じゃない。

 

 断ったにも関わらず、アイツは諦めなかった。

 毎日付き纏い、とうとう俺が根負けし『モデル』になることを承諾した。


 誰かの要求に応えるなど、俺らしくもなかった。

 アイツの情熱に、どこか懐かしさを感じたせいかもしれない。


「ねぇ、かっちゃん、知ってる?」

「知らね」

「まだ何も言ってないって」


 キャンバスに向かっている顔から、笑みが溢れているのが垣間見えた。

 琥珀色の瞳と口元がやわらかに弧を描く。


 俺はアイツの笑った顔が好きだった。

 

「それより、いつまでこんな格好をさせる気だ」

「もう少しで終わるから、待ってて」


 大きくため息をつく。

 上半身裸の状態でローマ風の衣装を着させられ、片腕を上げ立ちっぱなしで数時間は経っていた。

 

 アイツの『もう少しで終わる』は、もう少しでは終わらない。


「やっぱ、かっちゃんって、いい体してるよな」


 誰が『かっちゃん』だ。馴れ馴れしい。


 まだ2回ほどしかモデルをしていないのに、アイツは初めから俺を『かっちゃん』と呼んだ。

 なんだかくすぐったい気持ちだった。


「描きながらエロいこと言うな」

「ごめん、ごめん。なんかスポーツやってたとか?」


 中学時代、俺は水泳を習っていた。

 選手コースにも進み、将来の夢は世界一になること、なんて無謀な夢を見た時もあった。

 体を壊すまで。


 それ以来、何に対しても情熱を持ったことはない。


「前にも言っただろ……」

「あっ、そうだった……ごめん」

「それより、さっき何言おうとしてたんだ?」

「えっと……あ、そうそう。かっちゃんは、虹雲にじぐもって知ってる?」

「虹雲……もしかして、彩雲さいうんのことか?」

「さいうん?」

「色彩の彩に雲」

「ああ、彩雲! そうそう! で、見たことある?」

「まぁ、たまにだけど、写真も撮ったことあるぞ」

「えっ、マジで! 今度見せて!」


 彩雲とは、太陽の近くにある雲が虹色になる現象のことだ。雲の中にある水分に太陽の光が反射することで虹が発生する。


 頻繁に見られる現象で、このときアイツがそんなにも興奮する理由が俺には分からなかった。


 **


 後日、彩雲を撮った写真をアイツに見せた。


「すげぇ綺麗な空。かっちゃんが撮ったんだろ、これ? すげぇ」


 手持ちで適当に撮った写真。

 誰にでも撮れる、大した写真じゃない。


 それなのに、何度も凄いを連発するアイツ。

 そんなに喜ぶなら、次からはちゃんと構図も考えて撮ろうと思った。


「俺も見たいなぁ」


 熱のこもった琥珀が写真をじっと見つめた。


「彩雲は条件が整えば、いつでも見られる現象だ」

「でも、俺……見たことないし」


 アイツの細い指が印画紙の上を何度も往復した。


「欲しけりゃ、それやる」

「えっ、本当に? いいの?」

「ああ」


 無防備な笑顔。

 なんて顔をするんだ。


「ねぇ、かっちゃん。彩雲が空一面に現れる時があるって知ってる? どこか海外らしいんだけど…」

「へー、そうなんだ」

「うん、そうなんだよ……」


 アイツが本当は何を言いたかったのか、あの時の俺は分からなかった。

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