○
一晩悩みに悩んだ結果、俺は飛鳥さんに素直に謝ることにした。彼女が嫌な思いをしたのは俺が無理やりついて行ったせいだし、何よりこのまま話せなくなるなんて耐えられない。
飛鳥さんは毎朝美術部の活動で早く登校している。静かで落ち着くんだよ、と言っていたのを思い出し、俺も早めに学校に行くことにした。
朝の学校は人の気配がほとんどなく、ひっそりとしている。美術室のドアをそっと開けると、キャンバスに向かう飛鳥さんの後ろ姿が目に入った。薄明かりの中静かに筆を走らせるその姿は、朝の冷たい空気も相まってとても幻想的だった。
音に反応した飛鳥さんがゆっくりと振り向く。その目が俺をとらえた瞬間、彼女は驚いたように筆を落とした。
「境くん……」
名前を呼ぶその声がなぜか遠く感じる。一歩教室に足を踏み入れようとした俺を、飛鳥さんが後ずさる仕草が止めた。
「……ごめん!」
勢いよく頭を下げる。人とこんなに真剣に向き合ったことなんて初めてで、上手く言葉が出てこない。でも、伝えないと。
「俺、飛鳥さんの秘密を軽く見てたんだ。すぐ泣いちゃうってことがどれだけ飛鳥さんを苦しめてたのか分かってなかった」
相手の表情を見るのが怖くて顔が上げられない。顔が熱くなり、視界がじんわり滲んでいくのが分かった。
「本当にごめん。飛鳥さんのことを守れてるって勝手に思い込んでた」
目を強く閉じ、深呼吸をする。感情が込み上げて声が震えるのを必死で堪えた。瞼の裏には彼女との日々が浮かんでくる。
隣の席で涙を隠すように俯く彼女にティッシュを差し出す日々。普段のすました顔も泣き顔も、可愛いなと思いただ眺めていた。
だけど、今日は違う。今は俺の言葉を聞いてほしい。もう君の居ない生活になんて耐えられないんだ。君に避けられることを想像しただけで胸が張り裂けそうになる。そう、つまり俺は。
「飛鳥さん、俺、君のことが――」
顔を上げた瞬間、飛鳥さんと目が合った。
その瞬間、彼女の瞳が一気に潤む。
秒針の音がやけに大きく聞こえた。
1秒、彼女の瞳が揺れ、涙の粒が頬を伝う。
2秒、唇を震わせる彼女から涙とともに言葉が零れた。
「ご、ごめんね!こんなに泣き虫で……でも境くんはっ、い、つも助けてくれて……っぐす、ずっと……」
声を震わせながら、溢れる涙を拭う彼女の手は追いつかない。言葉に詰まりながらも必死に思いを伝えようとするその姿を見て、胸がぎゅっと締めつけられた。
「わ、私、面倒だよね。っ嫌に、なっちゃったよね……」
彼女の震える声を遮るように、俺はその一歩を踏み出した。
「違うんだ、飛鳥さん。俺は――君が好きなんだ」
その時、ひときわ大きな涙が一粒、流れ落ちた。
○
「飛鳥さんの泣き顔、とっても可愛くて好き」
そう言われて顔がぶわっと赤くなるのを感じる。隠すように顔に当てた手に、また涙がこぼれ落ちる。
境くんに告白されてしまった。いまだに信じられない思いと、薄々気づいていたじゃないかと自分をなじる思いとで頭がこんがらがってしまう。
朝、気持ちを落ち着かせるためにいつも通りのルーティーンを意識して登校した。無心で絵を描いて、重ねて、心を空っぽにする作業。そんな静かな空間にドアを開ける音が響いて振り返ると、必死に頭から追いやっていた境くん本人がそこに居た。
ゆっくり重ねられる言葉たちを聞いている間、ずっと心臓が煩かったのを覚えている。てっきりもう関わらないでいようと言われるのだと思っていた。境くんは優しいから、こうして謝ってオブラートに包みながら言ってくれてるんだと。
だから決定的なことを言われると思うと涙が溢れてしまって、とっさに言葉を紡ぐけど上手く話せなくて……やっぱり私ってダメなんだと思ったとき、いきなり好きだと言われて固まってしまった。
正直私も境くんが好き。だからすごく嬉しいしすぐにでもお付き合いしたい。赤くなる私をからかって何度も好きだと言ってくる姿は意地悪だけどかっこいいとも思ってしまう。
でも、昨日のことが頭から離れない。私のような壊れた人間が、境くんと一緒にいていいのだろうか。お互い辛い思いをするんじゃないか。
境くんとの日々が頭を駆け巡った。何度も助けてもらって、お話して、物語について語り合って。
そして、気づいた。私はかぐや姫のような特別な人ではないし、セリヌンティウスなように彼の親友ではない。ジョバンニのような本当の幸いも持ってない。
でもそれでいいのだ。私は彼らの物語に感情移入して泣いてしまうけれど、彼らにはなれない。ならない。境くんとずっと一緒にいたいし、彼は私を裏切らないと既に知っているし、私の本当の幸いはもうそこにあった。私の本当の幸いは、境くんという人間なのだ。
「境くん、私も好き!」
思い切って大きな声でそう告げれば、余裕な顔で私をからかっていた境くんの瞳が見開かれた。だんだん潤んできてクシャリと顔が歪む。
朝からこんなに泣いたのは初めてだったけど、不思議と心は軽かった。お互いの涙を拭いながら思いっきり笑う。
涙が乾いたあとには、暖かい朝の光が私たちを包んでいた。
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教科書を読むだけで泣きそうになる飛鳥さんが俺の顔を見て号泣するまであと2秒 いふの @ifuno
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