第2話  霙

 この世界には妖を退治する職業として陰陽師が存在していた。彼らは人間の力では対抗できないため、人間に友好的な妖と契約を結んでいいる。

十朱(とあけ)は狐憑きとして古くから大きな力を持っていった。妖狐は妖の中でも上位存在であるが故に契約する人間を少数に絞っている。その少数の人間に選ばれた十朱の家は妖狐と契約した家系の人間を陰陽師に排出し、妖退治に尽力させて富を成した。


 生まれた男は陰陽師に。才能ある女は神社へ修行をし、巫女になって陰陽師に嫁ぎにいく。巫女になるためには妖狐と契約できるほどの妖術の才、容姿に器量、果ては楽器や歌の才まで必要になるのだ。

 つまり巫女になるということは女に生まれての最大の幸福であり、名誉なことである。



「ヤダ、紗季のお姉様。昼から暇そうに縁側に突っ立って。どうなさったの?」



 紗季は十朱の先代当主の娘だった。妖狐の中でも最上位の九尾と契約した、初代当主と肩を並べるほど優秀な男の娘は、父が殉職してから立場が一変した。



「麻里香様…」

「何アナタ。私の名前を呼んだ?その汚れた口で」



 わざとらしくキ、と吊り上げた目で麻里香は紗季を睨んだ。彼女は母と再婚して当主になった男の娘だった。結婚してすぐに紗季の母は病気で亡くなり、息つく暇もなく新しい女と結婚して、生まれたのが麻里香である。つまり紗季と麻里香は一切の血の繋がりはない。

 麻里香は妖術の才があり、あと一月したら二つ向こうの国の神社へ巫女修行に行くのだ。妖に好かれない紗季と違って。



「キャッ」

「巫女にもなれない失敗作のくせに!」

「お、お辞め下さい」



 麻里香は顔を赤くして紗季の頬を何度も叩いた。この時間は麻里香の習い事が終わる時間なので八つ当たりと言うことはわかっている。何度も何度もこう言うことはあったから。



「うるさい!ああ、憎らしい。生まれがあの男というだけでここにいられて、丹色(にいろ)様と結ばれるなんて」



 しかし、聞こえた丹色という名前に紗季は目を丸くして食いつく。



「丹色様…?何故そんな矢庭に。まさか、いらっしゃるの」

「許可無く口を開くな。塵芥(ちりあくた)が!」

「お。お答え下さいまし。聞いておりません。丹色様はいついらっしゃるの」



丹色は紗季の婚約者である。白蛇と契約を結ぶ家庭の、腰まである白い髪が夢みたいに美しい男だった。優秀な陰陽師一族の彼は、両親を亡くして居場所を失った紗季に「キミの末始終を、私は見届ける義務があるんだよ」と木漏れ日のように笑って言ったのだ。紗季はそれがえも言えぬ幸せで、母が亡くなってから初めてホロホロ泣いた。



「離しなさい!」



紗季にとって彼は宝物で、金メダルで、心臓だった。



「っあ」



 少し気持ちが上ずってしまった。麻里香は紗季が掴んだ袖を降り払おうとしたので、紗季は逃げないように腕を掴む。

 本来は力のない少女の手など、妖使いの麻里香には人差し指で抑えることができる。しかし習い事帰りで疲弊していた彼女は足を滑らせて縁側から落ちてしまった。



「!」



 妖狐と契約している彼女は危機が迫ると尾を出して身を守る。なので擦り傷一つないが、その顔は怒りではち切れそうだった。血が逆流しているかと思うほど顔を真っ赤にして、感情のままに身を振るわせる。



「たい、た…大変申し訳、ございません」



 今自分が犯した罪を自覚した紗季は、忽ち顔を白くさせる。声も出ないほどの絶望と後悔に打ちひしがれて目に涙を浮かべていた。手を差し出すことも、助けを呼ぶこともできなかった。



「言いたいことわかる?」



 巻かれた黒髪を整えながら立ち上がって、真っ平な声で言った。怒りが勝りすぎて冷静になってしまったのだ。尾が白い煙に変わって消えていき、通り過ぎに紗季の足を蹴飛ばして庭に捨てる。



「至急よ。居間まで」



 はい、という声は出たのかわからなかった。

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