第6話
友よ、鏡を見たことは。そこに映る自分のつらを、鏡を使わず見たことは。
無いだろう。あるはずがない。鏡もなしに、人は己を見られはしない。
手や足ならば見られるとはいえ、それが一体何になる。指の一本、砂を噛んだ足の爪、膨らんで見える自分の腹を見て、それで何がわかるというのだ。
僕は常々思うのだ。たかがふたつしかない目では、何を見ることも叶わぬと。
特に、人を見るには足りぬ。自分も、他人も、それではわからぬ。
だが、そのことを知る人がどれほどの数いるだろう。僕も所詮人であるゆえ、しょっちゅう忘れる。
大事なことほど忘れがち。人とはなんと、愚かだろうな。獣より上等になったなどと片腹痛い。獣にはない、よりおぞましいものを脳みそに詰め込んで、くそ袋を肥大化させて、得意満面になっているに過ぎないのだから。
その愚かしさの最たるものが、目の数だ。
ここまでこのとりとめなき文字の羅列を読み進めた君ならば、僕が百目鬼になりたがっているわけではないことぐらい、理解してもらえるだろう。
人の目は、己の見たいものしか見ない。他者の目からものを見ない。そして、人を人としてすら見ない。
故郷の村人たち然り、新聞屋、新聞屋に踊らされる哀れな民衆もまた然り。僕も実際、そうである。
とある蕎麦屋で働いていた時の話だ。そこの店主に僕は不愛想で、それでは客が逃げるだろうと言われたことがある。
反発はしなかった。店主も細君も笑顔が素敵な人であったし、愛想はとてもよかったはずだ。客には好かれていたと聞く。
だがそんなもの、なんの役にも立ちはしない。
野良犬以下のごろつきどもは細君の顔を踏み躙り、客は見て見ぬふりをした。何日も、何日も、それが続いた。
そのうち僕は、客だった連中に疫病神と呼ばれ始めた。僕を拾ったから厄がついたと誰もが言った。
なるほど、間違いではないかもしれぬ。方々を焼いて回った火付けうさぎだ、厄があっても仕方はあるまい。
けれどもそれが何だと言うのだ。そう思うのなら、僕に出ていくよう説得すればよいであろうに、誰もそれすらしなかった。僕がごろつきの住処を探し、油を買い込んでいる間、彼らは目を背け続けた。ただで蕎麦を啜った者さえも。
やがてごろつきが一人残らず天麩羅となったあと、蕎麦屋が立ち直ることはなかった。客連中は何も言わず、ただ目を逸らして畳まれる店を見送ることすらしなかった。
それどころか連中は、腕を折られて引退を余儀なくされた店主について、陰であれやこれやと噂を立てた。そのどれもが根も葉もなく、突拍子の無いものだった。
思えばごろつきと同じく、山に墓穴を作って埋めた時、新聞屋などになる遥か前から、僕はあの失望を胸に抱えていたのだろう。人は真実なんてどうでもよいのだ。
自分が恨まれるに足るものだとは、誰一人として考えないし、受け入れもしない。
僕自身、そうだったのだ。顔の右半分を火傷した時、ようやく気付いた。それまでは、考えようともしなかった。
村のやつらは僕を人とは思っておらず、旅先で焼いた連中もそうで、新聞屋はすべてが単なる飯の種。国のお偉方に至っては、己の民も、兵士も、外つ國の人でさえ、人ではないのだ。
僕もまた、誰もを人とは考えなかった。火だるまになった男も、蒸し焼きになった女も、煮えた油を注いだごろつきも。僕にとっては人ではなかった。
友よ、君にとってもそうだろう。僕は紙の上の文字列であり、君には自分の手が見えるのみ。せっかくだ、鏡で顔を見てみたまえ。
そこに映った君の顔、君の顔を見た僕自身の顔を眺められないことを、至極残念に思う。
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