第5話

 友よ、横須賀といえば何を思い浮かべるだろうか。


 何やら造船が有名らしいが、僕の心に残っているのは、遠路はるばる徒歩かちで旅する宣教師なる男の話だ。


 伴天連ばてれんの神父とかいう初老の男が何やら説法をしていたが、中身は大して覚えていない。僕の心に残った言葉は、しゅとやらが己を模して人を作った、というところであった。


 やれやれ、人に失望し続けどれほど経ったか。今度はその主だの神だのいう何某に、失望せねばならなくなるとは。僕の落胆癖も極まったものである。


 我らが主の似姿ならば、主とはひどく醜いかろう。戦争戦争また戦争、慰問の品は間に合わせ。つい先日はどこぞが空爆されたとか。すべては人の、ひいては主の似姿の仕業であった。


 友よ、君はこう言うだろうか。すべての人間がそうではないと。心配せずとも心得ている。僕は人によって虐げられたが、人によって助けられてきたのであるから。


 だが僕が不思議に思っているのは、どちらが真に主の似姿なのか、ということだ。


 神父に問うと、それはもちろん僕を助けてくれた人々だという。なんとも薄い言葉であった。であればかの炭屑どもは、神の真なる似姿を虐げたということだ。


 では悪しき人こそ主の似姿か。僕としては、こっちの方がしっくりくるのだ。なにせ神は手前勝手に人を殺しては代弁者を見捨て、黙って十字にかけさせたという。


 他には洪水を起こしたり、人を生きたまま海の底に沈めて死ねぬように計らっている。僕を虐げはしても殺しまではしなかった、あの村の連中とよく似ていると僕は思った。


 神父に連れられて行った教会の、小さな小さな牢獄じみた部屋でそう言うと、神父は目を見開いて固まっていた。その後顔を赤くして、押し殺した声で脅しつけて来た。そんなことを言っては天罰が下るぞ、と。


 どうやら八十教やそきょうの連中、あるいは主なる醜怪者は、禅問答を好まぬらしい。法と教えをただひたすらに飲み込めと、そう言い聞かせる。長椅子に座って両手を合わせ、何か念仏めいたものを唱える者どもも、僕を白い目で見つめたものだ。


 かつての僕は、軍規も報国も取り違えた将校たちを、猿と称した。しかしいざ、伴天連の教えを守ろうとする奴等を見ても、それはそれで味気ないのだ。


 いやはや、僕は一体何を求めているのだろうか。神父に問うと、やたらと分厚い本を手渡してきた。どうやら禅問答は好かないらしい。信仰するなら仏教だ。ありとあらゆる誘惑に耐え、主の似姿でありながら悟りを開いたらしいのだから。


 友よ、君は何を信じる。伴天連でないことを願っておこう。


 などと書いた手前だが、むしろ伴天連でありながらこの先まで読む酔狂者であったなら、むしろ歓迎するべきだろう。神に唾吐く僕の駄文を、理由はどうあれ読み解いてくれるのだから。


 ところで、彼らが有難がってる死刑の像をどう思う。十字架に手足を釘で縫い付けられた哀れな男の姿をありがたがるのは、僕には少々理解が及ばぬ。


 聞けば救世主と名乗った男の末路のようで、だったらあんな辱めよりよほど良いものを作ってやればよいのにと思うのだけど、どうだろう。


 僕には関係ないことなので、そこを出た。


 風が強くて、タバコも吸えない日のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る