第2話

 友よ、めくってくれて感謝する。


 しかし生憎、君のその手に報いるものは何もない。


 それでも良ければ読みたまえ。読むもやめるも君の自由。綴るも折るも我が自由。僕にはもはや、どうでもいいことに過ぎない。


 けれどもこれもまたえにし。ゆえに僕のことを少し語ろう。それ以外に語れるものなど何もなく、面白みもない。嫌なら飛ばすなり、やめるなりしてくれたまえ。


 さて、僕の故郷は青森だ。山奥で、冬になれば雪に閉ざされ、毎年誰かが春まで埋葬されるような場所だった。いくらか前は僕を除いて、全員埋葬されたと思うが。


 そんな場所で生まれ育った僕はといえば、若きに神童、老いては奇人と蔑まれ、部屋は離れの土蔵であった。


 生まれてかれこれ十年ほどは、普通の家だったのだけども、父がある日そう決めたのだ。それが人生初の失望だった。


 父は地元で有名で、実際村を駆けずり回って老いた者らにへいこら頭を下げていた。老翁老婆は何かと父を呼びつけて、あごでこきつかったものである。


 だがこれがいかにも小心者で、夕めしどきには僕と母に何かと文句を垂れ流す。


 酒を飲み、一升瓶で卓を割らんばかりに叩いて、ジジババへの愚痴を言うのだ。それはもう、耳障りなことこの上ない。ジジババが、つばを飛ばして怒鳴る声と同じぐらいに。


 僕はある日言ってみた。そんなに嫌ならやめればいいのに。


 すると父は僕を殴って、年功序列は守らねばならぬ、村の掟は守らねばならぬと言ったのだ。


 僕には口には出さない不満があった。村の掟と父は言う。だが僕はそんなものを聞いたことも、読んだこともないのである。


 学校で、帝都から来た片腕のない先生は、軍の話をする時に、軍規についてこう語る。


 軍規とはすなわち軍の法。軍学校ではこれを入った日から口酸っぱくして教え込まれる。そうしなければ己ごと軍の皆が死してしまうからである、と。


 ではこのくにの法とはなんぞ、と問えばすなわち、法とはあまねく民が心安らかに暮らすためのものであるという。ゆえに法には罰があり、法を破るは罪である。みな守らねば、それは國全体の死であるがゆえ。


 なので法は本となり、一字一句をしっかり身につまされるのだ。言葉で、文字で、伝えられぬは掟でなしと。


 なるほど、それは素晴らしい。ではこの村に、法はなるものはないのだろう。だって父も僕も母親も、心安らかに暮らせておらぬし、そんな本は見たことがない。


 僕はしょっちゅう、村の人に肩をぶつけられるし、ひどい時には田んぼに突き落とされたりもする。母もそれは同様だ。父は先述したとおり。家のそばには村の誰かが腐った野菜を置いていくため、毎日五匹ははえを見かける。


 それはなぜかと先生に問うと、それは村の法を犯したからだと、他の子どもと一緒になって笑ってきたのが、僕にはどうにも我慢ならなかったのだ。昼飯時に僕の粗末な弁当をひっくり返した子どものあごを、ついかっとなって引きちぎり、両目にやつの歯形をつけてやるぐらいには。


 物心ついたときにはこの境遇で、理由も教えてもらえぬのだから、まあ堪忍袋の緒が切れるのだ。そしたら誰も彼もがよってたかって、僕に石を投げて来た。


 なぜやったのかと聞かれぬし、なんなら知らぬ女子まで顔に泥を塗りたくり、あいつにやられたと僕を指差してきた。父は年功序列だなんだと言って僕を殴った。


 いやはや、生まれ育ってから十年。学び舎に行くこと遅れて五年。気付けば理不尽押し付けられて、納得できずに怒ってみれば、お山の大将気取るじじいが言うのである。掟を破ったお前たち家族が悪いのだ、と。


 なにが掟だ。ならば書を出せ文を出せ。口に出して言ってみろ。そのように吠えてみたのだが、生意気言うなとよってたかって蹴って来た。


 僕の頭は逆にさえわたっていた。蹴られながら考えたのは、ひとつの真理。


 明示できねば法にはあらず。暗黙などとは、他者を虐げるための屁理屈に過ぎぬ。


 なので僕は村を燃やした。彼らが僕に教えぬ掟を破ったのだとするならば、彼らは僕の暗黙の掟を破ったのである。


 ゆえに田んぼも家も牛のえさにも火をつけて、たいまつ片手に村を出た。うだるような夏であり、やたらと蚊の多い日であった。


 すれ違った蚊の行く方は、すなわち村の方である。飛んで火にいる夏の虫、大きな蚊取り線香の村となった故郷へと。


 僕の故郷は荼毘に伏された。念仏代わりに虫が羽音を立てるだろう。埋葬は雪に任せた。もしくは地震で山が崩れて、大きな墓となったやも。


 いずれにしても僕にはどうでもいいことだ。

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