第四四話 花参道

 成人式最終日、暮梨村くれなしむら全体が慌ただしい喧騒に包まれていた。


「おい、何してる! もう昼を回ったぞ! 紅子様を迎える準備は済ませたか!?」


「はい! もう花も飾り終えましたし、全員の参列も確認しています!」


「じゃあ紅子様が歩かれる道に塵一つないように掃除しに行くんだよ! ほら行った!」 


 水車小屋に背を預け、束の間の休息にとっていた若者を中年の男性が叱りつけた。怒鳴った勢いそのままに、胸ぐらを掴んで立たせ、背を叩いて走らせる。

 どこもかしもこの日はこんな有様だ。普段はのどかでのんびりとした暮梨村は、この日だけは誰もがぴりりと気を立てている。

 年に数回しか村を訪れない羅神、香梨紅子こうなしべにこを迎えるため、成人を迎えた若者はどこに居ても怒鳴れっぱなしになる。


 あれをしろこれをしろ、あれが足りないお前は足りない。

 三日間、そんなことが続くのだから、成人を迎える若者はこの日が憂鬱でしょうがない。

 暮梨村は与え合う村だ。特に子供は貰う機会が多い。誰の子供だろうが関係なく、誰もが自分の子供のように与え続けるのだ。


 そんな風土風習なものだから、誰もが実の親と同じく、遠慮なく叱りつけてくる。

 そして、誰もが胸を張りたいのだ。『こんなよく出来た子供を育てられた』と、神に見て貰いたいのだ。誰もが親であり子でもあるが、神はたった一人だけ。そのたった一人に胸を張れるように、誰もが必死に背を叩き合っているのだ。

 神にそっぽを向かれないように──。


       ✿


「ええぇ。なんか怖いですね、それ」


「な? 超ヤダろ? 知らないおっさんに怒鳴られたら、私ならキレ散らしちゃうわ」


 香梨大社、その巨岩が聳え立つ門前で、ネズミとザクロは歓談していた。

 成人式最後を飾るその主役の準備が整うまで、二人はここで朝から待機を命じられていた。


「去年さ、村の中にこっそり飯だけ食いに潜り込んだんだけどさ、ジジイとババアがずっと怒鳴ってんのよ。それがうるさくてうるさくて、飯の味もしなかったわ」


「成人って大変だなぁ」


 くつろぐ二人はいつもより身綺麗な格好だ。ザクロは白い着物はそのままに、帯の模様は蓮華模様、母と同じ相小町を足に引っ掛け、唇にうっすら紅を引いている。

 ネズミも今日ばかりは下に白い細袴を履いている。獣の身体に合う着物は暮梨村に存在せず、なんとか子供用の袴に短い脚を通して、正装の体を成している状態だ。


「雨、本当に降りますかね?」


「降るんじゃね? リンゴ姉が天気の予知を外したことないし。降っても降らなくても成人式が終わったら、せっせと外に走るのは変わらない」 


 ふと話が途切れ、二人はなんとなしに空を見上げた。堂々と悪巧みする二人に、指摘する老婆はこの場にいない。伊紙彩李はこの日、姉妹の役目を代行することになっている。故に、村の外側で見張りをしているそうだ。


 ちなみに、ザクロ以外の姉妹は社の中で入念な打ち合わせ中だ。ザクロとネズミと違って、ただ歩くだけでなく、香梨紅子の背後で刀を使った舞踊を踊り続けるのだとか。


「お、やっと来たな」


 しばらく、暇を持て余したザクロが木の枝で地面に落書きをしはじめた頃合い、社の大扉が軋しみ、小さく隙間を作った。


「わぁ……」


 扉が開け放たれ、最初に姿を見せたのはリンゴとミカンだ。真紅の着物に黒い帯、口紅をうっすら施し、桜の小枝を咥えている。その姿がいつにも増して艶やかにして幽玄で、ネズミの心を鷲掴みにした。


 続いてモモとカリンが社の大門から姿を現した。皆が真紅の着物の裾を綺麗に揃えてゆっくり階段を下る姿は、現実味のない夢現のような美しさがあった。


 見惚れるネズミに一瞥もせず、姉妹が石畳の続く参道に足をつけると、それぞれが道の脇に膝をつき、平伏して母のための道を開けた。


「ネズミ、私らも」


 どうやら既に神の儀式は始まっているようだ。ザクロも緊張を露わにして、右先頭のリンゴの隣で平伏。ネズミもザクロと対面する形で左先頭のミカンの隣で平伏した。

 ネズミは僅かに隣のミカンを伺い見た。舞踊のための極限の集中を社の中で作っていたのだろう。伏せた眼が澄み切っており、近付き難いほどに静謐な佇まい。呼吸の一つ一つの音にも気を払っているようだった。


 そうして、吐く息の音さえ伏せて待っていると、心地の良い相小町の足音が鳴った。

 社の中を反響して外まで漏れたその音は、次第に大きくネズミの右耳に響く。大きく大きく、やがて小さくなったのは扉を潜って外へ出たからだろう。

 カツカツと参道の石畳が鳴り、ネズミの頭上でそれは止まった。


「では、参りましょう」 


 紅子がゆっくりと村に繋がる参道を歩きはじめる。それに伴って、ネズミもザクロも桜の小枝を咥え、紅子と歩調を合わせて後ろに追随する。

 竹林に囲まれた一本道を皆で進み続けていると、ネズミはあることに気がついて驚愕を覚えた。


 皆で歩いているというのに、音が〝一つ〟なのだ。


 歩いているのは七人、足は一四本。にも関わらず、この場にいる誰もが香梨紅子の足音と一瞬のズレもなく足を運んでいる。二日前に少し練習したネズミでさえ、その一つの足音に加われているのだ。


 ──何が起こってるんだ。


 練習がいらない簡単なお役目。それは歩くだけだからではない。香梨紅子の鮮花の支配力の成せる技、それが簡単にしているのだ。

 鮮花は自分より強い花に付き従うようにできている。良い子にしていれば、強い花に取り込んでもらい、強い花と一つとなって自分も強い花の一部になろうとする。

 その特性を、その花の願望を遺憾なき発揮させて、ネズミ達の花と肉体を香梨紅子は支配している。


 意識せずとも自然と背筋が伸び、指先一つとっても綺麗に揃えられている。

 どうすればこれほどまでに他者を支配できるのか、ネズミには知る由もなかった。

 歩調を完璧に合わせた一向が竹林を抜けると。

 いよいよ暮梨村、その全容を一望できる高台に辿り着いた。

 そこで、ネズミは頭を殴られたような衝撃を受ける。


「──!」


 頭、頭、頭だ。

 並ぶ並ぶ、信者の頭が。並ぶ並ぶ。

 道を開けて道に沿って、平伏した信者の頭が、ずらりずらりと並んで揃う。

 花に飾られ、彩られた地面に、村中に、夥しく、綺麗に並んでいる。

 一様に、香梨紅子に向かって、一斉にこうべを垂れて平伏していた。


「フフフ、相変わらず圧巻ですね」


 しとりと言い、頭と花が開く道、その一歩を香梨紅子が踏み出した。

 ネズミもザクロも凛として、刀と灯籠、頭上に掲げて歩き出す。


 背後に控えた姉妹達、刀を引き抜き、舞踊を舞う。

 一歩一歩と歩く度、背後で風が巻き起こる。

 一糸乱れぬ舞の所作、風を起こして舞い踊る。

 花の香りのする風が、信者の頭を撫でつける。

 誰もが息を、潜めて伏せる。誰もが神に、こうべを垂れる。

 神の姿を見たくとも、頭を上げずに、我慢した。


 歩く、歩く、ゆっくり歩く。神がその道、歩まれる。

 そこでネズミは、見てしまう。村の真ん中、その光景。

 皆が頭を、垂れるなか、面を上げて、笑うひと。

 目玉を収めし、その場所に。黒く虚ろな、穴二つ。

 歩くネズミは、目が合った。目玉もないのに、目が合った。

 己が目玉も、抉れずに。見捨ててしまった、あの男。

 子供の成長、楽しみと。狼狽していた、あの男。

 笑う、笑う、虚ろな穴で。ひどく満たされ、恍惚と。

 この世の幸福、一身に。浴びているのだと、言うように。

 

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