第三二話 ネズミ VS モモ

「やります」


 ネズミが言うと、紅子は微笑み、リンゴとミカンは驚愕。モモとカリンは邪に嗤った。


「では準備をしましょうね」


 紅子が一つ手を叩くと、姉妹はそれぞれネズミとモモの周りから三〇歩距離を置いた。


「……がんばって」


 離れる間際、ミカンの沈痛な声音がネズミの背中を撫で、リンゴも心配そうな顔で肩に触れてくれた。

 そんな二人の様子を頭に焼き付けて、ネズミは熱した殺意を取り落としそうになる。


「バリ楽しもうなぁ、ドブネズミ」


 対峙するモモは余裕の面構えだった。ネズミと二〇歩距離を空けて念入りに準備運動をしている。一方的な蹂躙を存分に堪能する気なのだろう。

 ネズミが緊張の面持ちで佇んでいると、紅子の手がネズミの頬を撫で付けた。


「さて、私が焚き付けたのですから、良い風を起こしましょうかね」


 言うと、紅子は自身の長い黒髪を手に持って、ネズミに見せるように掲げた。

 すると、しゅるりと艶やかな黒髪が徐々にその身を伸ばし始める。


「──ェ」


 伸びる髪が蛇のように身をくねらせ、ネズミの両手に絡みつく。

 小さく呻いたネズミに構わず、次第に髪は指まで覆い被さって、ネズミの手を完全に覆い隠してしまった。

 そして、ぷつりと紅子が手を払って髪を切ると、切り離された髪のすべてがネズミの両手を覆い隠す。

 その途端、髪は火花を散らして変形し、継ぎ目のない動物の皮のような姿となる。


「こ、これって」


「握った刀が離れず、相手の刃も通さなぬ手袋です。これで指を切り落とされる心配はありません」


 神髪で出来た黒い手袋。質感も見た目も、ほぼ牛皮の手袋と変わらない。

 ネズミはその動きを確かめて感嘆の息を漏らす。指の動きをまったく阻害しない、最初から自分の皮膚として張り付いているような感触だ。なんと心強い支援でだろうか。


「それと、これを授けましょうかね」


 紅子が言うと、突然、ネズミの視界に火花が咲いた。

 紅子の指の爪が火花を散らして鋭く伸び、人間の二の腕ほどの長さに成長する。

 かと思えば、紅子はその鋭利な先端を自身の手の平に突き入れ鮮血を散らす。


「ちょッ、紅子様! 何を──」


「心配には及びませんよ」 


 ぽたぽたと赤い雫が垂れる中、瞠目するネズミに紅子は微笑んで爪を引き抜く。

 すると突如、穴の空いた紅子の手の平から、長細い〝白骨〟が飛び出した。


「──ヒッ」


 ネズミが小さい悲鳴を上げる中、紅子は飛び出た白骨を掴んで、刀を抜刀するようにゆっくりと引き摺り出す。


おん堕母羅尼だぼらに修羅秘理定業しゅらひりていぎょうおん抱児羅尼だごらに修羅秘儀胎蔵しゅらひぎたいぞうおん堕母羅尼だぼらに胎殻阿我羅苦はらからあがらくおん抱児羅尼だごらに空骸波我羅苦からがらはがらく


 神が朗々と羅神教の真言を唱えると、白骨は火花を散らしてその形を伸ばし、その身を細く変形させる。

 人の上半身ほどに伸びた白骨は、片側を鋭利に、切っ先を長く鋭く成長させた。


白骨刀はっこつとう紅雀べにすずめ〉──この刀の銘です。若い頃はよくこれで立ち回ったものです」


 紅子が一通りその出来を確認すると、自身の骨から作った太刀を、陽光に照らすように掲げてネズミに手渡した。

 受け取ったネズミは言葉を失う。太刀というよりは芸術品に近い。刀身は白く、暮梨村を囲む山岳を思わせる乱れ刃の刃紋。柄は紅糸を八の字に綺麗に絡ませた平巻。つばは花弁の模様を模った甲冑師鍔かっちゅうしつば


 この場にいるすべての者が息を呑み、その白刀の美しさに釘付けにされた。


「紅子様、これッ」


「気に入りましたか?」


「俺なんかには勿体無い代物です」


 ネズミは恐る恐る太刀を振ってその感触を確かめる。

 あまりに軽い。元が骨で出来ているためか、打刀とは比べ物にならないほどに軽量だ。

 そして何より美しく力強い。日に照らせば白光を帯びて刀身が淡く輝き、闇夜も明るく晴らしてしまえそうな神の如き輝きだ。


「フフフ、あなたのために作ったのですから、存分に役立ててください」


 紅子はネズミに朗らかに笑うと、モモに視線を移して試すように言う。


「私の娘であるなら、私を退屈させないでくださいね」


「はい。仰せのままに……」


 モモは帯を締め直して肩を回し、瞳に昏い闘志を宿らせる。

 助力を得たネズミを、もう侮ってはくれないようだ。


「ではネズミ、今から些細な助言をあなたに授けましょう」


 紅子の言葉に少年は姿勢を正して居住まいを整える。

 深く刻まなければならない。ド素人の自分が、強者に勝ち得る方法を。


       ✿

    

 心臓がやかましく、激しく波打って身体を揺らす。

 吸う息は浅く、意識は肉体の半歩後ろにある感覚。

 手足は冷たく、ネズミは握る紅雀べにすずめの感触を心の支えとした。


「では、両者。こちらへ」


 香梨大社の門前。その本殿の巨岩を背に、香梨紅子が厳かに二人を前庭中央に招く。

 姉妹が離れた場所で見守る中、互いに十歩の距離で立ち止まると、ネズミは荒く息を吐き、モモは見下すように澄ました顔をして静かな殺意をぶつけ合った。


 二人の相貌を見比べて、香梨紅子が粛々と告げる。


「言うまでもありませんが、モモは鮮花を開くことは禁止します。ネズミは開けるものなら開きなさい。この闘争はあなたの開花を促すものでもありますから」


「「はい」」


「勝利条件は……いや、無粋ですね。刃で対話し、二人で決めなさい。羅刹の流儀です」


「「はい」」


「では──」


 二人の返事を聞き届け、香梨紅子は五歩後ろに下がり、片手を大きく振り上げる。


「はじめッ!」


 開始の合図と共に、ネズミは一気に踏み込んだ。

 身体を動かせば、きっと怖気は消え、覚悟も後からついてくると。

 モモに目掛けて突貫している最中、モモの片手がキラリときらめいた。

 何だ、と頭に浮かべた一瞬の疑問は、自分の胸に走る強烈な痛みによって回答を得た。


「──ッ!」


 短刀だ。それがネズミの胸部真ん中に深々と突き刺さっている。

 たまらず呻いて、ネズミは足を止めた。


「こんなもんも避けられないとかぁ!」


 罵倒が聞こえた瞬間、下から風を薙ぐような逆袈裟斬りが、ネズミの胴体を切り裂いた。

 焼けるような痛みが横断し、ネズミは自分の鮮血に濡れながら、両膝を地に着けてしまう。


 直後、横から顔面に強烈な蹴りを喰らって、盛大に地を転がる。

 背中で地面を削り、土にまみれ、滑る肉体がぴたり止まった。

 そこは、優雅に佇む香梨紅子の足元だった。


「ネズミ、先ほど言ったことを覚えていますか?」


「は……い……」


 仰向けになりながら、ネズミは香梨紅子を見上げてなんとか返事をする。

 茫然自失しながら、ネズミがなんとか立ち上がると。

 次の刹那、肉体が火花を散らして傷を回復させ、意識の手綱もネズミの手元に戻ってゆく。


「勝ち筋はあります。あるから、私はあなたを送り出したのです」


「はい、やってみます」


 神に情けない姿を見せてしまった。武具まで与えてもらって、一瞬で終わらせるわけにはいかない。

 ネズミは胸に刺さる短刀を引き抜き地面に打ち捨て、鮮血に濡れた口元を拭う。


「遅い、さっさとかかってこんね!」


「行きます!」

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