第三四話 ザクロは笑う

      ✿


「ふむ……これは、初めて見た現象ですね……苦しみを対価に、力の片鱗を見せましたね」


 ザクロとモモのの醜い争いを尻目に、香梨紅子が静かに呟いた。

 次には、モモが手放した刀を拾い上げ、地に落ちた刀身の欠片に視線を移す。


「刀が折れるではなく、硝子のように砕けるとは」


 硝子のような単一相で出来た物質は、強い衝撃で砕けることもあるが、刀は玉鋼という粘りのある素材から作られる複合体だ。強い力や熱で折れたり曲がったりすることはあれど、砕けるというのは余りに不自然な現象だ。ましやネズミは刀身を噛んでいただけだ。上下に一定の圧力を加えていただけに過ぎない。


「……花の音が立たなかった……にも関わらず、能力が顔を出した。点と点が上手く繋がりませんね……」


 興味深いとばかりに、紅子が膝を折って刀の破片に手を伸ばすと、


「なんと、まあ」


 自分の手が震えていることに気がついた。

 その反応は武者震いか、怖気か、それとも──。


「母上」


 自身の手を見つめる紅子の背中に、目ざとくリンゴが声をかけた。


「どうしはったんですか? なんやネズミはんに期待しとるみたいやけど」


 聞くと、香梨紅子が驚いたように口を半開きにする。それを見てリンゴも肩をわずかに跳ねさせた。

 リンゴは十八年、香梨紅子の娘をしているのだ。母の目元は白布に包まれているが、細かい変化は察することができる。

 間違いなく動揺している。絶対的な神として君臨してきた香梨紅子が。


「期待? ですか? そう見えましたか?」


 その問いにリンゴが首肯すると、紅子は自身の唇に触れて微かに俯いた。


「そうですね。この私でも親としての煩悩が宿ってしまう。親の期待など、子にとっては呪いのようなものだというのにね」


 言うと、香梨紅子は颯爽と自身の社へと歩き出した。

 姉妹とネズミに見向きもせず、まるで急用が出来たかのように。


「なんや……あの態度……」


 そんな母の背中を見送ったリンゴは、自身の頬に触れながら思考を駆け巡らせる。

 ネズミ──あの少年は、母に特別な愛情を向けられている。

 あの少年は神の戯れに獣の姿に変えられたのか?

 美意識の高いあの母が、戯れにそんなことをするか?


 益がない。そんなことをしても香梨紅子に得がない。

 百歩譲って、戯れに能力を使って鼠の姿に変えたのだとしても、それに愛情を注ぎ、あれほど特別な武器を与える人物ではない。

 姉妹の中でも誰一人として受けたことがない特別な待遇だ。

 ならば、ネズミの能力の開花に期待して、モモと殺し合いをさせたのか?

 鮮花の方に、香梨紅子が心を配る何かがあるのではないか?


「どうだコラァ! 義手の拳の味はどうだって聞いてんだァ!」


「ザクロォオオ! 調子に乗んなキサン!」


「やめなさい二人とも! やめ……やめろって言ってるでしょう!」


 ザクロとモモの拳の応酬はますます白熱し、間に入ったミカンまでも参戦しだした。

 三人の喚き散らす声に、リンゴの思考は中断させられる。

 良い加減そろそろ止めるかと、溜息混じりに三人が殴り合う戦場に歩を進めた。

 今はこれ以上考えてもしょうがない。ネズミの鮮花の開花を見るまでは、すべて確信には至れないのだから。


       ✿


 笹の葉がはらりと舞い散る竹林参道で、少女が掠れた声で溢す。


「勝ったな、ネズミ」


 姉妹との乱闘の末、ザクロは精根尽き果ててネズミの背に担がれている。

 ネズミも今にも倒れそうなほどに消耗している。ザクロを自宅へ帰す役割さえなければ、道の真ん中であろうと構わず寝転がりたいくらいだ。


「いやぁ、負けですよ……ザクロさんが助けてくれなきゃ、どうなっていたか。それにみんなの前で泣いちゃったし」


「いいや、お前の勝ちだ。あいつも泣いてたぞ。お前がモモの矜持に一太刀浴びてやったんだ」


 誇らしげにザクロが言うと、ネズミは呆然と視線を足元に落とした。

 働かない頭の中で反芻するのは、自分が神の期待に応えられなかったこと。

 みっともない立ち回りをした挙句、モモの首に一太刀浴びせられなかったこと。

 満身創痍なネズミに一瞥もせずに社の中へ帰ってゆく神の後ろ姿。

 それらが焼きついて離れない。


 次、もし、同じ状況になったら自分はどうするか。

 気の重い問いを自分に投げかけて、ネズミは家路を弱々しい足取りで歩く。


「誇っていいんだぞ、ネズミ」


 ザクロが囁くように言うと、ネズミの頭を左手で撫で付け、穏やかな寝息を立て始めた。


「ありがとうございます」


 ザクロが言うのだから、一欠片の自信は抱いて良いのかもしれない。

 ネズミは少女を担ぎ直して、空を仰ぐ。 

 雲一つない昼の晴天が、少し、ネズミの心を軽くしてくれた。


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