第二二話 決断
ネズミの視界の先で、鮮血と火花が舞い踊る。
二つの剣線を掻い潜り、白刃を振るうザクロが妹二人の肉体を切り裂いている。
モモとカリンは負傷を物ともせず、果敢にザクロに斬りかかる。
そんな
願わくば、このままザクロの勝利で終わってくれたらいい。それなら自分の出番は回ってこないのだから。
「クソガァアアッ!」
突如、ザクロが苛立たしげに叫声を上げた。モモとカリンの立ち回りが変わったらしい。二人は時間稼ぎをするように、ザクロの間合いに入ってはすぐに離脱して打ち合いを避けはじめた。
「そろそろ刻限ちゃなかか? 動きが雑になっとうなぁ」
モモの言葉が示すように、急激にザクロの動きが病人のように重くなる。額には汗を滲ませ、血に濡れる双眸は焦点が定まらず焦燥の色を帯びはじめた。
「ゴッ──」
カリンがザクロの背後から振り下ろした一刀が背中を横断した。傷は即座に回復の火花を上げるも、その回復の速度もやけに遅い。
「オラァアアア!」
体勢を崩したザクロの顔面にモモの蹴りが命中する。地に転がされたザクロは、四つん這いになって肩で息を切らし、打刀を杖にしてなんとか起き上がった。
「ありがとよ……おかげで親知らずが抜けた」
吐血と共に奥歯を吐き捨てて、袖で口元を拭うと、
「そこまで強がれるなら
「愚かにも程がある。苛められるのがそんなに好きか?」
モモとカリンから
「いいや、もう飽きた。馬鹿な妹の相手は疲れるわ。二人で大人しくあやとりでもしてろよ。ちょっとは女らしい遊びを覚えなさい。ああ……馬鹿だからあやとりの仕方もわかんねえか」
「馬鹿はキサンちゃ!」
怒声を合図に、二人がザクロに向かって突撃する。
遠くで見守るネズミは、また眩暈がするような斬り合いが始まる、そう思った。
「単純だね、お前らは」
二つの白刃が振り下ろされる直前、ザクロは姿勢を低く地面に身を滑らせ、二人の間を颯爽と通り抜ける。そして滑る肉体を回してでんぐり返り、足を地に着けてすぐに、懐から〝黒い何か〟を取り出した。
モモの能力で産み出した大蛇だ。先程、両断した蛇の死体を懐の中に隠し持っていたのだ。
慌てて妹二人が振り返った瞬間、ザクロは打ち水を撒くように腕を横に薙ぎ、大蛇の死体から鮮血を噴射する。
「貴様ッ、また」
「ガアアッ、私の蛇を!」
鮮血は見事に二人の眼球に命中し、視界を潰して怯ませる。
「じゃあな、阿呆ども!」
悪態を巻いて、ザクロは脱兎の如く逃走する。もう大立ち回りを演じる気はないようだ。
だが、その進路は──ネズミの佇む場所と重なった。
「ドブネズミ、今やッ、捕まえちゃれ!」
名を叫ばれ、ネズミの心臓が跳ね上がる。
お鉢が回ってしまった。既に二〇歩の距離にザクロは迫っている。
ネズミに決断が迫られる。ザクロの捕縛は神からの命令だ。背くわけにはいかない。身の振り方を決めなければならない。
瞬時に、ネズミは浅ましい打算をはじき出す。
──よし。
ザクロの駆ける進路を遮って、ネズミは大きく両手を広げて待ち構えた。
間抜けな格好だ。素直に捕まる方がどうかしている。だがこれで良い。間抜けなフリをすれば万事解決だ。
ザクロが進路を切って、左右のどちらかに逃げてくれるはず。もしくは、ネズミの顔面に一撃浴びせて転がしてくれれば尚良し。自分は大の字にノビていれば、それで手番は終わりだ。
しかし、そんなネズミの願いは叶わなかった。
「ああ……お前まで駆り出されちまったか……」
ザクロの足運びが急激に緩んで、破気のない歩みに変わってゆく。
そして三歩の距離で立ち止まり、刀を鞘に納めて一つ息を吐く。
「……ごめんな」
どうしたというのか、ザクロは悲痛に顔を歪ませてネズミの眼前に静かに佇んだ。
その不可解な行動に困惑を極め、ネズミは声を落として絞り出すように問う。
「なんで逃げないんですかッ」
目の前に佇む木偶の坊なぞ、簡単に通り越せるというのに。
「お前にまで迷惑かけちまうなんて。どうして想像できなかったんだろうな」
──違う。そんなことを聞いてるわけじゃない。
ネズミは必死に瞳で訴える。逃げてくれと。
しかし、その瞳の色を見てもなお、ザクロは首を横に振るばかりだった。
「……もう無理だ」
「無理じゃないでしょッ、今からでも走れば──」
「聞こえないか? 足音が」
その問いに、ネズミは背筋を冷たくした。
そして、ゆっくりと首を回して背後を伺う。
彼方に平伏する、四女と五女。
肌に纏わり付く、仄かな冷気。
妖しく波を打つ、衣擦れの音。
遠くで聞こえる、葉を踏む音。
刻限を宣告する、花を踏む音。
わかってしまう。飼い慣らされた犬ように、主人の音がなぜだかよく聞こえる。
風にしなって竹の節が軋む音、枝から落ちた笹の葉がひらりと舞う音。それらが絶えず鳴っていると言うのに、神の足音だけがやけに輪郭を帯びていた。
「まさか、私なんかのために出張ってくるとは……年に数度しか出てこない母上が」
どんなに追い詰められようとも強がっていたザクロの声音が、ひどく鬱々としていた。
ネズミはその声を聞き届けると、
「逃げましょう」
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