参ノ花 ー五戒ー

第二十話 義手

 分厚い雲の切れ間から陽光が顔を出した昼八つ(一四時)。

 枝垂れ桜が舞う暮梨村の広間の一角で、ネズミは毛玉の虜となっていた。


「うーん。超カワイイ」


 茶トラの猫を腕に抱えて存分に顔を綻ばせる。同じ毛玉に覆われた生物だけに、どこか親近感さえ湧いてくる。


「一応お聞きしますが、喉の様子は?」


 彩李いろりに問われて、ネズミは「いいえ」と声を落とす。


「俺は何もないですけど、代わりにこの子が鳴らしてくれています」


 ゴロゴロと喉を鳴らして、猫はネズミの顔に頬ずりした。前足を揉むように前後に動かしては、鼻から甘えたような吐息を漏らす。


「おお、俺をお母さんだと思ってるのかな? もうやだぁん、可愛すぎるんですけどぉん」


 だらしなく顔をとろけさせるネズミを見て、彩李は額を揉んでガックリと項垂れた。


「うぅむ……三日かけましたが、成果なしですか」


 ここ三日、ネズミの日常は乱高下を繰り返した。朝から昼までは、リンゴやミカンと一緒に家事や昼食の時を。昼から夜にかけては永延と村人達と抱擁法を。

 リンゴとミカンとの時間は、ネズミにとって心が華やぐ一時であるが、抱擁法のために暮梨村を訪れると、周囲から冷たい視線で針のむしろとなる。


 老爺に危害を与えようとした一件のせいで、村人達から送られる視線に怖気が含まれている。ネズミと抱擁する者のほとんどが、いくら密着していても心が通い合う感触がない。


 加えて、能力の開花を行えないネズミに対して、呆れの交じる溜息と、うんざりする悪態がそこらから漏れ聞こえてくる。花を開けぬ羅刹らせつは、香梨紅子こうなしべにこの顔に泥を塗る出来の悪い欠陥品のように見えるらしい。


 そして現在、人間がダメであるならばと、犬や猫、鶏と抱き合う始末。


「まことに頑固な鮮花あざばなでございますね。例えるなら、伴侶と同衾どうきんしているにも関わらず、指一本触れさせないこじれた生娘のような花でございます」


「そこまで言います?」


「言いますとも。三日を要して開花しないとなればねぇ」


 大きな溜息を吐かれ、ネズミの胸がチクリと疼く。


「あのぅ……実はもう、俺の鮮花は開いていて、目で見えないくらい地味な能力とか、そんなことありません?」


「もちろん一目でわかる能力ではない可能性はございます。昔、鏡の中に物を隠せる羅刹と出会ったことがありますから」


「おお、じゃあ俺もそういう類の能力だったり?」


 ネズミは僅かな希望を見出すも、彩李の渋い顔が左右に振れる。


「能力の発動には鮮花の開花音が伴うはずですから、ネズミ様が開花できていないのは明らかにございます」


「うぅん……やばいなぁ……」


 ネズミは大いに肩を落とす。彩李にまで愛想を尽かされるのであれば、いよいよ自分の居場所が無くなるのではと。


「紅子様もガッカリさせちゃったし、俺はもうだめなのかもしれませんね」


 漏らした弱音に、彩李が「ふむ」と顎を擦る。


「紅子様はなんとおっしゃっていましたか?」


「えっと、確か」


 花咲くを待つ夜は長く。山巓さんてん仰ぐは遥か遠く。光さすは忘れるものなり。

 紅子が唱えた詩をネズミがなんとか反芻すると、彩李は得心した顔をする。


「なるほど、これは私も反省しなければなりませんね」


「どういうことですか?」


「ネズミ様は、ここまでどのように歩いて来られたか覚えていますか? 何を考えて歩いてこられたか思い出せますか?」


 問われて、ネズミは我が身を振り返る。はっきり覚えていない。ただ抱擁法の時間が憂鬱で、居宅で昼寝していたいと考えていた気はする。


「漠然と歩いて、一歩一歩と足を前へ出してここまで辿り着いたのでは?」


「はい」


「どれほど遠かろうと、歩みを止めなければ必ず辿り着きます。呆然と日々を過ごしていたとしても、一日一日の積み重ねが、花に注ぐ水となるのです」


「結果に囚われるなってことですか?」


「そうです。未来など思わずとも良い。思えば思うほどに遠く耐えがたくなる。まずは一歩、次の一歩に集中なさい」


 彩李曰く、花の開花を待ち望む夜は長く感じ、山頂までの果てしない道程を思うと、余計に遠く感じる。雨が上がるのをただ待っていると、時間を無駄に浪費するばかりになる。故に、忘れて没頭するのが吉であると。


「紅子様のありがたいお言葉です。よく胸に刻んでください」


 ネズミは胸を撫で下ろす。どうやら自分は神に呆れられていたわけではなかったのだ。


       ✿  


 西日が赤く染まりはじめる七つ半(一七時)。本日の抱擁法が終了し、帰路に立つ頃合いだ。


「そういえば、ネズミ様は夕食の用意は誰と? 昼と同じく、リンゴ様かミカン様と?」


 ふと、座布団を片す彩李からそんな疑問が投げられた。


「いいえ。ありがたいことに、朝も晩もザクロさんがいつも家に置いておいてくれています」


 答えると、彩李は「ほう」と感心したように濃い皺で微笑む。


「随分とまあ、懐かれましたな」


 たしかに、気に入らない相手に律儀に食事の用意はしないだろう。

 だが、そんなザクロとあまり話せていない。何をはばかって香梨紅子から隠れ潜んでいるのかはわからないが、姿を見ても一言二言交わして、すぐに何処かへ居なくなってしまう。

 ゆっくり話がしたい。その一念をずっとネズミは抱え続けていた。


「ザクロさんは、なぜ隠れているのですか?」


 ネズミが漏らした疑問に、彩李は僅かに身体を跳ねさせ硬直した。


「それは……うむ……どうしましょう」


 彩李は空を仰ぎ見て、思考を迷走させる。


「ネズミ様を気遣って口を閉ざしておられるのに、この彩李めが打ち明けてよいものか」


 しばらく呻くように迷って、ようやく彩李は決心したような顔をする。


「ネズミ様、実はですね──」


「オラァ! どけちゃコラァ!」


 突然、彩李の低声を遮って、剣呑とした怒号が割り込んだ。

 抱擁法のために集まっていた村人を掻き分けて、五女モモが荒々しくネズミの元まで歩みを進めてくる。


「よぉ、ドブネズミ」


 意地の悪い笑みを浮かべる眼前に立つ桃髪の少女を見て、ネズミは背筋を縮こめた。


「こ、こんばんは……モモさん……」


 初対面からすっかり苦手意識を刷り込まれた。リンゴとミカンにも近づかないほうが良いと忠告され、まともに相手はしてはいけないと言い含められている危険人物だ。


「尻の調子はどうちゃ? あぁん? なんやキサン、言いたいことあんなら言いちゃ!」


 嘲笑するような瞳に射すくめられて、ネズミが目を泳がせていると。


「目逸らすなゴラァ! 耳ぃ噛みちぎるど!」


 その犯人が地面を踏み荒らして急接近し、蛇のように二つに割れた舌で捲し立てる。そして、荒々しくモモの右手がネズミの胸ぐらに伸びた。

 しかし、先んじて彩李がネズミを庇うように前へ出る。


「そちらこそ村で何を? また人間を虐めたりはしていないでしょうね? 聞きましたよ。ついこの間、若い女子にちょっかいをかけたと。大体あなたは──」


「うぜぇ小言吹っかけんなババアコラッ、余命を振り絞って鳴き喚くアブラゼミか!」


「風情があるではないですか。暇であるなら、ババアの鳴き声に耳を傾けていかれますか?」


「ハッ! 何が楽しくてキサンの相手しなきゃならんとか!」


 喧々けんけんと吐き捨てるモモに、彩李は快活に笑って先を促す。


「それで? モモ様は何か用があるのではないですか? わざわざ小言を聞きに我々に近づいたのではありますまい?」


「用があんのはキサンじゃないと。そこのドブネズミや」


 白羽の矢を立てられたネズミは、肩を跳ねさせる。


「な、何でしょうか……?」


「母上の命令や。キサンにザクロを捕まえる手伝いをさせろ、と」


 その言葉に、息を呑んだのはネズミだけではない。彩李もまた焦りを露わにしていた。 


「まさか、紅子様がそのようなご命令を……」


「三ヶ月や。三ヶ月もあの女は母上からトンズラこいとう。いい加減、潮時なんちゃ」


 言うなり、モモは彩李を押し退け、ネズミの首に腕を回して荒々しく肩を組んだ。


「〝義手〟をつけるのがそんなに怖かとかねぇ。あの臆病者の首根っこ捕まえて引きずり回してやろかいなぁ。なあ? ドブネズミ」


 義手。


 その単語はミカンの左手と、リンゴの右足を想起させた。あれらはひどい負傷を負い、手足が動かなくなったから付けられた物じゃないのか? 


 ネズミは疑問を浮かべて即座に気がつく。自分も香梨紅子の娘達も負傷は即座に治ると。


「その……どういうことなんですか? ミカンさんとリンゴさんが付けていたアレらは一体、どういう経緯で?」


 ネズミの問いに、彩李は目を伏せて覇気のない声音でつらつらと答える。


「肉体の中で生命を編む能力、それは羅刹の中でも大変貴重な奇跡なのです。リンゴ様もミカン様も、義肢を付ける前は自分の肉を引き裂いて生命を生み落としていました。あの義肢があるからこそ、ザクロ様も今後は負傷することなく羽虫を産み落とせるのです。鮮花と、ひいてはご本人のためなのです」


 問われたから答えた、というよりは、どこか自分に言い聞かせるような響きだ。少なくともネズミにはそう聞こえた。


「腕を、落とすんですか?」


「……はい」


「そんなのあまりにも──」


 非難を口にしそうになったネズミは、彩李の相貌を見て押し黙る。彩李があまりにも気落ちしている様子だったからだ。


「うし、じゃあ行くか」


 音頭を取ったモモは、乱暴にネズミの首の肉を摘まんで強引に歩かせる。


 ──いやだ。


 毎朝、毎晩、食事を振る舞ってくれる少女の腕を落とす? その手伝いをしろと? そんなものは御免被る。

 ネズミが尻込みして立ち止まると、モモはその態度に眉尻を吊り上げ、ネズミの胸ぐらを強引に引き寄せた。


「母上が認めようが、花を開けない限りキサンは羅刹でも人間でもない。なんの取り柄もないドブネズミちゃ。せいぜい気合い入れて励め。じゃなきゃ──」


 キサンはおしまいだ。その侮蔑の言葉に、ネズミの腹の底が熱くなる。


 酷いことを言う。与えることが暮梨村の流儀であるなら、傷付けることがこの少女の流儀らしい。『何もそこまで!』と抗議したいところだった。


 だが、モモの殺意を煮詰めた眼がそれを許さなかった。ネズミを射すくめ、心を惨めな汚泥の中に沈めていく。


「身の程を知りぃ、薄汚い獣風情が」


 凄惨な言葉を吐かれ、ネズミは村の外へと引き摺られてゆく。

 助けを求めるように彩李を振り返ると、丸めた背中をこちらへ向け、頭を垂れて手を合わせていた。


「どうか、ザクロ様によき縁の糸を……」

 

 そんな悲痛な祈りが、ネズミの鼓膜を微かに叩いた。

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