第十九話 かくれんぼ
──煩わしい。しつこいにも程がある。
ザクロは腹の底で悪態をついた。長女にこっそり料理を習って居たというのに、煩わしい妹がここまで嗅ぎつけて来てしまった。
「キサン、本当やろうな!?」
「せやから、知らん言うてるやん!」
「本当にザクロを見てないとか? 隠し立てすれば──」
「すればなんや? 誰に言うてる? おどれが私に言うとんのか?」
リンゴが出刃包丁を片手にドスの効いた低声を放ち、モモを存分に威圧した。
互いに憤怒の形相で一歩二歩と畳を踏み鳴らして間合いを詰め、胸ぐら掴み合う。
「キサンに言うとーぞッ、クソ女ぁ!」
「長女の私に、四女のおどれが意見するんか? 調子に乗るんもええ加減にせえよ!」
香梨紅子の娘達の序列は、そのまま
「母上の命令や言うちゃろーが! ザクロを引っ捕まえな、いけんじゃろが!」
「おらん言うとるよな? これ以上、料理の邪魔すんねやったら」
言葉の途中で、さくり、濡れた音が立った。
「刺すで」
もう刺してるじゃん。押入れに潜むザクロは、零れそうになった言葉を必死に押し殺す。
モモの脇腹からポタリと雫が落ちて、畳にいくつも紅の花を咲かせている。最後に互いに掴み合った胸ぐらを解放して、視線をぶつけて後退り。
「覚えちゃれよ、リンゴォ。キサンの花は私が食らっちゃるぞ」
「やってみぃ。あんたには一生かかっても無理や」
悪態を一つ交換し合うと、モモは玄関の障子を乱暴に蹴り破り、刺さった出刃包丁を打ち捨てて退散した。
その足音が聞こえなくなるのを聞き届け、ザクロは襖をそろりと開け放つ。
「いやあ、リンゴ姉は頼りになるなぁ。マジでありがとッ」
カラカラと笑って、背を向けて立ち尽くすリンゴに感謝を述べると。
「ん?」
リンゴからの返答がない。その場に黙って佇むばかりだった。どうしたんだと肩に手を置いてこちらに振り向かせて見ると。
「……めちゃ痛い」
振り返ったリンゴの口元に鮮血が垂れていた。よく見れば、腹部に短刀の刀身を深々と沈め、白い着物を赤く染めている。
「お前も刺されてるのかよ。やるようになったな、あいつも」
「ちょいと油断しただけやし」
リンゴは不貞腐れるように舌を打ち、短刀を引き抜いて着物の袖で口元を拭う。腹に負った刺し傷が激しく火花を散らして回復するのを見届けると、口内に溜まった血を縁側から吐き捨てた。
「しょうもな」
姉妹が諍いを起こすと、誰かが血を流す羽目になる。香梨紅子の施された回復力に甘んじた娘達は、幼少の頃から刃傷沙汰を日常茶飯事にして互いを鍛え上げている。
それが、強き羅刹であることを義務付けられた香梨紅子の娘達の宿命であった。
「私が庇えんのも、そろそろ限界や」
リンゴが血濡れの短刀を水桶に浸しながら送った苦言を、ザクロは重く受け止める。
「……わかってる。もうここには来ないよ」
「さっさと覚悟決めてまえば、こそこそ逃げ回らんでもええんちゃう?」
「いや、足掻ける内は足掻くよ。幸い、母上は外界を嫌ってるし」
香梨紅子は生物の変質変化という超常の力を生まれ持っているせいで、年齢を重ねるほどに聴力が鋭くなってゆくそうだ。故に音の多い外界に長居することを嫌い、村の行事以外では一年の内の数度しか外出しない。
だから、わざわざ娘のために出張ってはこないだろうと、ザクロはそう踏んでいる。現に、どれほど重大な用命があろうが、モモとカリンを差し向けるだけに留まっている。
「それでも、最後は母上の思い通りになるで」
「まあ、そうなんだけどな」
「わかっとるのに、時間稼ぎ必要か?」
問われて、ザクロはバツが悪そうに頭を掻いて、次女ミカンの左手に思いを馳せた。
あの黒い木肌の義手は、料理をするには不都合が多い。
「ミカンがさ、料理しなくなったじゃん」
「せやな」
「血の匂いが料理についちまうってさ。だから──」
もう少し生身の腕でいたい。ザクロが溢すように言うと、リンゴは自身の左足に触れる。その義足を付けられてから、何度も川で足を清めているのをザクロは目撃している。
「それは、しゃあないことや。母上が決めたんやから。母上より強くならな、意見する資格あらへん」
目を逸らして吐いた長女の言葉の裏に、やるせない怒りを感じ取る。
ここではそれは呑み込まなければならない感情だ。香梨紅子の娘でいる限り、羅神の庇護にいる羅刹である限りは、受け入れる姿勢こそが正しきことだ。
「わかってる。わかってるから、残された時間は喜んでくれる奴に使いたい」
ザクロは悲哀を帯びる微笑みを浮かべ、玄関から出てゆく。
その背中を見かねたのか、リンゴは手で壁を作って言い添える。
「これ以上匿えんけど、台所好きに使い」
背に受け止めた長女の心遣いに、ザクロは振り向かないまま右手を挙げて応えた。
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