第十三話 暮梨村にて①

 暮梨村くれなしむら


 その集落はザクロたち羅刹の住宅からは南西に半里離れた場所に位置する。

 村に住むすべての村人が羅神教らしんきょうの修行者であり、香梨紅子こうなしべにこを絶対の神として崇める信仰者だ。


 元は香梨暮子こうなしくれこ──紅子の母親が、あらゆる土地でかき集めた信者達であったが。

〝香梨〟の〈神名〉を紅子が継いでから、その信仰心をより強大なものに成長させているという。


 ふと、ネズミは前を歩く伊紙彩李いかみいろりの背中に問いを投げた。


彩李いろりさんの『伊紙』も〈神名〉ってやつですか?」


「その通りでございます。人間も羅刹も、本来であれば名は一つと決まっていますが、親の首を落として羅神となった羅刹は〈神名〉を名乗って、人里の管理運営を行うのが世の常でございます」


「じゃあ、彩李さんにも信者さんがいらっしゃる?」


「いいえ。今は、違います。二〇年ほど前までは、私めも羅神として遠方の地で人里の管理を行なっておりましたが、灰神かいじんに信者達を皆殺しにされましたので」


 灰神──羅刹が死亡し、歩く屍となった姿をそう呼ぶらしい。


 羅刹の喉奥に宿る鮮花が、宿主の死亡を合図に死体を乗っ取ってしまうとのこと。乗っ取られた死体は一人でに歩き、異能の力を振るって人々に災いをもたらすという。

 ネズミも一度見たことがある。川岸でザクロが灰神の首を刎ねているのを。


「ご注意なされよ。首を落とさないままに死亡すれば、羅刹はもれなく灰神と成り果てる」


「その……恐ろしいですね」


「ええ。とても恐ろしいことにございます」


 聞けば、はるか西に位置する村では、灰神が一晩で五百人の人間を焼死させたらしい。

 遠く南に存在する町でも、二千人の町人が陸の上で溺死していたという。


 そんな虐殺を未然に防ぐため、死亡した羅刹(灰神)の首を落としてやるのが、羅刹として生まれた者の使命であるらしい。


「私が治めていた村を滅ぼした灰神は、一つ息を吐くだけで全てを腐らせてしまう腐蝕ふしょくの灰神でした。ですが──」


 言いさして、彩李は肩を揺らした。


「紅子様に見事に打ち取って頂きました。あの見事な一太刀……あれは本当に見事な……」


 頭上を仰いで恍惚と笑う彩李に、ネズミは若干の怖気を感じつつも質問を重ねる。


「二〇年前と言うと、紅子様はおいくつだったんですか?」


「今年三二歳を迎えられるので、当時は一二歳でございます。羅神教の修行のため、放浪の旅をしておいででした」


「一二歳で……凄まじいですね……」


「ちなみに、この顎の傷は誰につけられたと思いますか?」


 彩李は自身に刻まれた下顎の刀傷を指で叩いて見せる。


「話の流れ的に、紅子様?」


「ご名答。全ての信者を失い、気が触れた私は、救いの主である紅子様に飛びかかってしまったのです。年端も行かない小娘に仇を討ち取られてしまったこともありまして。その悔恨の念が暴走した次第で」


「それで返り討ちに」


「はい。目にも止まらぬ一太刀を頂きました」


 ネズミは自身の尻に手を当てる。彩李の顎を裂いた斬撃の威力に覚えがあるせいか、尻の付け根に僅かな疼きを覚えた。


「しかし刃が脳に達する前に、紅子様が気まぐれを起こされ、今も生かしていただいております。以降、紅子様の信徒の一人に加えられ、暮梨村の村長として運営の一部任せて頂けているのです」


 ホホホっと前を歩く老婆が自慢げに笑い、笹を踏む音をしとりと漂わせる。

 二人は引き続き竹林が立ち並ぶ山道を通り、件の暮梨村へと向かう。

 ネズミの開かぬ鮮花を開花させる方策を村の中で実施するというのだ。


 てっきり、リンゴとミカンも付いてきてくれるものとネズミは思っていたのだが。

 何か都合が悪いことがあるのか、暮梨村に行くこと自体を避けるような素振りを見せて、二人は桜の下に居残った。

 そんな姉妹の態度を思い出すと、目的地に近づけば近づくほどネズミの足取りは次第に重くなってくる。


「いずれ、ネズミ様も紅子様からお役目を任せられます」


「へぇ……」


「そのときのために、鮮花の開花をしておかないといけませんからね。本日は張り切って修行にお努めになってくださいませ」


「はいぃ……」


 なんとも覇気のない相槌を足元に落として、ネズミは胸に溜まる不安を恐る恐る吐き出した。


「あの、本当にオレが村に入っていいんですか?」


「さっき問題ないとお伝えしたばかりではございませんか」


「先日、怯えられて逃げられたり、化け物だって言って追いかけ回されたばかりですし。やっぱり騒ぎになったら、超やだなーって」


「問題ありません。ネズミ様が意識を失われてから、私が村に知らせておきました。私たち同様に敬意を示すべき羅刹であると。なので、ご心配には及びませんよ」


 ──本当かなぁ……。


 先日のように追いかけられることはないにしても、この珍妙な肉体を見た人間達が、ゆびして嘲笑あざわらう姿が目に浮かんでしまう。

 もしかすると、汚物を見るような目で忌避され、逃げられることもあるかもしれない。


 彩李との雑談で気を紛らわしてはいたが、迫るその時に頭に巡らせ、ネズミの胸の内は雨模様に染まってゆく。


 ──さあ、どれだけ惨めな思いをするか。


 心の中でネズミがそんなことを呟けば、老婆が踏む笹の音が『弱音など聞かぬ』と言っているように早まっていく。その音が殊更、ネズミの心に不安を募らせる。


 竹林を抜けた先、二人は暮梨村を一望できる高台に辿り着いた。大きな山々に囲まれた集落は山裾に沿って緩やかな弧を描き、東の山岳から流れる川がたすきのように横断している。


 村の中では川の近くに建てられた水車小屋から楽しそうに笑う子供たちが駆けてゆき、それを穏やかに見守る主婦達が輪を作って楽しそうに針仕事をこなしていた。


 そんな心を穏やかにさせる田舎の風景に、ネズミはくつくつ肩を揺らす


「あんな平和そうなのに、かわいそうだなぁ。今からオレの姿を見たら、慌てふためき逃げ惑う、阿鼻叫喚の地獄絵図になるんだ」


「卑屈すぎますよ!」


「卑屈にもなりますよ。鼠なんて病気を持ち込む負の象徴ですからねぇ。へへへ、いっそヨダレでも垂らしながら、四つん這いで村の中を駆け回ってやりますかねぇ!」


「ああもう!」


 両腕をだらりと地につけそうなネズミの手を強引に取って、彩李は老婆と思えない腕力でネズミを引っ張る。


「ほら、こうしていれば逃げられることもないでしょう?」


 戸惑い引きずられ、ネズミはたたらを踏んだ。「ちょいちょーい!」と抗議を送るも、彩李の歩みは止まらなかった。


「これじゃあ、逃げられないのはオレの方です!」


「ごちゃごちゃ言わない! 男子として背筋を正しなさい!」


 これは妙に照れ臭い。親と手を繋いでいないと歩けない稚児のようで体裁が悪い。

 だがしかし、冷静に考えれば、老婆と手を繋いで仲良く歩いていれば、いっそ愛くるしく写るだろうか? それは、怯えられるよりはるかにマシというものだ。


「何事もなければいいなぁ」

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