第十二話 桜の木下で

 ネズミは朝食を食べ終えると、腰を上げて家屋の外へ赴いた。

 戸を開けて真っ先に視界に飛び込んできたのは盛大に舞い散る桜の花びらだった。

 玄関から二〇歩の距離、広い広間の真ん中に見事な桜の木が聳え立っている。枝振りといい、その大きな佇まいといい、まことに絵になる大桜だ。


「はぁーッ。春爛漫だなぁ──ん?」


 感嘆の息をついて束の間、頭の中に疑問が浮かぶ。自分は気を失う前に、夏に咲く花をいくつかこの目で見てはいなかったか? 今はいったい何月なのか。


 小首を傾げて辺りを見渡すと、桜の木の根元に腰を降ろし、何やら針仕事をしている次女ミカンが、ネズミに気がつき手を振っていた。


「おはようー、ネズミちゃん」


「おはようございますー!」


 ネズミが駆けてゆくと、ミカンがクスっと自然に笑みを溢した。


「名前、昨日は怒っちゃったけど、実際呼んでみると可愛いね」


「はは、なんか自分でもしっくり来てます」


 ネズミは曖昧に笑った。なぜあの時ミカンが怒っていたのか、それを考えると胃に不快感を覚えた。惨めな気持ちと誇らしい気持ち、その相反する二つの感情が腹の中で踊るのだ。


「あー、そういえば……」 


 沈黙を嫌って、ネズミは言葉を繋ぐ。腑に落とし切れていない感情を棚に上げて、目先の異常事態に視線を移した。


「あの、今って、何月なんですか?」


「ん? ああ、ごめんね。紛らわしいよね。七月だよ」 


 立派に咲き誇る大桜を指差し、ミカンは誇るわけでもなく、むしろ不出来を恥じるように、申し訳なさそうに言う。


「私の鮮花あざばなの能力で咲かせてるの」


「ええ! すごい!」


「樹木であれば、何でも植えて咲かせられるんだ」


 ネズミは桜を見上げ、舞い散る桜の花びらを手に取って見つめ、瞳を爛々とさせる。

 その反応が初々しかったのか、ミカンが微笑んで左手の義手を掲げて見せた。


「この義手の中でね、植物の種を作れるの」


 仄かに光沢の帯びる黒い義手。見ればその表面はいくつもの木目が渦状に踊っていた。


「やって見せようか」


 ココココココココココ


 ミカンの喉が脈動した。キツツキがクチバシで木の幹を叩くような音。それはカリンの音より、聞く者の心を穏やかにする心地の良い音だった。

 そんな鮮花の開花音が鳴り響く中、掲げた義手の側面から六つの穴が開くと、「よっと」と、ミカンが可愛いらしい掛け声と共に素早く腕を振るう。


 すると、穴から小指の先ほどの茶色い豆粒が射出され、一粒二粒と地面に転がった。


 その瞬間だ。


「────‼︎」


 何本もの植物の根が土を突き破って飛び出し、蛇のようにのたうち回る。

 ネズミが驚愕して一〇歩後ろへ退避した頃には、暴れる木の根は大きく空に向かって伸び始め、次第に真っ赤な葉をつけた枝が生い茂る。


「うわぁ……」


 身を軋ませながら、ネズミの身長の四倍ほどの大きさに成長した紅葉の木が聳え立つと、最後に一つ身を震わせ、二人の頭上に鮮やかな紅葉を舞い散らせた。


「義手の中で種を作って、こうやって撒いて成長させることができるの。後から私の血を栄養として加えると、一年中咲かせることができるんだ」


「すごいッ、まるで神様の力ですね!」


 ネズミの称賛の声に、照れるでもなく、喜ぶでもなく、どこか物憂げな笑顔をミカンは作っていた。


「……こんな風に、羅刹は色んな力が使えるの。普通の人間にできない神様みたいな力かもしれない。でもね、覚えておいて欲しいの」


 ミカンの真剣な眼に見つめられ、ネズミは「え、はい」となんとか応えて居住まいを正した。


「母上のような神様として崇められてる羅刹でもね、所詮は人から生まれた人間なの。喉の中に花の形をした軟骨が生えてるだけなの」


 言って、ミカンはネズミの喉に優しく手を添える。


「だからね、ネズミちゃんが鮮花の能力を使えるようになっても、〝神様〟みたいになっちゃダメ。人の命を、人の選択を軽んじてはダメ。勝手に価値のないモノだと決めつけちゃダメ。どんなことでも、どんな状況でも、自惚れちゃダメ。人に優しくない人になっちゃダメ」


 矢継ぎ早に言われ、ネズミは困惑しながら僅かばかりに頷いた。

 頷いてみたものの、その心の内はいまいち理解できていない。自分が神になる未来など思い描けるはずもなく、ましてや能力の開花もしていない。


 どう返答していいかわからず、次の言葉を待っていると、ミカンが僅かに目を伏せた。


「起き抜けにごめん、こんな話して。記憶もなくなってるのに、急に色々言ってごめんね」


「いえ……その……気をつけます……」


 また謝らせてしまった。ネズミはひどく申し訳ない気持ちになった。何か言葉をかけようにも、自分はまだ何もわかっていない。ミカンに少しでも笑ってもらえるような、そんな話題の一つさえ自分は知らない。


 二人で揃って沈黙し、どんよりと空気が重く沈み始めたそのとき。


 黒い小さな影が三つ、ネズミの視界を素早く横切る。

 ツバメだ。三羽のツバメが突如、凄まじい速さでネズミの身の周りを旋回しだした。


「ちょ! なになに!?」


 ネズミの叫声を聞くと、徐々にツバメ達はフワリとその羽ばたきを緩め、驚いて身を屈めているネズミの頭に三羽仲良く肩を並べてふわりと着地した。


「なんや空気重そうやったから、つい驚かしてもうた。ごめんなぁ、ネズミはん」


 呆気に取られるネズミに笑いかけ、桜の木陰から長女リンゴが洗濯桶を小脇に抱えながら姿を現した。


「『はん』なんだ」


「『はん』やわ。なんや『さん』って感じちゃうし、こっちの方がええやろ?」


「うん、そっちの方が可愛いかも」


「せやろ。な? ネズミはん」


 水を向けながら、リンゴがネズミに微笑んだ。


「え、いや。はあ……? その、このツバメって──」


 ネズミは恐る恐る頭の上に鎮座するツバメに疑問符を打つと、くつくつとリンゴは笑う。


「なんやネズミはんの頭の上が気に入ってしまったみたいなんやわ。堪忍な」


 言うなり、リンゴはおもむろに着物の裾を捲って足を露出する。その足は女性の白く美しい柔肌、ではなく、ミカンの義手と同じ木肌の義足だった。


「ほい、戻りぃ」


 リンゴが合図すると、木肌の太ももから三つ穴が開く。

 すると、ツバメ達はネズミの頭頂部から即座に羽ばたき、義足の中へと素早く帰巣した。


「すごい……リンゴさんの能力だったんですね」


「そそ。ツバメをこの足ん中で作って、飛ばすことができるんよ」


 ぽんっと自身の右の義足を叩き、ネズミに良く見えるように足を上げる。

 うら若い乙女の四肢に義手と義足。事情を尋ねたい気持ちもあるが、昨日ここへ来たばかりの自分が不躾に仔細を尋ねるのも体裁が悪いと、返す言葉に窮していると。


「ちなみに左はなまめかしい生足でありんすぅ」


 リンゴは肩でしなをつくり、艶かな太ももをチラリとネズミに見せた。

 その肌がなんとも美しい。右の義足の無機質で硬質な木目に反して、ふわふわと柔らかそうで、いっそ淡く輝いて見える白肌だ。

 扇情的なリンゴの視線と相まって、ネズミの視線はまんまと釘付けにされる。


「ちょっと! リンゴ姉、はしたないからやめて!」


「ああ、太もも……」


 傍で見ていたミカンがリンゴの着物の裾を掴んで急いで足を仕舞わせて、小声で惜しんだネズミの眉間を指で弾いて灸をすえた。


「もー! やっぱリンゴ姉はネズミちゃんと接近禁止」


「はぁーあッ、うっさいわーほんまに。気難しなあんたは」


 やんやと口論を繰り広げていると、三人の元に新しい足音が近づいてくる。


「ほほほ、何やら楽しそうですな。ネズミ様と早くも打ち解けておいでで」


 桜の木陰から梅干し顔がひょっこり現れ、朗らかに微笑んでいた。


彩李いろりかいな。散歩か?」


「いえいえ、ネズミ様に入用がございまして」


 彩李がネズミを手で示すと、リンゴがその手を煩わしそうに払った。


「後にせい。ネズミはんは私と洗濯しに川へ行くんやから」


 リンゴが洗濯桶を掲げて見せると、彩李は残念そうに首を振る。


「紅子様の指示です。ネズミ様を暮梨村くれなしむらで修行させよと」

 

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