第四話 花の音
「お、オレが、こんなことを……?」
頭上の木の上で佇む若者達を見上げて、少年は首を振る。
「出来る気が、しないんですが……」
「僕と同じことは出来ない。でも、違う能力があるはずだ。僕のように生まれる前から鮮花を宿した羅刹と同じで、後天的に羅刹になった者も鮮花を喉奥に宿していることには変わりありませんからね」
「な、なんでオレが、その、鮮花を生やした羅刹だってわかるんですか?」
「後天的に羅刹になった者は肉体の一部が獣になると聞いています。ですが、君のように全身が獣に成り代わる者など文献にも載っていない。と言うことは、世にも珍しい凄い花を持っているのでしょう」
心底楽しみにしていたとばかりに、カリンは手で先を促す。
「君の能力も見せて下さい。いやー楽しみだなぁ」
顎に手を当て、さあこれから何が飛び出すか、と期待が込もったカリンの面持ちに、
「へ? いや、どうやって、ですか? どうすれば」
まったく何をしていいかわからず、目を泳がせて尋ねるも、代わりに侮蔑の視線が送られる。
「は? 君はどうやって歩いているか説明できますか? 簡単なことだ。僕がやったのを見たでしょう? 花を開きなさい」
「で、できません……」
「出来て当たり前のことです。やりなさい」
冷淡に先を促される。その視線の圧が焦燥を起こし、背中に汗が伝う。ここで少女の不興を買えば、自分も猿のように木に登る羽目になるのだろうか。
「えぇ……」
どうすればいい? 少年は必死に頭を回転させる。先ほどの、カリンが発したあの異音を真似てみようか? 花を開くというのは、喉を開くということなのかもしれない。それ以外、大した方策が浮かんでこない。少年は一息吐いて腹を括った。
「ヒ……ゲフンゲフン。ヒヒヒヒヒヒ……」
大口を開けて、空に向かって引き笑い。しかし何も起こらない。
恐る恐る横目でカリンの反応を伺うと、
「は?」
その短い呼気がねっとりと地を這った。みなまで言わなくとも少年は察する。逆鱗に触れてしまったと。誰に咎められなくともわかる。やるんじゃなかったと。
「今、僕の花の音を馬鹿にしましたか?」
カリンの相貌が歪み、丸い目玉がギョロリと少年を睨めつける。次には奥歯を強く噛み締め、額に稲妻のような血管が浮き出した。
「馬鹿にしたかと、聞いているんだッ!」
「違うんです! そのオレ、本当にやり方わからなくって! 本当に!」
慌てて、少年は後退りながら弁明を繰り返す。されど、カリンは椅子にしていた若者の背から立ち上がると、ゆっくりとした足取りで少年に迫った。
「ふざけているのか? そんな道理があるか! 羅刹なら花が開けて当然だ。そんな言い訳がッ、まかり通ると思ったかッ!」
語勢を強めた喚声が、ずしりと空気が重くする。
「僕の花を侮辱した罰だ。戒めを与えやろう」
ヒヒヒヒヒヒ
またあの音だ。カリンの喉が波打ち、猿の引き笑いが少年の鼓膜を支配する。
さらには、着物の懐から短刀を取り出し鞘払い。
「ごめんなさい!」
刃物まで出されたらもう終いだ。少年は意を決し、背を向け逃げ出そうとした。
が、しかし。
「なッ──!」
足が動かない。麻痺してしまったかのように足はピクリとも動かすことができない。
あの音のせいだ。ついでとばかりに視界が歪み、腹から嘔吐感が駆け上った。
「騒ぐな、逃げるな。目玉を穿り出すのだ。大人しくそこにいろ」
美しい唇から酷い言葉が衝いて出る。その言葉に、少年は素直に従ってしまう。
言われた通り肉体を硬直させ、穿りやすいように瞼を精一杯に開き切る。
眼前に迫る少女を気遣い、自分の吐く息が当たるのさえ憚り、呼吸を止める始末だ。
「あ、あ、あ、あ──」
逃げなきゃ目玉が! でも、止まらなきゃ。
少年の思考は自分と自分ではない何かとの闘争で埋め尽くされた。
──目玉なぞいらないだろう? いや、いるに決まっている!
ひたすらに自分の中に問答が浮かび上がる。そして、その闘争は敗北が決定されているものだった。
──カリン様に、目玉を貰って頂こう。
それがなんとも、誇らしいことに思えてならなくなった。
「いいぞ、そのままだ」
カリンの手が、少年の頭の毛を鷲掴む。ぐいっと引き寄せられ、膝裏に鋭い蹴りを浴びた。
地に膝がつき、少年の頭の高さが少女の胸元まで下がった。さらに頭の毛を引っ張られ、頭上を見上げる形に。
「母上には、君に襲われたとでも言っておきますか。目玉の二つなくとも、あの方は気にしないでしょう」
そんなことを言いながら、カリンは逆手に持った短刀を、弄ぶように少年の目玉に近づけてゆく。少年の瞳に踊る恐怖の色を堪能するように、ゆっくり、ゆっくりと。
「あ、ぁ──」
痙攣する獣を嘲笑う少女と、木漏れ日に照らされ輝く刃。
それが、自分が最後に見る光景になる。
──いっそ、笑えてくる。
声の出した方さえ頭の中から抜け落ちて、呻きの一つさえ出なくなった。
心の底から観念すると、仕事を終えて布団の上に横になっているような、そんな安堵感が胸に拡がる。
目玉がなくなれば、獣に成り果てた自分の姿を見なくて済むだろう。
そう、心で呟いた次の瞬間、
『お母さんを、許して』
声がした、鼓膜で拾ったものではない。頭の中に響き渡るような感触だ。
抜け落ちた記憶の、覚えのない女の啜り泣く声。
その声が、カリンの能力によってもたらされた安堵を黒く汚した。湯気の立つ新鮮な白米に土をかけられた、そんな屈辱的な気分だった。
だから、叫びたくてたまらなくなった。
「誰かぁあああ! 助けてぇえ! 頭のおかしい女に襲われていまぁああす!」
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