第七話 参道にて
七〇〇年程はるか昔、大和大陸全土で戦争があったそうだ。
各国の権力達は他国の領土を奪うため、民草を巻き込んでの大戦に明け暮れた。
その行いに、人里を避けてこっそり暮らしていた
空を自在に飛ぶ者、無限の火を産む者、心の所作を読む者、涙で海を作る者。
それら超常の力を行使して、権力をもつ人間を悉く殺し尽くした。
この世に『国家』という在り方すら消し去るほどに。
すべてが破壊された後、路頭に迷った民草を救ったのも羅刹だった。
寄る辺を失った人々はやがて、小さな人里を形成し、その治安と安寧を羅刹に委ねた。
世の理を超越する羅刹の庇護下にいれば、人々の安寧は約束されたも同然だった。
強力な羅刹は、人々飢えさせるもこともなく。災害さえ跳ね除けてしまえるのだから。
そんな羅刹を、人々が神として崇めるのも時間の問題だった。
羅刹の中でも特に優れた者を〈羅神〉と呼び、強い信仰を示して一つの宗教を作られた。
〈
✿
記憶を失くしている少年のために、
ここ
現在、少年は今からその香梨紅子に謁見しなければならないらしく、先導するカリンの背を追いながら、彩李と共に足早に森の中をせかせか歩かされている次第だ。
「羅神である紅子様には、血の繋がらない五人のご息女がいらっしゃいます。ザクロ様は三女、カリン様は五女にあたります」
「へえ、他の娘さんたちもここで暮らしていらっしゃるんですか?」
少年の問いに、彩李が和やかに首肯した。
「はい。後ほどお会いすることもあるでしょう。姉妹はみな美しく可憐にございますから、男性にとっては良い目の保養になるかと。激昂しやすいのが玉に瑕ですが」
「た、楽しみだなぁ。五人も女の子を預かるって、紅子様は懐が深いお方なんですね」
「それもありますが、強大な力を持つ羅神が、幼き羅刹を庇護下に置くのは世の常でございます。人間の親に羅刹を育てるのは困難でありますから」
曰く、羅刹とは異能の力を使えること以外は、人間から生まれるれっきとした人間である。母親の胎内で鮮花を宿し、この世に産まれた瞬間から異能の力を振るうことができる。
つまりは、赤子や幼い羅刹が、親を殺してしまう事件が後を絶たないそうだ。
「産まれたての赤子が、母親の首を捻じ切ったこともあります。三歳に満たない子供が口から炎を吐いて父親を燃やしたこともある。そんな悲劇が起こる前に、紅子様のような強大な羅刹、もとい羅神の
羅刹を産むなら、羅神を頼れ。
それがこの世の常識であり、悲劇を生まないための最善手であるらしい。
「そうして、羅神に育てられた羅刹は人々から崇められる立派な羅神を目指すのでございます。紅子様も先代の羅神である母上に育てられ、見事、母の首を落として立派な羅神になられたのでございます」
「へぇ……母親の首を落として……え……」
嫌なことを聞いた気がした。少年が立ち止まると、彩李が心底不思議そうに首を傾げる。
「どうされました?」
「いえ、その、羅神になるには、親を殺さないといけないんですか?」
「当然でございましょう? 一つの人里に羅神が二人も存在できません。ならば、人々の信仰を集める羅刹──羅神になるには、先代の羅神である母親の首を落として、羅神と成るのが羅神教の常でございますから」
「わお……大変だぁ……」
少年は内心で納得する。血生臭い風習だ。先程のザクロとカリンの苛烈なやりとりを見て疑問には思っていたが、ここでは流血を伴う荒業が当然なのだ。荒い気性に育つのは当然だ。
「姉妹全員、僕や君と同じ鮮花を宿した羅刹だ。皆、血の気が多い。せいぜい花を摘まれないよう気をつけることだ」
そんなことを先導するカリンが嘲笑うように告げると、少年は心底で身震いした。
花を摘む。羅刹同士の隠語らしい。羅刹の喉奥に宿る鮮花を摘むということは、首を断たれて殺されるということだ。
道中、カリンがうわ言のように呟いていた。『いつかあの女の花を摘み、食らってやる』と、ザクロへの怨嗟を何度となく溢していた。
少年はますます自身の明日を案じて背中が丸くなる。身内に白刃を立てることが日常となってしまうのか。羅刹の常識にいちいち怯えてしまうのは、自分が記憶を失くしているからか。
どんよりと気分を沈めて、重い足取りでカリンの後ろを付いてしばらく歩いていると、緑葉に囲まれた森を抜け、青々とした田畑が広がる土地が姿を現した。
「おぉ、良い色の稲穂ですね」
「いちいち止まるな。さっさと──」
しろと、少年の感嘆を一蹴して、カリンは田畑の脇道を足早に歩く。
その態度に少年の耳が力無く垂れると、蔑ろにされ続ける心情を察してか、彩李が隣まで進み出て優しく微笑んだ。
「ここ
あちらをご覧ください、と彩李はある物を指差す。
田園の脇を流れる小川、そこに見事な枝振りの杉の木が聳え立っていた。
「あの木からしばらく北に進むと、暮梨村の中心、平家が軒を連ねる住居区画があります。もし、紅子様の庇護下にあなたが抱え込まれるならば、恐らくそこで暮らすことになるやもしれません」
「余計なこと言うな。気に入られたらだ。最もこんな汚らしい獣をお気に召すかどうか」
カリンの冷たい言葉に僅かに傷つくも、少年はぼんやりと踏み込んだ。
「もし、気に入られなかったら、俺はここから追い出されるんですか?」
「さあ? そのような姿形の羅刹は珍しいですから。追い出されたりはしないかもしれない。気に入られれば側で侍ることを許され、反感を買えば、花を摘まれる」
いちいち首を
「いずれにせよ、母上の御心のまま。決してここから逃げようと思わないことだ。まだ生きていたいのであれば」
「逃げません……行くとこもありませんし」
「逃げてもその姿だ。他の土地で受け入れられるかは保証しない。せいぜいドブネズミのように人目を忍び、惨めにゴミを漁って生活するのが関の山。ここで生活していた方が幸福に暮らせる。気に入られたら、ですがね」
──めちゃくちゃひどいこと言うじゃん。
辛辣、悪辣、苛辣の三本柱を振り回され、少年はすっかり惨めな気持ちに浸される。
隣で歩く彩李も思うところがあるのか、カリンの毒舌を咎める様子もない。
しかし、少年自身も水面に写った自分の姿見たときから、そんなふうに考えていた。
鼠というのは不浄な生き物だ。人の世に病を持ち込み、ゴミを漁って生き長らえる不潔な獣なのだ。
人の心を持ったまま、そんな生き物に姿を変えたとあれば、さぞ生き恥に塗れる生涯になるだろうと。
されど、一縷の希望はある。ここで香梨紅子なる存在に付き従って余生を送るのであれば、人並みの幸福を享受できるかもしれない。
この土地の規則に準じて生活を送れれば、この土地の『人並み』にはなれるはずだ。記憶が消える以前は、そうやって生きていたはずだ。
心で大丈夫、大丈夫と繰り返し唱えていると、ほどなく田園地帯を通り抜け、石畳が規則正しく配置された参道に出ていた。
周りの木々も様相を大きく変えており、背の高い竹林が歩道を囲い、歩く者を誘うように礼儀正しく道を開けている。
石畳に舞い落ちた笹を踏み、カリンが振り向くことなく言う。
「ここからは、ただの人間が歩くことが許されない神域です。暮梨村の村人も進入することは許されていません。羅刹になってよかったですね」
神域と聞いて少年は理解した。この竹林に進入してから全身の毛先がピリリとした圧を感じ取っている。道の先で待っている大いなる存在の気配が、ひどく喉を乾かした。
竹林の中を進み続けると、ほどなく開けた空間に辿り着く。
「これが我らの神、香梨紅子様の大社です」
それは切り立った巨大な岩だった。およそ十六間(約三〇メートル)にも及ぶ巨岩が広間の真ん中に堂々と聳え立っていた。
その岩の中腹には、鈍い光を放つ鉄の大扉が嵌め込まれており、訪れる者を存分に威圧させる作りであった。
反して、足元を見てみれば、色とりどりの花びらが足元に配置されており、配色豊かな枯山水を描いている。
自然物の威厳と計算された配置の美学が見事に調和し、どこか死後の世界を思わせるような、現実と切り離された浮遊感を覚えるものだった。
「では我らは紅子様に事の経緯を説明してきます。あなたはここでしばしお待ちください」
それだけ言い残すと、大門に繋がる長い階段を、彩李とカリンはさっさと駆け登り、扉の先へと姿を消した。
ポツンと一人取り残され、少年は妙に心細い気持ちになった。
「ここに住んでいる神様にこれから会う……のか」
足がすくみ、座り込みたい衝動に駆られるも、先刻、カリンの不興を買った件もある。
ここでは何が逆鱗に触れるかわからない。故に、少年は直立不動で待つことにした。
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