第38話【リュギダスという名の悪魔】
リタは教室を出る前にアイリの方を見た。
彼女は輪の中心で眉を下げて笑っていた。いきなりたくさんの人に話しかけられて戸惑っている感じだが、楽しそうではあるし、ニコロもそばでフォローしているから大丈夫だろう。
アイリたちから目線を外して廊下に出ると、先に出ていたエミリーが何か言いたそうな顔で待っていた。
「……リタ様って、アイリをやたらと気にかけてますよね」
「そりゃ友達だもん」
「それにしても過保護過ぎな気が……さっきの実技だって、わざと負けたんじゃないんですか?」
「え、バレてた……?」
「勝った瞬間、なんとなくアイリの顔が戸惑っているように見えたので。最後の一撃の前、なんか変な間もありましたし……あの魔法弾、リタ様自身が撃ち込んだんですよね」
先生にも注意されなかったし、みんなにはバレていないと思っていたのにとんだ誤算だった。——いや、正確には完全にバレてはいなかったかもしれない。エミリーの気のせいだとか言って誤魔化せばよかったと、答えた後で後悔した。
「……ああやってアイリがみんなに囲まれるのが目的ですか? それって誰の希望だったんですか?」
「もちろん私。あれは私が勝手にやっただけで、アイリが自分でどうこうとか思ったわけじゃないよ。……それに」
実際、リタは実力で負けていた。最後の一撃を放てなかったのはアイリの精神的な問題だから、実力とはまた違う。
けど過去のことはアイリの許可なしに話せないので、リタは言葉を止めた。代わりに顔の前で手を合わせ、頭を下げる。
「お願い! 先生や他の子には内緒にしてもらえないかな?」
「……やっぱり過保護ですよ。授業で活躍させて、クラスの子と馴染みやすくしてあげるなんて」
「だってアイリって保護したくなるオーラ出てるし……出てるよね?」
「私にはよく分かりません」
もしかしたら推し補正なのかもしれない。
しょんぼりするリタを、エミリーは呆れたような顔で見た。
「……でも、リタ様が頼まなくても、言い触らしたりなんかしませんよ。アイリは私にとっても友人ですから」
「ほんと!? ありがとう、エミーは優しいね!」
「じゃぁ結婚してくれますか?」
「……ハハハ」
この唐突な求婚に対する返答のバリエーションを少し考えておいた方がいいかもしれない。
エミリーと別れた後、職員室の扉をノックしてから中に入る。前世の時もそうだったが、職員室に入るのは妙に緊張するから苦手だ。
「あ、リター、こっちこっち」
たくさんの教員の中で、お目当てのデラン先生を探しながら周囲をキョロキョロしていると、向こうから声をかけてくれた。
窓際の先生の席まで移動すると、ニコニコ笑って出迎えてくれる。
「それで、分からないってところってどこかな?」
「はい、えっと……」
リタは事前に用意していた適当な質問を先生にぶつけた。
本当に聞きたいことは初日の件だけだが、流石に直球でそれだけを問いただすと、先生の気を悪くさせそうだから。
それから何分かの間、質問に対する丁寧な回答を貰ったり、世間話なんかで盛り上がりつつ、頃合いを見て本題に移行した。
「そういえば最近、アイリも先生によく質問しに行ってるって聞いたんですけど」
「うん。勉強熱心だよねぇ」
「いやー見習わないと……あー、アイリで思い出したんですけど、初日のことって、聞いても大丈夫ですか?」
あまりに不自然な切り出し方だが、リタは話術が上手くないのでこれが限界だった。
「初日……」
すっと、音が出るほど綺麗に先生の顔から笑顔が消えて、考え込むような表情になってしまった。
いくらなんでも直球に聞きすぎたかと不安になっていると、返って来たのは予想外の答えだった。
「そのことね、たまに他の子にも聞かれるんだけど……実は全然思い出せないんだよね」
「全然思い出せない?」
予想外過ぎて、ついオウム返ししてしまった。
「それは……時間が経って、記憶が薄れたって意味ですか?」
「ううん、まったく記憶がないの。先生も初日だったから、前日は張り切って準備していたはずなのに……そこら辺で記憶が途切れて、気が付いたら次の日の夕方だったんだよねぇ」
「それ、って……」
この話を聞いて、リタが思い出したのはホリエンのこと。
ホリエンは恋愛要素とバトル要素が半々くらいのゲームで、誰のルートを選ぼうと、悪い連中から世界を救うという話がメインで描かれる。
ところどころで登場する魔物もそうだが、大きな敵は二つ。
一つは、世界征服を企む組織。彼らはある目的でエクテッドに潜入して来るのだが、その目的というのが、もう一つの敵『リュギダス』という名の悪魔だ。
リュギダスは強大な力を持ち、かつて世界を壊滅させかけたという恐ろしい存在で、何百年も前に強力な魔法使いによって封印され、今ではこの学校の地下深くに封印されている。
元々この場所は、リュギダスの封印が解けることがないよう、その時代の優秀な魔法使い達が封印を管理するために作られたものだった。そこにいつしか、魔法使いに教えを乞いたい人々が集まり、気が付けば学校が出来ていた。
正直そんな危ない悪魔が封印された場所に子供たちが集まっている今の環境はかなり歪なのだが、そもそもリギュダスをはじめとする悪魔は、はるか昔に絶滅したというのが、この世界に住む人々の共通認識だ。
当時の記録はほぼ残っていないが、悪魔と人間は何百年も前に争い、死闘の末に人間側が勝利した。歴史の教科書にもそう書かれている。
「……リタ、どうかした?」
随分長いこと考え込んでいたせいか、心配そうな顔をした先生に声をかけられた。
「あ、えっと……記憶がなくなったのは、過労が原因とか、なにか病気の可能性は?」
「それはないかなぁ。思い出せないのもあの一日きりだし、先生は元気だけが取り柄だから」
不思議なこともあるもんだねぇ、と先生は呟くように言った。
ちなみにリュギダスが学校の地下に封印されていることを知っているのも、理事長をはじめとした一部関係者のみ——だが、その彼らですら、今のリュギダスがどうなっているか正確に把握出来てはいない。
何故ならリュギダスにかけられた封印は特殊なもので、長い年月をかけて徐々に奴の魂を削り取っている。
あまりに強大な力を持っていたリュギダスを完全に倒すことは当時では困難だったため、徐々に奴が力尽きるのを待つことにしたのだ。
「でも、一体誰が……」
本編では、主人公達が殲滅させたと思い込んでいた組織には生き残りがいて、そいつがリュギダスの封印を解いてしまう。
彼らはリュギダスを操って世界征服を企んでいたのだが、悪魔がすんなりと人間の言うことを聞くはずもなく。その生き残りも封印を解いた直後にあっけなく殺されてしまう。
かくして封印は解かれたものの、魔力を大きく削られていたリュギダスは、肉体が消失して魂だけの状態になっていた。
その為、本編では周囲の人間に転々と乗り移って行動するのだが――リュギダスに取り憑かれた人間は、その間の記憶がなくなるという設定がある。
だから先生の「記憶がない」という発言に、リタはリュギダスを思い出さずにはいられなかったのだ。
「……あの、それって魔物のせいだったりとかしませんか?」
流石にいきなり悪魔の名前を挙げるのはあまりに不自然だから、遠回しにそう聞いてみた。
ちなみに魔物と悪魔は魔族と呼ばれる同一種。ざっきり言うと、悪魔の下位互換が魔物だ。
たた魔物は、魔力とは別に異能と呼ばれる不思議な力を持っているので、この質問はそうおかしくないはず。
「先生もそれは考えたんだけど、この学校は理事長の保護魔法で守られているから、外から魔物が入ってくることはないはずなんだよねぇ……」
「でも……」
既に校内にいる場合、保護魔法は関係ないのでは? とか言うのも不自然だと思ったので、やめておく。
「もしもそれを破って侵入してきた場合、相当強い魔物ってことになるし……その場合は、流石に魔力で誰かしらが気が付くだろうしねぇ」
「気配を消せるほど強い、とか……」
「うーん……ないとは言い切れないけど……そこまで強いと、魔物っていうか悪魔みたいだよね」
クスクス笑う姿を見るに、その言葉が明らかに冗談なのが分かる。
デラン先生は大多数の人と同じで悪魔の存在を信じていなさそうだし、リュギダスのことも知らなさそうだ。
「じ、実は悪魔がこの世界に生き残ってたりして?」
「ふふ、それも無いとは言い切れないけどね。世界は広いし、悪魔は知能も高い生き物だったらしいから、今もどこかで生き残ってるっていうのも、そんなに不思議なことじゃない」
あくまで軽い感じでそう言った後、先生は「だとしても」と続けた。
「ここに現れる可能性は低いと思うよ。昔からの言い伝え通りなら、悪魔は人間が嫌いだから、極力人がいる場所には近づきたくないだろうし」
残念ながら、先生の考えはこの世界の歴史の教科書的には正しいが、ゲームをプレイし終えたリタの知る真相とは違っている。
むしろ逆。悪魔にとって人類は確かに「嫌いな存在」だが、同時に「恨むべき復讐対象」だ。
リュギダスが封印を解かれた後もこの学校に残っているのも、それが原因。
奴は自身を封印した人類——特に魔法使いを強く恨み、理事長をはじめとするこの学園の関係者を皆殺しにしたいのだ。
奴にやられる学校のみんなを、リタはホリエンのバッドエンドで何度も見た。
「そうだよぉ。まあそういうわけだから、安心して」
先生の言葉にとりあえず頷きつつ、リタは考えた。
ゲーム内では、組織が学校に潜入するのはアイリたちが入学して一年後のこと。
一年目は攻略対象の好感度を上げるイベントが多く、ルートを決めるのが主な目的で、目立った敵は出てこない。
リュギダス復活のイベントはもちろんそれよりも後、二年生から三年生の間での出来事だ。
入学時期がズレたことを考慮しても、一年目はゲーム通り安全だろうと思っていたし、リュギダスよりも組織が潜入してくる方が先だと思っていた。
だから入学したての今はまだ警戒しなくてもいいと、安易に考えていた自分の甘さを呪った。
リタが危険な目に遭うならまだしも、リュギダスはⅠ、Ⅱ共通のラスボス。
Ⅰの主人公であるアイリが襲われる可能性も十分あるのが恐い――が、ここにリタがいる以上、この世界はⅡ基準になっていてほしいのだが。
いつものことながら、この手のことは神様と対話でもしない限り考えても解決しない問題だ。
「……リタ、顔青いよ? 大丈夫?」
心配そうな先生の声を受け、リタの思考は強制的にストップした。
「だ、大丈夫です! 昨日、ちょっと夜更かししちゃって」
「ちゃんと寝ないと駄目だよ。あとこの件は一応理事長にも相談してるから、そんなに心配しないで」
理事長はもちろんリュギダスの封印のことを知っているが、奴が人に取り憑いて行動することと、その間の記憶が失われることは知らない。
だからこの話を聞いてすぐにリュギダスの存在を結び付けることは難しいだろう。
「……ちなみに、理事長って今日はいらっしゃいますか?」
「今日はもう帰っちゃったよ」
「そうですか……」
何とか理事長にもそれとなく悪魔の存在を匂わせたかったのだが、明日以降にするしかなさそうだ。
理事長はチート並に強いので、肝心な時にいつも近くに居ない——変なところばかりゲーム通りなことに、理不尽ながらイラっとしてしまった。
「……この話、理事長に直接聞きに行きたいくらい、気になっちゃったの?」
「いやー、好奇心が旺盛なもので」
「それは良いことだけど、ちゃんとこっちで対応するから、それまで待っててくれると嬉しいなぁ」
優しい言い方だったが、要するに余計な詮索はしないでほしいということだ。
この世界には、記憶に影響を与えるような魔法薬がいくつか存在する。
今回のような現象があった場合、これらの使用が疑われるのが自然だ。それが何者かの悪意によって仕込まれていた場合、生徒であるリタが巻き込まれないようにしたいのも、先生としてまた自然なことだ。
だからリタは「分かりました!」と元気よく答えておいた。……ただ申し訳ないが、守る気はない。
「……あのぉ、ちなみになんだけどね、初日に何があったの? 聞いても誰も教えてくれないから気になってて……。言いにくいことかもしれないけど、教えてくれないかな?」
「いや……その……ちょっとアイリに当たりがキツかったかなぁって感じですかね」
言わない方がいいかとも思ったが、何も知らないままなのも可哀想かと思い告げると、先生は目をぱちくりさせた。
「アイリに? ……私、本当にどうかしちゃってたんだね」
「あの、アイリも今はそんなに気にしてないと思いますし、先生も深く気にしないでくださいね」
「そっかぁ……なんか、ごめんね……」
「こ、こっちこそごめんなさい! ……あ、他にも聞きたいところがあるんですけど」
申し訳なさそうな顔をする先生を見て、慌てて残りの質問をぶつけて話題を逸らした。
続く
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