第33話【アングレカム】
エミリーと別れた後、いつも通りアイリから若干視線を逸らしつつ一緒に入浴を済ませ、部屋に戻った。
それにしてもエミリーたちの部屋を見てから、あまりに殺風景なこの自室をそろそろ何とかすべきだろうかと考えたが、結局実行できないままだ。まあこの部屋はアイリがいる時点で、無理に装飾しなくともリタにとっては世界で一番素敵な部屋ではあるのだが。
「今日どっさり提出された宿題、ちょっとでも片付けておこうかな」
リタにしては珍しく勉強のやる気が出ていた。最近、やたらと職員室に通っているアイリに触発されたのかもしれない。
推しに影響される自分の単純さは悪くないと思いつつ、リタは鞄から筆記用具やらなんやらを取り出す。
「……あ、あの、リタ」
「ん?」
宿題の準備をしていると、後ろから声をかけられた。
振り向いた先には、なにやら視線を右に左に動かして落ち着きのない様子のアイリ。なんだろう、相当言い辛いことを言おうとしているんだろうか。
「どうしたの?」
「この間の授業でね……『加工の石』でアクセサリーを作ったの」
「へー、楽しそう。私も受ければよかったかも」
『加工の石』とは、魔力を注ぎながら頭の中でイメージすると、その姿形に変化する性質を持った魔法石だ。その完成度は魔力の量とイメージの正確さによって異なる。魔力も申し分なく、頭も良いアイリなら、現物を見なくとも相当上手に作れたことが察せられる。
「どんなの作ったの?」
「えっと……これ」
「わ、すごい綺麗なお花! ……の、置物?」
「アクセサリーって言ったでしょ……ブローチだよ」
アイリの手にある『加工の石』は、端正な星型の花の形をしていて、キラキラと透き通ってとても綺麗だった。事情を知らなければ、花びらの部分はダイヤモンド、中央部分はペリドットで出来ているようにも見え、リタが思っていた以上の完成度だ。
「流石アイリ……高く売れそう!」
「なんかちょっと嫌な感想だね……リタは、売ってたとしたら買ってくれる?」
「もちろん! アイリが作ったものなら、どんなものでも全財産はたいて買うよ!」
全財産はたいたところで、足りない可能性の方が高いが。
「なら、受け取ってくれる?」
「え?」
リタの手に、ブローチが置かれる。
そのままアイリの手が離れていくものだからつい反射的に受け取ってしまったが、本当にいいんだろうか。なんの記念日でもないのに、こんなものを貰っても。
不安になってアイリの方を見ると、彼女は少し俯いていた。
「……本当はね、この前町に行った時、リタを待ってる間にアクセサリーとか色々見てたの。でも良いなって思ったものは全部、ちょっと高すぎて……」
「いや、そもそもなんで私に?」
「バラのブローチのお返し。かなり今更だけど」
「ああ……あの決闘の」
アイリはあれから毎日つけてくれているし、似合い過ぎていてすっかり忘れていた。
「でもあれ、本当はラミオ様のだし、私がお返しもらっちゃっていいのかな……」
「私はリタからもらったものだと認識してたけど……やめたほうがいい? ……これもラミオ様にあげた方がいいかな?」
「い、いや! 貰う! 私がほしい!」
アイリが遠慮がちに手を伸ばしてきたので、リタはそれをかわすように、ブローチごと自分の手を胸元に移動させた。
元はラミオのものでも、決闘で勝ち取った以上あれはリタのものになったんだから、いいはず。アイリの手作り品を誰かに渡したくなさ過ぎて、そう割り切ることにした。
「よかった。リタのこと思って作ったから……、結構自信作なんだよ」
「ありがとう。……ところでこれ、なんの花? 私、植物とかあんまり詳しくなくて」
「内緒」
「えー……それくらい教えてくれてもいいのに……」
まあ名前を知ったところで何かが変わるわけでもないし、名前を知らなくても綺麗なものは綺麗だから、いいんだけど。
黒を基調とした制服に、この白いブローチはよく似合うだろう。今はもう寝間着姿なので試せないが、明日が楽しみだと、リタはるんるん気分で宿題と向き合い始めた。
◆ ◆ ◆
「こうして悪魔は、彼を中心とする魔法使いによって殲滅され、魔族は魔物だけが今もこの世に残る事になったのです」
教壇に立つ若い男性教師の話を聞きながら、リタの目は冴え渡っていた。
いつもなら四時限目は空腹との戦いだ。本来授業中の飲食は禁止なのだが、ポケットにひそませている飴玉を舐めていないと集中できないくらいに。
特にアイリと一緒の授業じゃない日――たとえば今日みたいな――は、昼食のことばかり考えて授業の内容が入って来なくなってしまう。
「魔物は種類が多い上に個体数も多く、出現から長い年月が経った今でも、その実態の全ては掴み切れずにいます」
しかし、今日のリタは朝からハイテンションだった。
移動は常にスキップで、何度かそれを目撃した教師に注意された挙句、最終的には走り出してはしゃいでいたら今度は別の教師から本気で怒られた。
その一連を見ていたエミリーがアイリに「リタ様は何か悪いものでも食べたんですか?」と聞いていたが、アイリは苦笑しながら返答に困っていた。
まあ、自分が手作りの物をプレゼントしただけでここまでハイテンションになる友達を見て、彼女もさぞ引いていることだろう。
朝、制服にブローチをつけた時から嬉しくてはしゃいでいたが、流石にそろそろ落ち着くべきかもしれない。
なんて考えていたら、授業が終わっていた。
テンションに関係なく、今日も四時限目の授業をロクに聞けていなかった気がする。なんだか魔物がどうこう言っていたのは覚えているけど。
「お腹がすくとなんでこう集中力がなくなっちゃうのかな……」
まあ、終わったことを後悔しても仕方ない。
早くアイリに会いに行こう、と、食堂へと続く廊下を歩いて――テンションを落ち着けるためにスキップはやめた――いると、ぽんっと肩を叩かれた。
「やあリタ、君も今からお昼かい?」
「あ、ニコロ。一人なの? 珍しいね」
「言うほどいつも誰かと行動しているわけでも……なくはないか。ところでそのブローチ、綺麗だね」
「で、でしょー?」
ようやく今日初めてブローチを指摘されたのに、相手が相手だけに自慢しにくかった。
ニコロの嫉妬心は、ある意味アイリよりも読みにくい。
彼は素が爽やかなので、嫉妬している時も爽やかな笑顔を浮かべるものだから、気が付かないうちに嫉妬ゲージが溜まっていて監禁バッドエンド……ホリエンプレイ中、何度この光景を見たことか。
「それ、アイリから貰ったんだよね」
「え、なんで知ってるの?」
「僕もその時、同じ授業取ってたから」
「あー……あの、これは前にあげたブローチのお返しなんだって! いやー、アイリは律儀で本当に良い子だよね!」
ニコロの裏の顔を知っているのでヒヤヒヤしてしまったが、よく考えれば今のリタはアイリにとってただの同性の友達でしかない。流石のニコロも、女の子同士の麗しい友情に嫉妬したりはしないだろう。
「うん。……ところでその花、アングレカムだね」
「あんぐりらかむ?」
「アングレカム。アイリに教えてもらわなかったの?」
「聞いたけど、内緒って言われた」
「へえ……なんでだろう」
花にあまり興味がないリタからすると、聞いたことも、恐らく見たこともない花だった。
「それにしてもすごいよねこのクオリティ! 『加工の石』をこんなに綺麗に変化させるなんて、流石アイリ! 天才美少女……いや天使かな?」
「……リタは変わってるね」
「それは……褒めてる? 貶してる?」
「前者だよ。僕の周りには、君みたいな女の子はいなかったから」
「そりゃぁニコロの周りには貴族のお嬢さんばかりだから、私みたいなガサツなのはいないよ」
「褒めてるって言っただろ。……人にもよるけど、貴族なんてロクなものじゃないよ」
お互いの立場とか諸々大変そうではあるけど、ロクなものじゃないとまで言うほどなんだろうか。
リタのそんな疑問は顔に出ていたのか、ニコロは続けた。
「前にね、アイリに友達を作ってほしくて、何度か僕の家で開いたお茶会に招待したことがあるんだ。そこで僕の女の子の友達を紹介たんだけど……」
「……上手くいかなかったの?」
黙って頷くニコロ。
まあ時系列的にどちらが先か分からないが、魔法で人を撃ってしまったためにアイリが周囲から浮いていたことを考えると、それも仕方のないことな気がする。
「いつも初対面の時は上手く仲良くなれたように見えてたんだけど……その後、アイリがいない場でみんな彼女のことを悪く言うんだ」
「あー、女の子ってそういうとこあるもんねぇ……」
「いや、体裁を気にする貴族だからだよ。あの子たちは結局、家柄では優っているアイリに魔法の実力で劣っているのが許せないんだと思う」
入学初日に、ニコロがしつこく忠告してきたのもこういう過去があったからかもしれない。
ただリタからすると、その出来事は相手が貴族だからというより、多少の嫉妬心も含まれていたんじゃないかと思う。
身分が違う上に周囲から浮いてるのに、ニコロがやたら気にかけている女の子――そんなアイリに対し、ニコロの女友達が寛容になれないのも仕方ない。彼に好意を抱いている子なら特に。
「アイリに意地悪を言われたとか、僕との仲を自慢してきたとか、そんなあからさまな嘘ばかりつくくせに……僕にはすり寄って来るんだ」
ああ、間違いない。これはアイリが嫉妬されてるやつだ。
ニコロはどうも自分がモテていることに気付いてない節があるので、彼女たちが嫉妬してるなんて思いもしないんだろう。
「結局、貴族なんて大半は子供の頃から家柄でしか人を見てないんだよ……僕もそんな貴族の出だから、偉そうなことは言えないけど」
いやーどこの世も女の子の嫉妬っていうのは恐ろしいなぁと、目の前の嫉妬深い男の子を見て頷くリタ。
恐らく男友達を紹介すれば万事解決した気がするけど……まあ、ニコロが無意識でも恋敵を増やすような真似をするわけもない。
「だから僕からすると、アイリの才能に嫉妬せず、むしろそれを褒める君がすごく変わった子に見えるんだ」
「んー……でも私だけじゃなくて、ここならアイリをちゃんと見てくれる人がたくさんいると思うよ」
過去のことは、アイリがどうこうというより、ニコロへの好意が原因だろうし。校内でもニコロは人気者だが、流石にみんながみんな彼に好意を持ったり、それを拗らせているわけではないだろう。
「アイリは良い子だから。ちゃんと見てもらえれば、嫌われるわけないよ」
「……君のそういうところ、好きだな」
「えっ……ごめん、私は今のところ愛だの恋だのよりも魔法だから……」
「安心して、そういう意味で好きだと思うことはないから……って、これは失礼だね、ごめん」
「いや、むしろ嬉しい!!」
「そ、そっか……やっぱり変わってるね、君は……」
ニコロは不思議そうな顔をしていたけど、彼の辿っている道はリタが一番望んでいるところだ。
リタのことを異性として見ることなく、アイリ一筋。アイリファンとして、こんなに素晴らしいことはない。
「やっぱり幼馴染しか勝たないね! ニコアイこそが覇権カプなんだ!」
リタの言葉に、ニコロはついについていけなくなったようで「そうかもしれないね」と適当な返事をした。
それから、ふと考え込むような顔をして腕を組んだ。
「……そういえば思い出した」
「なにを?」
「前に君からバラのブローチをもらった時、アイリにバラの花言葉を聞かれたから、一緒に図書室で調べたんだ」
「へー。なんだったの?」
「愛情、情熱、あなたを愛しています」
「おおう……」
言われてみれば、恋人やパートナーに贈る花束なんかによく使われる花だから、そういう類のものなのも納得だ。それにしても、この世界は花の種類や花言葉なんかも前世と変わらないらしい。
「その時、アイリは他の花のページも色々見てたから、今回のアングレカムはそれ見て選んだのかもね」
「ちなみにこのあんぐれかむの花言葉は?」
「さあ? 僕はあんまり興味がなくて他の花までチェックしてなかったから、改めて調べないと分からないや」
永遠の友情、とかだったら嬉し泣きしてしまうかもしれない。
まあリタはアイリたちみたいに花言葉を調べに図書室に行くタイプでもないので、知る機会はなさそうだが。
続く
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