第31話【妙な夢】
その日は、特に気温が高くもなく低くもなく、過ごしやすい一日だった。
それは夜も変わらなかったはずなのに、リタは酷く寝苦しく、悪夢にうなされた。
モヤモヤとした何かが自分の中を這いずり回り、気持ちが悪くなり、何度かえずいた後、口から吐き出す。
そのモヤモヤは黒い渦のような何かで、床一面に広がったと思ったら、どこかへ飛び散っていく。
えずいて、黒い何かを吐き出して、それが消えて、またえずいて吐き出して。それを何度も何度も繰り返す、そんな夢だ。
「っ……!!」
リタはそのあまりの不快感に、夢の中から逃げるように目を覚ました。
一瞬、夢と同じようにえずきかけたが、それを堪えると、眠っていた時に感じていた気持ちの悪さは消えた。
「なんだ……今の……」
夢というにはあまりに生々しいものだった。
だからなのか、起きた今でも明確に思い出せる――前世の記憶を思い出した時もそんな感じだったが、今の夢の光景は、もちろん彼女の前世のものでもなんでもない。
「……それに、なんかこの感じ……」
気持ち悪さはなくなったものの、起きた時から感じる違和感。全身の力が抜けてしまったような、一日中動き回って体力が尽きたかのような疲労感。
確かに今日は疲れることがあったけど、これほどの疲労を感じることだっただろうか。この体に生まれ変わって、ここまで疲れたのは初めてかもしれないというくらい、不自然なほどの疲労感だった。
「……でも疲れてるなら、早く寝なきゃ」
ぐっと目を瞑り、体を横にして丸くなる。
疲労感のおかげかまたすぐに眠りに落ちることが出来た――が、どういう仕組みなのか、またさっきと同じ夢を見る羽目になった。
えずいて吐いて、えずいて吐いて、吐き出せば吐き出すほど、何かが体の中から抜け落ちていく感じがする、気味の悪い夢。
「っ……ダメだ……眠れない……」
夢の中とはいえ、何度も吐くのは気持ち悪い。かといって、起きていると倦怠感がすごい。
どちらがマシか考えた結果、リタは起き上がることにした。
夢の見過ぎで気分が悪くなって現実世界でも吐いたりしたら、後片付けも大変だし、何よりアイリに心配をかけてしまう。そうなるくらいなら、疲れを堪えている方がマシだと思った。
とはいえ、明日のためにもずっと起きているわけにはいかない。
どうしようかと悩みつつ、なんとなく癒しを求めて隣のアイリのベッドの方に目を向けると――ばっちり目が合った。
「ひゃあっ!? お、おき、起きてたの!?」
完全に寝ていると思っていたので、失礼ながら幽霊を見た時のような反応になってしまった。
「あ、ごめんね、ちょっと前から……声かけるタイミングが分からなくて。うなされてたけど……大丈夫?」
「いや、なんか変な夢見ちゃって……」
「どんな?」
「なんか……なんだろう? 何かをいっぱい吐く夢?」
アイリは「そっか」と言った後、起き上がってリタのベッドの方に近付いてきた。
「ごめんね、うるさくて起こしちゃって……」
「ううん、私も色々考えて寝られてなかっただけだから。……隣座ってもいい?」
「どうぞどうぞ、汚いところですが」
「汚いって……同じベッドでしょ」
フローラルな香りあふれるアイリのベッドとリタのベッドは天と地ほどの差があると思うのだが、気持ち悪がられるだろうから言わない。
リタが横にずれると、アイリはその隣に腰掛けた。それからリタの方を見て、心配そうに眉を下げた。
「……寝汗すごいね」
「えっ!? もしてかしてくさい!?」
「そんなことはないけど……よっぽど怖い夢だったんだなぁって」
「怖いというか……ただ、なんか気持ち悪かっただけだよ」
言った後で、結局その返答もアイリに心配をかけることになってしまっていることに気が付いた。
不安そうな顔でこちらを見て来る彼女に、リタはぶんぶんと首を振って強がってみせる。
「まあでも所詮夢は夢だし! 今日はちょっと疲れちゃったせいで変な夢見ちゃったのかも!」
「確かに、夕方に会った時もぼーっとしてたもんね」
「そうそう! 夕飯いっぱい食べて元気復活したはずだったんけど、思ってた以上に疲れてたみたい」
エミリーの呼び出しで何かあったのか、等と聞いてこないのは、アイリなりの気遣いなんだろう。実際聞かれても本当のことを言うわけにもいかないので、ありがたい。
「だから明日のためにも、さっさと寝たいんだけど……」
「また嫌な夢見ちゃいそう?」
「うん……でもまあ、そのうち眠気の限界が来て、眠れるとは思うから」
「じゃぁ今日は二人で寝よっか」
「え!?」
「枕持ってくるね」
「え、ちょ、待ってアイリ」
立ち上がったアイリの裾を引っ張ると、彼女は足を止めて「なあに?」と振り返った。
「いや……なんで急にそんな話になったのかなぁって」
「前にお母さんが言ってたんだけど、寝る時に人肌を感じると落ち着くんだって。だから、悪夢対策にも効果があるかなぁって思って」
「……ナルホド?」
でもそれは、落ち着いたら、の話なわけで。
リタは別にアイリのことを邪な目で見ているわけではないが、推してはいるわけで。推しと添い寝なんて、考えるだけで落ち着くどころか緊張してしまう――人によっては嬉しいものかもしれないが。
「あ、あの、でも私、寝相悪いから蹴飛ばしちゃうかも」
「嘘だぁ。いつも見てるから寝相くらい知ってるもん」
あのアイリに一秒で嘘を見抜かれてしまうなんて……妙な絶望感で、つい手を放してしまった。
それをリタが納得したと解釈したのか、アイリは自分のベッド方へと向かい、枕を手に戻ってきた。
「や、やっぱりやめよう。ほら、今の私、寝汗酷いし!」
「むしろ寝汗かくくらいの夢を見てるのが心配だから、そうならないように添い寝しようって話なんだけど?」
「お気持ちだけありがたく頂きます……く、くさいのが移ったら大変だから」
「だからくさくないってば。……あ、もしかして私と一緒に寝るの嫌? むしろ私の方がにおうかな……?」
「んなわけないじゃん!!!」
夜中だというのに、大音量で叫んでしまった。
しかも間抜けにも、今ので少ない体力が一気に持っていかれた気がしたが、アイリに変な勘違いをされるよりはマシか。
「じゃぁ遠慮なくお邪魔するね」
あっさりとした感じでそう言い、リタの枕を横に移動させ、自分の枕を置き始めるアイリ。
その表情を見て、リタは確信した。
「……アイリ、添い寝オッケーさせるために、におうかどうか聞いたでしょ」
「正解。だってそうでもしないと一緒に寝てくれなさそうなんだもん」
アイリに良いように操られてしまうなんて、悔しい。
しかし「ちょっと横にずれてくれる?」と言う彼女の顔を見ていると、これ以上強く拒否することも出来ず、リタは仕方なく壁側に寄った。
「ごめんね、狭くなっちゃって」
「いや、私は全然大丈夫だけど……あの、本当に気使ってくれなくていいんだよ? 汗とかついてアイリが汚れる方が、私は嫌だし」
「私はリタが悪夢にうなされる方が嫌だから。じゃぁ寝よっか」
「う、うん」
――とは言ったものの、寝転がるとよりアイリとの距離を実感してしまい、やっぱり落ち着くどころか緊張感が増していく。
元々一人用にしては少し大きめのベッドとはいえ、二人で寝るとどう足掻いてもそれなりに密着することになってしまう。
こんな近くにアイリの綺麗な顔があるとか、アイリってなんでこんな常にいい匂いなんだとか、腕の位置をどうすればアイリの邪魔にならないんだとか、そもそもお互い横向きで向かい合って寝るの? 顔近くない? 息したらアイリに迷惑かかりそうで出来なくない? とか、リタは思考をグルグルさせた結果、体勢を横向きから仰向けにシフトチェンジすることにした。
「あれ、横向いて寝るタイプじゃなかった?」
「きょ、今日から仰向け寝始めてみました」
「寝やすい向きの方が変な夢見ないと思うよ?」
「……分かった」
考えた結果、リタは壁の方を向いた。
「……もう、そんなに顔向け合うのが気まずいなら、私が反対向いて寝るからいいよ」
「ご、ごめん! 気まずいわけじゃなくて、なんか恥ずかしくて……」
観念したようにアイリの方に向き直ると、彼女はおかしそうに笑った。
「リタって不思議だね。会った時からフレンドリーで、一緒の部屋になれたこともあれだけ喜んでくれたのに、こういうのは照れるんだ」
「う……」
冷静に考えれば、推しだと勝手に崇めているリタの気持ちなど、アイリは知る由もないのだ。だったら今は、出来るだけ普通の友達らしく振舞う方が彼女のためかもしれない。
とりあえずそう決意してアイリの方をジッと見て、でも何を言っていいか分からなくて黙っていると、アイリは毛布に顔を隠すようにしてリタの視線から逃げた。
「ごめん……言い出しっぺの私も、目が合うのはちょっと恥ずかしいかも。人に近付くの、あんまり慣れてないから」
「……アイリが可愛くて私は今日も幸せだよ」
「そうやってからかうのはやめてほしいんだけど、……あともう一つ、ごめん」
「もう一つ?」
「一緒に寝たかったのは、リタのことを心配する気持ちもあるけど……私のエゴもちょっと入ってるんだ」
そう言いながら、アイリはリタの手を握り、目を瞑った。
「私、誰かと一緒に寝たことないの。いつも一緒に寝てる両親が羨ましかったんだ。一緒に寝よって言えばよかったのかもしれないけど、私のお母さんたち、すごく仲が良いから……そこに割り込んだら邪魔かなぁとか一人で考えて」
「……」
ゲーム内ではアイリの両親についての情報はあまり出てこず、お互いにぞっこんで娘に無関心っぽいということくらいしか分からない。
今までの経緯を考えるとこの世界でも娘に対しての関心は相当薄そうなので、「そんなことないよ」なんて、無神経なことは言えなかった。
「リタはお家でどうやって寝てた?」
「小さい頃から一人部屋だったから、アイリと似たようなものだよ。私も人と寝るのは慣れてなくて恥ずかしい……から、さっきは思わず壁のほう見ちゃった」
「そっか。一緒だね」
「……うん」
幼い頃のリタは、嫌なことがあった日や怖い夢を見た日なんかは、両親と一緒に寝てもらっていた。リタが一緒に寝ようと言うと、喜んで真ん中に入れてくれるような両親だった。
これは、キャラ被りと言われていた『アイリ』と『リタ』の大きな相違点だと、リタは思っている。
『リタ』は友達こそいなかったものの、家族から人並みの愛情を注がれて育つ。一方『アイリ』には友達のニコロがいたが、両親からの愛情は希薄だった。
ふと、Ⅱの制作秘話インタビュー記事に書かれていた、シナリオ担当の人のコメントを思い出す。
《アイリは幼少期に十分な愛情を受けなかった影響で、一見誰にでも優しい女の子ですけど、その根底には「愛されたい、自分が一番だと思われたい」という思いを抱えているんです。だから人に優しくしているので、ああ見えて実は打算的なキャラなんですよ。だからⅡではリタにその”一番”を取られて嫉妬に狂ったんです。実はⅠの時からそういうキャラ設定だったんですよ(笑)》
それを見た時、流石にリタはその雑誌を捨ててしまった。今までホリエンに関わるどんなものも捨てたことがなかったのに。
本気でふざけるなって思った。リタが好きになった推しを全否定されたようで悔しかった。
「じゃぁ明日もあるし、そろそろ寝よっか。あ、また嫌な夢見たら、私のことも遠慮なく起こしてね」
「こんなに幸せな状態で寝て、嫌な夢なんて見るわけないよ」
「……だったら嬉しいんだけど」
おやすみ、と言い合って、リタも目を瞑った。
オタクとしてこの考えが合っているのかは分からないが、制作陣がなんて言おうと、公式設定がどうであろうと、知ったこっちゃない。
リタにとってのアイリ・フォーニは、優しい女の子。
そんなアイリを嫉妬に狂わせて、イジメを考えさせるなんてこと、あってはいけない。
それが原作の定めた正史であろうとも、せめてこの世界でだけはそんな出来事とは無縁でいてほしい――そんな思いを込めて、リタはアイリの手を握り返した。
そのおかげか、数分も経たず眠りに落ちたリタは、さっきの妙な悪夢に襲われることはなく、朝までぐっすり眠ることが出来た。
ただ翌朝、目を開けると同時にアイリの寝顔が見えた時は、色んな意味で心臓に悪かったが。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます