第29話【スピネル-2】

「……それで? リタ様と話がしたいって言ってたけど、どうするの? 私はここにいていいの?」


 エミリーの問いかけに、スピネルは無言で首を振った。

 それからやはり無言で、寮の方を指差す。


「先に帰ってればいいのね。いいけど……リタ様に失礼なことしたらぜーーったい許さないから! 私のことより、そっちの方が遥かに重要事項だってこと、ちゃんと覚えといてよ!」

「……承知いたしました」

「ではリタ様、任せるようで申し訳ないのですが……よろしくお願いします」

「は、はい」


 弱々しく頷くリタを見て、不安そうな顔をしながらも寮の方へ戻っていくエミリー。

 彼女の姿が完全に見えなくなるまで考え続けてもなお、リタは今の自分に出来ること、求められていることがさっぱり分からなかった。


「あの、スピネル様……お話というのは?」

「……私のような者に敬称など必要ありません。話し方ももっと砕いていただいて構いません」

「え」


 ゲーム内の彼女とは随分と違う、穏やかな提案が返ってきたことに驚く。

 リタの知るスピネルは、もっと無口で、こんなに全身赤いのにファンの間では『氷の女』なんて言われてるくらい冷酷な女性だった――少なくとも主人公に対しては。


「……話というのは、エミリー様のことです」

「うん」

「……」

「……」

「……」


 どうやら無口なところは作中と変わらないらしい。

 彼女とは、基本的にこちらから問いかけないと会話が成立しない。


「えっと、図々しいお願いだとは思うんだけど……人攫いの件、エミリー様のご両親には黙っていてもらえないかなぁって」

「……何故でしょうか」

「危ない目に遭ったって知ったら、心配してお家に連れ戻されるから……エミリー様はそれが嫌みたいで」

「……あなたは?」

「え?」

「……エミリー様の思いは既に承知しています……あなたの考えは、どうなんですか?」


 あなたの考え――と言われても、正直あまり考えていなかった。

 エミリー自身が学校にいることを望んでいる以上、無理に連れ戻されるのは気の毒だと思うし、何とか助けになれたらという思いがないわけじゃない。

 だがそれは果たしてリタ自身が望んでいることなのかどうか、考える時間もなく今に至っているからよく分からない。


「……私は、あなたを以前より存じあげていました」

「エミリー様から?」

「……いえ、それよりも前に……ラミオ様からのお手紙で」

「……あ、ああ」


 ラミオは意外に律儀なところがあり、定期的に実家宛に学校での出来事などを報せる手紙を送っている――という設定がゲームにあるが、この世界でもその習慣は変わらないらしい。

 というか、スピネルがその内容を知っているということは、城内で共有されていたリするのだろうか。


「……ラミオ様との件も把握しています……後々、婚約者となるかもしれない間柄であることも」


 一体なにを書いたんだあの子は……スピネルはラミオを好きかもしれないのに、印象を最悪にするようなことをしないでほしい――と、ここにはいないラミオに理不尽な怒りをぶつけつつ、リタは話題を逸らすことにした。


「それよりエミリー様の件だよ。ラミオ様より、今はエミリー様の方が大事だから」

「…………では、先ほどの問いの答えを下さい」

「私の考え、だよね……」


 エミリーと関われば、この先ラミオや王族との接点が更に増え、面倒事に巻き込まれるかもしれない。それに、未遂とはいえ一度は攫われかけた身。エミリーのことを真に案じるのならお城に戻った方が安全かもしれない。

 ただ、あの日彼女は「ここにいてもいいか」と問いかけてきた。そしてその姿は、その問いを肯定してほしがっているように見えた。


「正直、一緒にいたのに危ない目に遭わせた私が口出す権利なんてないと思うけど……私は、エミリー様が望むようにしてあげたいと思う」

「……この学校にいさせてあげたい、ということですか?」

「うん」

「……そうですか」


 静かな声と共に頷いたスピネルは、体の向きを変え、リタに向かい合うような場所に移動した。

 それから無言のまま、構えをとる。それはまるでこれから何かの試合でも始めるかのようなポーズで、リタは無意識に一歩後ずさった。


「あの、その構えは……?」

「……私は陛下から、お二方の有事の際には連絡を入れろと命じられています」

「う、うん」

「……先週のラミオ様からの手紙も、この件には一切触れられていませんでした……なので私が黙っていれば、陛下に伝わることはないでしょう」


 ラミオもなんとなく事態を察していて、両親に報告するのを控えてくれたんだろう。


「……私は、お二人には拾ってもらった恩がありますが……同時に、陛下にも存在を許可してもらえた恩があります。……なので、どうすればいいか判断しかねていました」

「それで私と話したいって思ってくれたの?」

「……はい。……あなたがエミリー様に相応しい相手かどうかを見極めるためにも」

「ん?」


 その台詞と共に、こちらに向かって一歩踏み出してくるスピネル。

 なんだかピリついた空気を感じたリタは、内心パニくりつつも、冷静な口調を続けた。


「相応しいっていうのは、どういう意味で?」

「……私も可能ならエミリー様の意志を尊重したい……しかし、また似たようなことが起こるかもしれない……そうなった時、あなたがエミリー様を守れるのかどうか、試させていただきたい」

「あ、あの、そもそもなんで私がエミリー様を守ること前提なの……?」

「……エミリー様は、あなたと生涯添い遂げるつもりだとおっしゃっていたので」

「え?」

「……ラミオ様の紹介との矛盾は気になりますが、何かしら事情があるのでしょうから、そこは私が立ち入るところではありません。……しかし、エミリー様と生涯添い遂げるというのであれば、相応の実力を持っている相手でないと困ります」

「ちょ、ちょっと待って! ストップ!」


 淡々と語っているが、リタの思考の処理が追いつかないので勘弁してほしい。

 ラミオが手紙で勝手に自分の告白を成功したことにしている件はともかく、エミリーの生涯添い遂げる宣言は当人のリタですら初耳だ。いや、似たようなことを言われた覚えはあるが。

 このまま話を進めると、スピネルの中のリタは、兄妹を二股している最低の女みたいになってしまう。


「えっと、私はエミリー様ともラミオ様とも添い遂げるつもりはないんだけど……」

「……は?」


 空気を読むのが得意ではない人でも気が付くくらい、見事にその場の空気が凍った。

 

 スピネルは表情こそ変えないものの、その額には青筋のようなものが浮かび上がり、今の心中が相当穏やかじゃないのはバカでも分かる。

 事情は分からないが、今の発言は彼女の中にある地雷を見事踏み抜いたらしい。


「だ、だって、ほら、立場が違うし……私みたいなド庶民が、恐れ多いというか……」

「……立場の違いは分かった上で、あの方が望んだことです……それを無下にするおつもりですか?」

「無下というか……あの、せめて一生お友達、的な感じで許されたりは……」

「……私の知る辞書には、添い遂げるという言葉の意味に友達は含まれません」

「……そうだね」


 添い遂げる=死ぬまで夫婦でいる、という意味であるのは、当たり前だが前世でもこちらの世界でも共通のようだ。

 

 それにしてもエミリーといいラミオといい、どうしてこうも人の気持ちを考慮せずに勝手に話を拡散させてしまうのだろうか。性格は結構違うくせに、何故こんな無駄に行動力があるところばかり似ているのか。もしかしてリタがビビって返事を保留にしてしまったため、それを好意的に解釈し、最終的には自分が選ばれると思っているのか、それとも他者へのけん制なのか。

 王族でもなく、豊富な恋愛経験もないリタには、二人の考えも行動もまったく理解できなかった。

 

「……あなたにエミリー様を守る意思すらないというのなら、話は変わってきます」


 言いながら、スピネルはようやくファイティングポーズを解除してくれた。


「どう変わるの?」

「……今回の件を、陛下たちに連絡させていただきます」

「そんなことしたら、エミリー様が……」

「……仕方ありません……たとえ恨まれることになろうと、エミリー様を危険なところに置いておくより、遥かにマシです」

「でも、私が守らなくたってエクテッド自体かなり安全なところだよ。今回のことも校外で起こったことだし……それを危険だって言うなら、エミリー様は一生外出出来ないことになっちゃうよ」

「……ですが……事実、外には危険がたくさんあります。悪漢も魔物も……そんなところに、エミリー様が一人で赴くこと自体が間違っているのです……」


 スピネルの言うことは滅茶苦茶な気もするが、気持ちは分かる。ただでさえ王族は目立つし、治安が悪くなりつつある今は特に被害にも遭いやすい。彼女は元々孤児だった事情もあり、外の危険を誰より知っているからこそ不安なんだろう。


「……あの、そんなに心配なら、スピネルがエミリー様の護衛をすればいいんじゃない?」

「……それは……断られたのです……」

「あっ……」

 

 この世の終わりみたいな顔で言うもんだから、反応に困ってしまった。


「な、なんでなんだろうね?」

「……エミリー様は、城の者の護衛や監視があまり好きじゃないみたいで……せめて今くらい自由でいたい、と……」


 リタは王族について詳しくないのでよく分からないが、あんな風に気兼ねなく出歩けるのは子供の間だけなのかもしれない。


「えっと……なら、バレないようにこっそり監視するとか? まあ、休日いつ出かけるか分かんないから、ずっと見張ってないといけないことになるけど……」

「……陛下にお願いすれば、休日だけエミリー様専属の護衛も叶いそうではありますが……、万が一その存在に気付かれた時、私はエミリー様に嫌われませんか?」

「それは否定出来ないけど……今回の件を報告しちゃう方が、嫌われるような気がする」

「……確かに」


 なんとなく解決しそうな雰囲気が出てきたのでリタが安堵していると、スピネルは再びファイティングポーズをとった。


「ちょ、な、なんでまた戦闘態勢?」

「……今回の件は報告しません……今後、休日のエミリー様の身は陰ながら私が守らせていただきます」

「う、うん。全部解決したよね?」

「……あなたがエミリー様と添い遂げる覚悟がない件については、片が付いていません」

「あー……」


 会話の中で上手く流れたと思っていたのだが、流せていなかったようだ。

 とりあえずスピネルの体勢が恐いので、リタは少し距離を置いて喋る。


「あ、あのね、私は別にエミリー様が嫌いとかそういうことじゃなくて、将来に関わる大切なことだからゆっくり考えてる途中なんだ」

「……それは、なんですか? ……考えた結果、エミリー様の申し出を断るという可能性もあるということですか?」

「まあ、人間関係って何が起こるか分からないの――で?」


 スピネルの手が、目で追えないスピードでリタの顔の横を通過した。

 ヒュンっと風が切れるような音がして、何かが落ちる感触がした。そこでようやく事態を把握したリタが恐る恐る地面を見てみると、それは自分の髪の毛のようだった。


「い、今、手刀で髪が切れたように見えたんだけど……?」

「……まさか、そのような人間業じゃないことは出来ません」


 言いながら、スピネルは自身の手の平を見せてきた。そこには小型のナイフのようなものが握られている。

 つまり髪が切れたのはあれのせいであると……そもそも会話中とはいえ、目で追えないどころか反応すら出来ない速度で手を出してくるのも人間業じゃない気がするが。

 

 なんてのんきに考えてる場合じゃない。なんで数本とはいえ、いきなり髪を切られなきゃいけないのか。回答次第では次は首を切り裂くぞという脅しのつもりなのか。

 

 リタがスピネルを睨むと、彼女も静かに睨み返してきた――いや、元から無表情だから、本人的には普通に見つめ返しているだけかもしれない。


「こっちに敵意があるのは分かったけど、結局何が言いたいの? 言葉にしてくれなきゃ分かんないよ」


 彼女はゲームでも常にこんな感じで、主人公を睨むだけでその真意は何も言わない。ゲーム内では無理に聞き出すことは出来なかったが、今なら何を望んでいるのか知ることが出来る。……いきなりナイフを突きつけてくる彼女に、こちらと対話する気があれば、だが。


「……」


 しばらく目線を合わせていた二人だったが、やがて根負けしたのか、スピネルの方から視線を逸らした。

 それから彼女は躊躇いがちに口を開く。

 

 

続く

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