幕間【優秀な兄と歪んでしまった妹】
エミリーには、生まれた頃から二人の兄がいた——とは言っても、片方の兄とはほぼ同じタイミングでこの世に生まれ落ちたのだけど。
年の離れた兄はとても優秀で、両親の多大な期待を一身に受けていた。
それは両親だけに限った話ではなく、国民も城の者も皆一様に兄に期待している。第一王子が後を継いでくれれば、きっとこの国はより良くなる、と。
兄も兄でその期待に応えるように、幼い頃から励んでいた。生まれ持った才能に甘えることなく鍛錬を続け、様々な教養を学び、次期国王として自覚を持って振舞う姿は、誰の目から見ても立派だった。
だから両親がそんな兄に夢中になり、他の子供に関心が薄いのは仕方ないことだと思った。
エミリーとラミオは、物心ついた頃から「次期国王は兄である」と周囲に言われて育った。兄自身も「二人は好きなことをしなさい」と言ってくれていた。
自分が跡継ぎでないという事実は、ラミオの成長には良い影響を与えたと思う。彼は王族としての誇りを抱きつつも、後継としての重責を背負うことはなく伸び伸びと育った。
それに対して、エミリーはどうだろうか。例えば双子でもなく長子として生まれていたら、将来は自分がこの国を守っていかないと、という使命感で、今よりもっと前向きな気持ちだったのだろうか。それともその重責に押し潰されて、今よりもっと最悪だったのだろうか。
もしも兄たちがいなかったら——そんな想像が上手く出来ないくらい、エミリーの人生における「兄」の割合は相当なものだった。
特に双子の兄であるラミオ。彼がいなければ、エミリーの人生は大きく変わっていただろう。
◇ ◇ ◇
エミリーの中にあった何かが変わったのは、八歳の頃のことだった。
城の庭でラミオとかくれんぼをしていた時、隠れる場所を探してあちこち走りまわっていると、少し離れた場所に見覚えのない男性たちを見つけた。顔自体に見覚えはなかったが、彼らが兵士であることはその出で立ちですぐに分かった。
訓練の休憩中か何かだったのだろう、くつろいだ様子の男性たちは世間話をしていた。その話題はやがて国のことから、王族、エミリーの家族の話へと移り変わっていった。
「そういや、聞いたか? ラミオ様が魔法の実技テストですっげー記録を出したらしいぞ」
「ああ、団長たちも褒めたよな。第一王子に引き続きラミオ様も優秀だなんて、この国の将来は安泰だ」
「でも気の毒だよな。あれだけ利発で魔法の才能もあるのに……国王様たちはほぼ無関心なんだろ?」
「そのお兄様がさらに優秀な方だから仕方ないとはいえ、流石になあ……」
「けどラミオ様はまだ周囲に好かれてるからマシだよ……本当に悲惨なのはエミリー様のほうじゃないか?」
「いやぁ、でもあの方は仕方ないよ。魔法の才能も王族にの中では平均的だし、他の要素もパッとしないし。いつもラミオ様にくっついてるだけだしな……城の者すら誰も気にかけてないんじゃないか?」
「先に生まれたお兄様方に、良いところを全部持ってかれちまったんだな」
「おい、それは失礼すぎるだろ。ま、女の子だし結婚できる年になれば、嫁ぎ先によっては国のためにもなるんじゃないか? 可愛らしい顔してるしな」
その会話の雰囲気は、見下したり蔑んだりしているものではなく、ただの談笑という感じだった。彼らには侮辱する意思すらない——本当にただの世間話だったんだろう。
ただエミリーの心には「自分は悲惨」「誰も気にかけてない」「良いところを全部兄に持っていかれた」という言葉が重くのしかかった。
思わずその場を離れ、庭の中を走り抜けながらぐるぐるぐるぐる頭の中で考えた。
両親は年の離れた長兄に夢中だが、兄たちは自分に優しいし、城の者もみんな優しくしてくれるから気にならなかった。みんなが良くしているのは、自分が好かれているからだと思っていた。それ以外の理由なんてないと思っていた。
兄たちがすごいのも分かっていたから、自分と比較して考えたことなんてなかった。
好奇心旺盛なラミオは、せわしなく色々な場所を訪れ、幼いながらに様々な人と交流していた。双子で仲が良いこともあり、エミリーは彼と行動を共にすることが多かった。だから今までの思い出は、全てラミオと一緒。
従者や、騎士や兵士たち、学校の友達や先生たち、他国の王族や自国の貴族たち。誰に会うときも、ラミオがそばにいた。
『もうこんな難しい言葉を理解されているなんて、流石ですね、ラミオ様』
『あら、ラミオ様は本当にお母様によく似て、可愛らしい顔をしていますね』
『キャー、ラミオさますごい! カッコいい!』
『ラミオ様が訓練を見学してくれるなんて、俺たちいつもより張り切っちゃいますよ!』
『ラミオ様のお噂はかねがねお聞きしておりました。お会い出来て光栄です』
ラミオ様、ラミオ様、ラミオ様。思い出すのは、みんながラミオの名を呼ぶ光景。ラミオを見つめ、話しかけ、笑いかけ、褒め称える。
その時、彼ら彼女らの目に、エミリーは映っていたんだろうか。いや、映っていないのならまだマシかもしれない。
その存在に気が付いた上で、何も声をかけられていなかったんだとしたら——そこにあるのは、恐らく悪意ではない。ただただ、無関心なのだ。今まで会ってきた人たちは誰一人として、エミリーという存在に興味がなかったのだ。
「わたしのこと好きな人なんて、誰もいない……」
思わずこぼれた呟きが、真実なのかなんて分からない。むしろただの考え過ぎという可能性の方が高い。
でも一度生まれてしまった不安は消えない。消してくれる相手も、今ここにはいない。
自分を愛してくれる人、好きだと言ってくれる人なんて、この世にいないのかもしれない。
今までのみんなの優しさはエミリー個人に充てられたものではなく、ラミオの妹だから、王族だから、なのかもしれない。
そこまで考えて、唐突に、両親が昔長兄に言っていた「お前さえいればいい」という言葉を思い出す。
家族や国民みんなに期待され、その期待に応えるように立派に成長していった兄。その兄と比べても遜色なくみんなに好かれ、褒め称えられるラミオ。
そんな二人と比べてしまったら、自分なんて——
「私には、いいところなんて、なにも」
「エミー! どうしたんだ!?」
遠くからでもよく通る大声に、驚いて顔を上げる。
息を弾ませながらこちらに駆け寄ってきたのは、ラミオだった。その姿を見て、ようやくエミリーは今がかくれんぼの最中だったことを思い出した。
「ら、らみお」
「どうした? どこか痛めたのか? それとも体調が悪くなったのか?」
「……」
不器用な手つきで頭を撫でられて、少し落ち着く。ラミオは不安そうな表情でこちらをじっと見ていた。
別にどこか怪我をしたわけじゃない。なのにエミリーは心の中にあるモヤモヤが晴れなくて、救いを求めるように問いかけた。
「ラミオは……わたしのこと、好き?」
「好きに決まってるだろ!」
なんの迷いもない返答に、モヤモヤが少しだけ消えた気がした。
「そんなに不安そうな顔してどうしたんだ、一体……やはり、体調が悪いのか? 大丈夫だ、俺がすぐに人を呼んできてやる! そこで待っていろ!」
エミリーの返事も待たず、全速力で駆け出していくラミオ。
きっと彼は、目の前でしんどそうにしている人がいれば、誰であろうと全力で助けようとしてくれる。そういう性格だと、双子であるエミリーはよく知っていた。
知っていたけど、気付かないフリをした。
ラミオは、私のことが好きだから心配してくれている——そう思い込まないと。せめて一人でも自分のことを好きでいてくれる存在がいると思わないと、生きていけない。
大げさかもしれないが、その時のエミリーは本気でそう思っていた。
◇ ◇ ◇
少し意識してみれば、周囲の態度は思ったよりもあからさまだった。
ラミオと一緒にいる時は、みんなラミオに声をかける。
もちろんエミリーも立場上無視されたりはしないが、積極的に話しかけられることはほとんど無い。
一方ラミオは魔法のことを褒められたり、学校での成績や行いを褒められたり、容姿を褒められたりと、様々。
ラミオもラミオで積極的な性格であるため、相手に話題や質問を振って会話を続ける。
相手はラミオが話し始めると嬉しそうな顔をして、エミリーが話し始めると真顔になる——これは考えすぎなのだが、心にモヤモヤが残ったままのエミリーは、もうそういう風にしか考えられなかった。
自分たち双子と出会った人間は、みんなラミオを好きになる。
今までずっとそうだったんだから、きっとこの先出会う人たちも全員そうに違いない。自分が兄たちより好かれることなんてない。
でもそれはラミオが魅力的だからだ。だから仕方ない。そう思うことで、自分に価値がないと認めずに済んだ。
あの日からエミリーは、無意識に変になっていった。
誰に優しくされても、その厚意を純粋に受け取ることが出来なくなってしまった。どうせ誰も自分のことを好きじゃないのに、ラミオが好きなくせに、優しいフリをするなと苛立ってしまうようになった。その苛立ちを周囲に八つ当たりのようにぶつけるようになってしまった。
その中には、本当に彼女のことを思ってくれた者も大勢いたが、疑心暗鬼になったエミリーの目には全てが敵か何かに見えていた。
周囲はそんなエミリーに対し、前以上に憐みの目を向けてきた。それがまた露骨で、エミリーの苛立ちを増幅させた。
ただ、そんな中でもラミオだけは前と変わらず接してくれた。
城の者に冷たい態度をとるエミリーを叱って「何か嫌なことがあったのか?」と聞いてくれた。
それでも、ラミオにだけは本当のことを吐露することは出来なかった。
この感情は単なる嫉妬で、その対象であるラミオにそのことを告げたら、愛想を尽かされてしまうかもしれないと、恐ろしかったから。
理由を話そうとしないエミリーに対しても、ラミオは変わらなかった。
癇癪を起こすたびに、エミリーの扱いに困り果てた城の者たちに呼び出されては、根気強くエミリーと向き合ってくれた。
――ああ、この人はなんて優しいんだろう。こんなに素敵だから、色んな人に愛されるんだな、と思った。
「……お兄様は魅力的で、優秀で、私のことを好きでいてくれる、唯一の人」
八歳のあの日、自分が周囲からどう思われているか気が付いてから数年間、眠る前に何度も何度もそう呟いた。
それはいわゆる暗示のようなものだったのかもしれない——そうしている間に、いつしかエミリーは兄のことを家族以上の気持ちで愛していると思い込むようになっていた。
終わり
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