第26話【敗北】

 ラミオだけでも後悔しているのに、その妹からも告白されるなんて冗談じゃない……女の子とはいえ王族だし、今は気にしていなさそうなアイリも、そのうち気持ちが変わるかもしれない。

 そもそもエミリーは元々、執着し過ぎて本人にすら距離を置かれるくらいラミオ一筋だったキャラ。今の気持ちは誘拐未遂のショックによる気の迷いのようなもので、説得すれば元に戻ってくれるかもしれない。


 そんな思いを胸に、リタは力強く拳を握り締めた。

 

「何としても、お兄様ラブに戻さなくちゃ……!」

 


 

 というわけでその日の放課後、適当な理由をつけてアイリと別れたリタは、女子寮にあるエミリーの部屋に向かった。

 ノックすると、しばらくの間の後、扉が開かれて制服姿のエミリーが現れた。


「あ、リタ様!」


 そして、パアァーっと嬉しそうな表情に変わっていく。その姿は大変可愛らしいのだが、あいにくリタにはトキめいている余裕はなかった。


「あの、エミリー様」

「エミーです」

「え、エミー」


 王族を愛称で呼ぶという慣れなさすぎる行為に、思わず顔が引きつってしまう。

 

「えっと……二人で話したいことがあるんですけど、お時間大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫ですよ。幸い、ルームメイトは所用で遅くなると言っていましたから、私の部屋でも平気ですか?」

「もちろんです」


 促されるまま、その中に入った。

 エミリーたちの部屋のベッドは、備え付けてあったものではなく、天蓋付きの豪奢なものに変わっていた。室内には白を基調としたた様々な家具が揃えられていて、やたらオシャレだ。窓際には色とりどりの花が咲いた鉢植えまで置かれている。


「ほあー……同じ寮の部屋とは思えないですね……」

「元がシンプルなので、模様替えのし甲斐がありますよね」

「そうですね……」


 なお、リタとアイリの部屋は勉強をするために必要なテーブルなど、必要最低限のもの以外は置いていないし、ベッドも元々備え付けられていたものを使い続けている。その理由はシンプルで、お互い模様替えに使えるほど金銭的な余裕がないからだ。


「……ところでリタ様、敬語はやめてほしいとお願いしたはずですが?」

「え、あ……ご、ごめんね、ついうっかり! 王族の方を前にすると緊張しちゃって」

「もうリタ様ってば。私のことは将来の伴侶だとでも思って、気軽に接してください」


 いや、無理だろ――流石にそこまで辛辣なツッコミは入れられず、リタは苦い笑いをもらすしかなかった。



 やたら高そうなテーブルの前に腰を下ろしたリタは、エミリーの淹れてくれたやたら高そうな紅茶を一口頂いてから尋ねた。


「あの……エミーは、ラミオ様が好きなんだよね?」

「はい、大切な家族ですよ。今の一番はリタ様ですけど」


 笑顔で答えるエミリー。

 それにしても彼女はすっかり雰囲気が変わり、前はツンツンした猫みたいだったのに、今は尻尾をぶんぶん振っている犬のような印象がある。どちらが本当の姿なのかは、出会ったばかりのリタにはよく分からない。


「で、でもついこの間までは、ラミオ様が一番だったんだよね?」

「そうですね。兄はなんというか……私にとって心の支えだったというか。あ、尊敬する心は今も変わっていませんよ」


 元々突っかかられたのもラミオが原因だったし、ホリエンでの彼女の設定を考えても、相当なお兄様好きだったはず。

 絶対に彼女を兄一筋に戻してみせる――と、再度意気込んだリタの頭に、ある疑問が浮かんだ。


"そもそもホリエンにおけるエミリーの存在意義は、結局なんだったんだろうか?"

 

 彼女はゲーム内では、アイリたちが入学する頃には実家から追い出されているのだが……その設定も本編中でほぼ意味をなさなかったし、ホリエン大好きなリタですら忘れかけていた。物語に活かす気もないのに、攻略対象に双子の設定なんてつけたりするものなんだろうか。


「……リタ様? ぼーっとしてどうしたんですか?」

「あ……ごめん、なんか色々疼いてきて……」

「疼く……?」


 ラミオに妹がいる設定の意味が、今更になって妙に気になり始めた。これはある種のオタク心というやつだろうか。

 前世では『ホリエンの無意味な設定w』なんて動画でラミオの双子設定が挙げられてるのを見たことがあるが、本当に無意味な、ただの制作陣の気まぐれで付けられたものなんだろうか。


「……それにしても、兄がリタ様を好きになったと知った時は驚きました」

「あ、それは私も驚いたよ……」


 ラミオは、大人しくて嫋やかな女が好きだって、ⅠでもⅡでも言ってたのになあ、なんて思い出して、リタはハッとした。

 

 ラミオにブラコンの妹がいる設定は、もしかしたらその好みを形成するための要素だったのかもしれない。

 我が強く、自分に強く執着してくる同い年の妹に辟易していたラミオの好みが、それとは真逆のものになるのは自然なことだ。


「なるほど……だからこの世界では好みが変わってたんだ」

「好み?」


 ホリエン内でのラミオはエミリーに愛想を尽かしている様子だったが、この世界の二人の仲はそれほど悪いものじゃない。先日の誘拐未遂の際も、ラミオは真っ先にエミリーのことを心配していた。

 きっとホリエンの本編開始時である十五歳と、今の年齢である十三歳の間に、二人の仲を切り裂く何かがあったか、エミリーの執着にラミオの堪忍袋の緒が切れて関係が悪化してしまったんだろう。

 

 だから本編のラミオの好みは大人しい女性だけど、今の彼にはハッキリとした好みがなかった――結果、衝撃的な出会いを果たしたリタに好意を抱いてしまったのかもしれない。


「なるほど……」

「リタ様ってば、さっきからなるほどなるほどって、何を一人で納得してるんですか?」

「あ、ごめん……なんか色々解けた気がして、スッキリしてきた」

「全然よく分かりませんけど……結局、お話しってなんなんですか? もしかして今朝のお返事を早速聞かせてくれるとか?」


 こちらの思惑になんて微塵も気が付いていない、期待に満ち満ちた瞳を向けられ、リタは硬直した。

 あなたにお兄様一筋に戻ってもらいたくて話に来ました――なんて言ったら、どれだけ傷つけてしまうことか。


「……その、お返事の件なんだけど、あの時は人目もあって詳しい話が出来なかったから、ちょっと色々聞きたいなぁって思って」

「はい、なんでもどうぞ!」

「この間まで、私ってエミーにとっては……なんだろう、兄を奪う敵みたいな感じだったじゃん? それがどうして急にこうなったのかなって……」

「それは、私があの時はまだリタ様の魅力に気が付いていなかったからです」

「その、魅力っていうのは……?」

「え? 魅力とは、人の気持を引きつけて夢中にさせる力の総称です」


 辞書みたいな回答が返ってきた。

 もしかして結構な天然なのかもしれない。

 

「いや、言葉の意味は知ってるんだけど……。そうじゃなくて、私のどこを見て好きになってくれたのかなぁって」

「どこって……感情の問題なので、明確に答えるのは難しいですね」


 リタはそう尋ねつつも、なんとなく答えの予想はついていた。

 アイリも言っていたが、人攫いに助けられた時に見せた、リタの圧倒的な魔法だろう。

 自分のピンチを颯爽と助けてくれた存在。そんなリタにヒーローのような憧憬を抱くのはおかしいことじゃない。まだ子供のエミリーが、それを恋心と勘違いしても、まあおかしいことじゃない――むしろそれ以外好きになるタイミングなんてなかったはずだ。


「気になったキッカケでいいなら……兄が関係あるのか問われた時ですね」


 だからその予想外の返答に、素で「え?」と返してしまった。

 

「……それいつ言った?」

「別にそこは思い出してもらわなくて大丈夫です。……これを機にぶちまけてしまいますと、私の人生、というより私という人間の大半は、兄で占められてたんです」


 エミリーは自分が淹れた紅茶を一口飲み、テーブルに視線を落とした。その目は、どこか遠くを見ているようだった。


「ご存じだと思いますけど、私にはもう一人兄がいて、二人とも私とは比べものにならないくらい凄い人たちなんです。それが誇らしいけど……同じ親から生まれた兄妹なのに、どうしてこんなに差があるんだろうって思ったことも多くて」


 言われて思い出すのは、この間のエミリーの姿。誘拐未遂の後、怯えながら彼女が最初に吐露したのは未熟な自分の不甲斐なさだったが、その内容には兄たちへの嫉妬のような羨望のような感情が混ざっていた気がする。


「私がどうこうじゃなく、二人が特別だってことは分かってるんですけど……でも、どうして私だけって思いは消えてくれない。周囲もきっとそう思ってる、比べられてるかもしれないって思いも消えないんです」

「……そんなこと」

「ない、とは言い切れないですよね。世の中には色んな人がいて、そんなこと気にしない人もいれば、気にする人もいる。私の周囲には後者の考えの人たちが多かったもので……ただでさえ双子ですし」


 この国では、国民のほとんどが第一王子を跡継ぎだと認識している。そんな期待を一身に背負うくらい優秀な長男。長男ほどではないものの、魔法の才能に恵まれ、多くの友達に囲まれているラミオ。

 そんな二人の妹として育ったエミリーには、リタでは想像できないような辛いこともあったんだろう。

 彼女がラミオに執着していたのも、そこら辺の事情が関係しているのかもしれない。


「だから、私の事情に兄は関係ないっていうリタ様が不思議で、気になって……なんかその日のこと全部ひっくるめて考えて考えて、気が付いたら好きになっていた。というのが私の答えです」

「そ、そっか……」


 想像していた五倍くらいのボリュームの返答を受け、リタは冷や汗を誤魔化すように紅茶を一気飲みした。

 もっと軽い感じで「助けられたから好きになりました☆」くらいの返答が返ってくると思っていたのだ。

 それに対し、ラミオの素晴らしさを説いて解決、とか思っていた安易な自分が情けない。


「……それで? これを聞いて、どうしようとしていたんですか?」

「いやぁ……聞きたかっただけ、みたいな」

「ふふ、リタ様は嘘が下手ですね。正直、迷惑だと思ったんでしょう? 私の気持ち」

「ぐ……」


 直球で言い当てられてしまい、ぐうの音も出なかった。


「言ってしましたもんね、大事な人がいるって。でもそれは恋ではないとも言ってましたよね?」

「……うん」

「私がリタ様を好きだと、その方との関係に支障が出るんですか?」

「……分かんない」


 これは嘘ではなく、本当によく分からない。

 アイリに嫉妬心を抱かせないためにも、攻略対象であるラミオにこれ以上近付くのはよくない。しかし同じ王族とはいえ、ゲームに直接登場するわけじゃないエミリーはどうなんだろうか。


「分からないなら、せめて都合が悪くなるまでは、一緒にいることを許してもらえませんか?」


 エミリーの手がリタの手に近付いて、そのまま握られるのかと思えば、躊躇ったような間の後、ひっこめられた。


「今すぐ好きになってもらえるなんて傲慢なことは考えていませんし……将来的に一番になれなくても、たとえ何番目でも、そばに置いていただけるだけでいいんです」

「……私なんかじゃなくても、エミーにはもっと素敵な人が見つかりそうだけど」

「なら、そういう人が見つかるまでの間でいいので、許してもらえますか?」


 にっこりと、素敵な笑顔を向けられたリタは、長い間の後に黙って頷いた。


 きっとこれ以上何を言っても笑顔でかわされて現状が変わることはない――そう思ったからだった。



続く

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