第6話【ひとまずの落着】
「ヒヤアアァアアアアアアアアアアアア!!」
精神がおかしくなってまともに喋れなくなったのか、叫びながらこちらに突進してくる男。
その両腕には赤い霧がまとわれている。あれで殴られた時のことを考えて、リタは嫌な汗が噴き出た。
「アイリ、ちょっとごめん!」
「きゃっ」
「しっかり捕まってて!」
無理やりお姫様抱っこの形で抱き上げると、アイリは小さく声をあげた。悲鳴すらも可愛くて感動したが、生憎とそれに浸っている暇はない。
「『出でよ竜巻』」
小声で唱えると同時、リタの足元に魔法陣が出現し、そこから竜巻が発生。その風力を使って体を宙に浮かび上がらせた。
戸惑いながらもアイリが自分の首に腕を回したのを確認して、リタは思い切り飛び上がった。
「ウアアアアアワアアァアアアアワアアアアアァアアア!!」
絶叫を挙げながら男がリタの足を掴もうと腕を伸ばすも、その手は空を切った。
この世界では、リタの前世のフィクションの中でよくあったような、魔力で空を自由に飛んだりすることは出来ない。箒などの飛行専用の道具を遣えば可能だが、生身では無理だ。
今の二人の状態も、風の力を利用して大きくジャンプしているだけに過ぎない。でも、連続で魔法を使って相手に捕まらないように飛び跳ねながら逃げることは出来る。
「……とはいえ、このままじゃマズいよね」
リタ達が逃げ切るのは容易だが、理性を失った男があのまま大通りに出て行ったら、無関係な人達に被害が及ぶ可能性がある。
リタは右手でアイリの体を抱え込み、空いた左手を下に向けた。
「『風属性中級魔法:ウィーギラス』!」
放たれた風の塊は男の喉元に直撃し、そのまま彼は地面に倒れ込んだ。
確実に一撃で気を失わせるために少し威力を高めてしまったが、ぴくぴく痙攣しているところを見るに、死んではいないようだ。
「よかった……」
ホッと一息つくと、ふと視線を感じた。
「あ、ごめんね、急に抱っこしちゃって」
「ううん。それより、また助けられちゃったね……ありがとう」
申し訳なさそうに、でもどこか嬉しそうに微笑むアイリ。
天使としか思えない笑顔が眩し過ぎてリタの目は潰れそうになったが、そんな場合でもないので何とか堪えて、彼女を抱えたまま人気のない場所に降りた。
「やっぱり魔法使えるんだ」
「うん……そこそこね」
丁寧にアイリの体を下ろしながら答えると、キラキラと輝く星のようなお目目で見つめられた。こんな場面だというのに、やっぱりリタの目はトキメキで潰れそうでヤバさを感じた。
「そうなんだ! あのね、実は私も——」
「いたぞ! あのガキ共だ!!」
可愛いアイリの声に被さって聞こえてきたのは、野太い男の声。
声のした方向を見ると、先ほど逃げ出したはずの男達が、手に剣やら槍やら物騒な物を持って、こちらに走って来ていた。
子供に脅されて仲間を置いて逃げ出した上に、全員武器持参で再度突撃とは恐れ入る。しかもよく見たら先ほどより人数も増えてるし。
「どいつもこいつもなんて大人げないんだ……!」
「じゅ、十人以上はいるね……どうする?」
あれだけの人数を一気に倒すレベルの魔法を、この狭い路地裏で放つのは危険だ。壁が崩れて周囲に被害が及ぶ可能性が高い。彼らだけを正確に撃ち抜ければいいのだが、動いている対象を狙うのは難しいし、リタはその手のコントロールにイマイチ自信がない。
かといって大通りに出るのは勿論論外。となると、一人ずつ小さめの魔法を食らわせていくしかない。
「あいつらは私が引き付けるから、アイリは逃げて」
「そんな……一人じゃ危ないよ」
「大丈夫大丈夫」
リタ的には、むしろ一人の方が動きやすい。
万が一、誰かがアイリに傷でも付けようものなら、また頭に血が上って、今度こそ取り返しのつかないレベルの魔法を人にぶっ放してしまいそうだから。
「……」
「アイリ? 私は本当に大丈夫だから、早く逃げてもらえた方が助かるんだけど」
「……」
返事がない。
あのアイリが人を無視するなんてと多少のショックを受けた後、もしかしたら恐怖で動けないのかもしれないという心配にリタの考えが切り替わったところで、アイリが何かを決意したような顔をして口を開いた。
「……ねぇ、あの人たちは、悪い人だよね?」
「え、まあ、犯罪者なのは間違いないかと……」
尋ねながら、リタよりも前に出てくるアイリ。その表情は暗く、顔色も悪く見えた。魔法が使えるとはいえ、あれだけ大人数に迫って来られれば怖くて当然だ。
危ないから下がってほしいのに、何故か彼女は頑として動こうとしない。そんなことをしている間にも、男たちは近づいてくる。
「あ、アイリ、とりあえず逃げて……」
「このガキ共がぁ!!」
両手で剣を握り締めた男が、二人に向かってそれを振りかぶった。
まずい、このままじゃアイリに当たる、とりあえずこの人だけでもぶっ飛ばしてしまおう——リタの思考がそこまで行きついた時、一歩前に出たアイリが右手を突き出した。
「『雷属性上級魔法:リ・エルティード』」
彼女が静かにそう唱えた瞬間、空に巨大な青色の魔法陣が出現し、そこから無数の雷が男たちに向かって放たれた。大胆な攻撃にも見えるそれは、恐ろしいくらい正確に男たちの体を射抜き、周囲の壁などには一切の被害を与えていなかった。
雷が人に直撃しているという危険な光景にも関わらず、リタはそれを見て「綺麗だ」なんて場違いな感想を抱いてしまった。
バチィッという、何かが弾けるような音と、断末魔みたいな悲鳴があちこちから上がった後、男たちは一人残らず地面に倒れ込んだ。
「すっ……す、すごい! すごいよアイリ!」
「……」
リタの賞賛を受け、アイリはぽかんとした表情で黙り込んだ。
褒められたのに驚くという妙なリアクションに、リタは首を傾げる。
「どうかした?」
「あ……ううん、なんでもない。それより、大丈夫かな? みんな生きてるよね……?」
非常に不安そうな顔をするアイリの言葉を、すぐに肯定してあげることは出来なかった。リタの目には、うっかり何人か死んでいてもおかしくない威力に見えたから。
試しに、目の前に倒れていた、先ほど剣で切りかかろうとしてきた男の後頭部を指でつついてみる。見ていた限りでは、彼が一番強く雷に打たれていたから。
少しの間はあったものの、苦しげに呻いた——どうやら死んではいないらしい。
「この人が生きてるなら、他の人も大丈夫じゃないかな……多分」
率直に言うと、ここで亡くなった方が世のため人のためになりそうな連中ではあるが。流石に魔法で人を殺したなんてことになったら、アイリの寝覚めが悪くなりそうだ。
「よかった……私、魔法の力加減がイマイチ上手く出来なくて……人に向かって撃つのも苦手なの」
「そうなんだ……」
アイリはゲーム内でも人と争うのを好まない平和主義者だ。とはいえ、もちろん戦闘シーンではその圧倒的な魔法で敵を薙ぎ払ってくれる。
「でも、手加減してこの威力なんだよね? しかも上級魔法まで使えるなんて、すごいよ!」
「そんなこと……私、雷属性しか取り柄がないから」
この世界の基本的な魔法は、土・水・火・風・雷の五属性に分かれている。魔力を有する人のほとんどが、この内の二属性を使うことが出来る。
ちなみに『リタ』は制作陣の贔屓キャラ故、この五属性は全て行使できる天才設定になっている。
一方のアイリは、一種属の魔法しか使うことが出来ない。その理由は物語終盤で明かされるのだが、今は関係ない話なので置いておく。
ゲーム的に言うと、アイリは一種類の属性魔法しか使えない代わりにMPと攻撃力が高いタイプで、リタは多くの属性魔法が使える代わりにMPと攻撃力は、平均よりも高いがアイリよりはやや低めに設定されている。
「言うより見せる方が先になっちゃったけど、私も魔法が使えるの。といっても一属性だけなんて、変だよね」
「いや、すごいよ! こんな狭い場所で的確に相手に当てられるのもすごい!」
「……魔法を褒められるのってなんか……すごく新鮮で照れちゃう」
そう言って、本当に照れたように笑うアイリが可愛い。嗚呼可愛い。すごく可愛い。天使。
リタの気持ちは、場違いにもどこまでも舞い上がっていた。
「……それよりこの人たち、どうする?」
そんなリタとは対照的に、アイリは真面目に現状を心配していた。
「あー……しばらく目覚まさなさそうだけど、ここに放置しておくのも危険だよね。誰か通りかかるかもしれないし」
「やっぱり念のため騎士団に連絡しとこうか。分団所が帰り道にあるから、ついでに伝えておくよ」
「ありがとう」
騎士団は、リタの前世でいうところの警察のような立ち位置の組織で、分団所は交番みたいなものだ。
「分団所、無人じゃなきゃいいけど……最近、徐々に治安が悪くなり始めて大変なんだって。ニコロが言ってた」
「人さらいとか横行してるらしいもんね」
まあ治安が悪いと言っても、これでも他国に比べれば遥かにマシなのだが。
感情移入がしやすいようになのか、ホリエンの舞台となる国は、日本と似たような平和国家を目指す島国だ。ここ数十年は戦争に巻き込まれることもなく、穏やかな情勢が続いている。
「あ、じゃあ私も一緒に——」
ついていくと言いかけた時、リタの脳内に、怒りの形相で詰め寄ってくる母の姿が浮かんできた。
「あー! そういえば今って何時!?」
「時計が無いから正確には分からないけど……八時くらいじゃないかな?」
それはつまり、母たちと別れてから三十分以上は経っていることになる。
「ごめん! 私、そろそろ帰らないといけなくて……分団所に行くの、任せて大丈夫かな……?」
「うん、いいよ。もうこんな時間だもんね」
「あ、アイリは時間大丈夫? アイリの住んでる町からここって、かなり遠いよね?」
「私は親戚の人と泊まりで来てるから……って、なんで私の住む町まで知ってるの?」
「え!? あ、あー……いや、私も、あの近くに住んでたことあるから!」
「ということは、前に会ったのも、町でのこと?」
「そ、そうそう!」
仕方ないとはいえ、どんどん嘘に嘘を重ねていかなきゃいけないことに胸が痛む。なのでリタは、早めに会話を切り上げることにした。
「じゃあ、私はこれで! また会えたらいいね!」
勢いよく頭を下げ、アイリの返事も待たずに踵を返して、リタは宿へと猛ダッシュ——
「ご、ごめん、ちょっと待って!」
——したはずなのだが、気が付いたら目の前にアイリがいた。
走り出したのはリタの方が先だったのに、先回りされたのだ。
アイリってこんなに足早かったっけ。そう思いながら彼女の足元を見ると、青白い電気のようなものが光って消えた。
「あ、そっか……電気を足にまとうと、足が速くなるんだっけ?」
「え……うん。原理はよく分かってないんだけど、便利だからよく使ってるの。よく知ってるね?」
「まま前に似たような魔法を見たことがあって!」
これも嘘といえば嘘だが、ゲーム内でよく見た光景なのは間違いない。
微量の電流を自分の体に流すことで肉体を強化し、常に百パーセントの身体能力を発揮できる——とかなんとか。ゲーム内で軽く解説されていただけなので、リタもその仕組みはよく分かっていない。
「それで、どうしたの?」
「えっと……」
何故か視線をあちこちにさ迷わせるアイリ。
早く帰らないと親に怒られそうなのだが、言いよどむ姿が可愛かったので、リタは急かすことなく呑気に待ってしまった。
およそ一分ほどに渡る長い沈黙の後、アイリがわざとらしく声をあげる。
「……あ、そうだ! もしかしてニコロに何か用事とかあるのかな、とか、思って」
「ニコロ? ……ああ……」
そういえば、彼とも会ったことがあるという嘘をついたんだった。アイリが目の前にいる感動ですっかり忘れてしまっていた。
よければ私から伝えておくけど、というアイリの提案を、リタは丁重にお断りした。
「ニコロとは知り合いってほどでもないから。向こうも覚えてないだろうし」
「そうなんだ。……確かに、仲が良いならニコロからもっとあなたの話を聞いてないとおかしいもんね」
「なんで?」
「だって魔法もすごかったし、それに可愛いから」
「……」
思わずドキリとした。
悲しいことに、それはときめきではなく、不安からくるものだったが。
Ⅱで、改悪と呼ばれるレベルに性格を変えられたアイリは、『リタ』に嫉妬して酷いイジメを仕掛けてくるようになるのだが、その際に今と似たような台詞を何度か投げかけてくる。
“あなたは可愛いから。だから気に入らない。だから嫌いなの”
アイリが『リタ』に向けた憎悪を思い出して、心臓がヒヤリとする。だって今は、自分がその『リタ』だから。
「こんなに可愛い子が友達だったら、ニコロは絶対自慢してくると思う」
楽しそうに笑うアイリには、こちらを恨んでいるような気配はない。
出会ったばかりだから当たり前だが、リタはそのことに酷く安心した。
「ニコロって、女の子の友達も多いから。周りに可愛い子いっぱいいるし、私も結構そういう子たちを見慣れてるんだけど……リタは私が知ってる女の子の中で一番可愛いかも」
「アイリも可愛いよ!!」
「ふふ、ありがとう。優しいね」
別に優しさで言ったわけではないのだが、どうもお世辞と捉えられてしまったらしい。しかし、アイリのこういう控えめなところもまた可愛いのだと、リタは勝手に感慨に浸った。
「……リタはどの辺りに住んでるの?」
「ここの隣町」
「そっか……じゃぁ私たちの町からは結構遠いけど……機会があったら遊びに来てくれると嬉しいな。ニコロも大抵一緒にいるから、三人で遊ぼうよ」
そう言いながら、アイリはポケットから取り出したメモ帳のようなものにペンを走らせ、それを千切ってリタの手に握らせた。見ると、そこには彼女の家の住所と思しきものが書いてある。
「……えーっと、機会があったら、ぜひ」
とりあえず頷くと、アイリは嬉しそうに笑った。その顔があまりにも可愛くて、毎日でも彼女のいる町に通いたくなったが、物理的にも心情的にもそういうわけにはいかないのが悲しいところだ。
「約束だよ。じゃぁ、引き止めちゃってごめんね。帰ろっか」
アイリと共に路地裏から大通りに出る。
リタが宿へと続く道を指すと、アイリの目的地は逆方向だと言う。
「今度こそ本当に、またね」
「うん」
軽く手を振り合って、お互い背を向けて歩き出す。
先ほど走り去ろうとした時、アイリが引き止めて来たのは、この住所を渡したかったからなんだろうか。それはつまり、自分とまた会いたいと思ってくれたということだろう。
「めっちゃ嬉しいけど、これ以上会うのはまずいよなぁ……」
夢にまで見た同じ次元に存在する推しは、いざ会ってみても想像通り可愛くて、むしろ想像よりも遥かに可愛くて優しくて格好良くてさらに惚れ直したのだが、自分はこの欲望に流されてはいけない。
アイリにとっての『リタ』は、存在自体が害になるかもしれないから。
アイリの大切な人——ゲーム内の攻略対象達——を奪い、あんなに優しかった彼女を退学させるキッカケを作った極悪人。まあそんなシナリオを描いた制作陣が悪いのであり、『リタ』自身の性格が悪いというわけでもないのだが。それでもアイリに良い影響を与える存在じゃないのは確かだ。
「……そういえば、なんで結局会うことになっちゃったんだろう」
今更だが、再度疑問に思う。
本来なら、今日アイリはニコロと一緒に自分の町で遊び、そこで『リタ』と出会う。それを避けるためにリタはあえてゲーム内とは別の行動をとった。なのにアイリと出会ってしまった。ニコロとは出会わなかったけど。
「……もしかして、どれだけ対策しても変えられないこともあるとか……?」
学校でのイジメはなくすことができた。でもそれは、ホリエンの物語上そこまで重要な事柄ではなかったからかもしれない。
それに比べるとアイリと『リタ』の出会いは重要なシーンの一つ——で、あるのかもしれない。正直プレイする側のリタには、何が重要かそうでないか、確実な判断はつかない。
「うーん……」
だとしたら、一体どんな出来事なら変えられて、変えられないものは何なのか。
「…………ま、とりあえず今は怒られないことを優先しよう!」
いくら考えても、今答えが出るようなものでもないと気が付いたリタは、とりあえずアイリから受け取ったメモ用紙を大事に鞄にしまい、家族の元に急いだ。
続く
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