第5話【回想からの帰還】

 喫茶店に戻り、店員から鞄を受け取って外に出た時には、既に日は落ち切っていて、周囲は真っ暗だった。

 遅くなって両親に心配をかけるのも怒られるのも嫌なので、宿に続く道を小走りで進む。

 

 今日泊まるのは、料理が美味しいと評判の宿。一体どんな夕飯が出てくるのか、そんなことを考えれば考えるほど、自然と足取りも軽くなっていく。最早スキップのような形で歩いていた時だった。


「や、やめてください……!」


 蚊の鳴くような声が、路地の方から聞こえてきた。



◆ ◆ ◆



 ——そして、男たちに絡まれていたアイリをリタが魔法で助け、今に至る、というわけだ。



「……あの」

「あ、ご、ごめん!」


 今までの流れを思い出していたせいで、リタは随分と長い時間黙り込んでしまっていたらしい。

 目の前の少女——アイリは、困ったような表情でこちらを見ていた。


 アイリがどうしてこんなところに。今日はニコロと一緒にいるはずで、だからわざわざ旅先を変えたのに。というか思わず襲い掛かっちゃったけど、この人たちは誰。

 頭の中で疑問が渦巻き続けてパンクしそうになったリタだったが、


「……」


 困った表情のままのアイリを見て、その存在の尊さに思考の全てが吹き飛んでいった。


 初めて目にする現実世界の推しは、言葉を失う程に可愛い。

 腰元まで伸びた髪は、絹のような綺麗な白銀色で、思わず目を奪われるくらい輝いて見えた。いや、実際キラキラしてる、光ってる。何故かって、周囲が暗いからだけじゃない、アイリは天使だから。

 ——というのはあくまでリタの贔屓目だが、それを抜きにしても、アイリが人の目を惹く美少女であることは間違いないし、とにかく可愛い。さっきから可愛いしか言ってない気もするが、この語彙力の低下も彼女が可愛いせいである。


「……あの、大丈夫ですか? 少し顔色が悪いような気が」

「ぜ、全然っ! いつもこんな感じなのでお気遣いなく!」

「でも真っ赤だし、汗もこんなに……」


 アイリは自分のポケットからハンカチを取り出し、「ちょっとごめんね」と言いながら、リタの頬に伝っていた汗をそっと拭ってくれた。


「くっ……好きっ!!!」

「え?」

「あ、いや、なんでもない!」

「大丈夫そうなら話を戻すけど……さっき、私の名前を呼んだよね? 私たち、どこかで会ったことある?」

「あー……えっと、前に、一度だけ……?」


 もちろんこれは大嘘なのだが、咄嗟に上手い言い訳が思いつかなかった。なにせ、今日ここでアイリに会うなんて、リタは全く想定していなかったから。むしろ会わないために行動していたから。

 アイリは大きな目をぱちくりさせた後、再び困ったように眉を下げた。


「そうだったんだ……ごめん……私、全然覚えてなくて」


 こちらの言葉を全く疑うことなく、素直に謝ってくる。

 人を疑うことを知らない純粋な女の子——リタのよく知るアイリそのものな反応が、どちゃくそに可愛い。好き。

 リタは心の中でひっそり悶えた。


「……あなたの名前、改めて教えてもらってもいいかな?」

「あ、りっ、リタ・アルベティです!」

「リタ、さっきは助けてくれてありがとう」

「あ、いや……あ、全然!」


 推しが同じ次元に存在して同じ空気を吸って会話しているという事実に、緊張のあまり語頭に「あ」がついてしまうのを止められない。


 このままでは変に思われそうなので、リタは深呼吸して心を落ち着かせる。

 今はアイリの存在に感動している場合ではない。むしろ抱くべき感想は「なんでここにいるの」だ。


「あの、アイリは……どうしてここに?」

「どうしてって……普通に、遊びに来たの」

「ニコロも一緒?」

「あれ、ニコロとも知り合いなの? もしかして私と会ったことあるのも、ニコロの繋がり?」

「う、うん、まあ」


 つい頷いてしまったが、ニコロと会った時、すぐにバレてしまいそうな嘘だ。

 でもそんなことは今は置いておくとして、ゲーム通りならばアイリは今日、彼女たちの住む町でニコロと遊んでいるはずだ。


「今日、ニコロと遊ぶ予定はなかったの?」

「ニコロと? 確か約束してなかったはずだけど……」


 アイリに嘘をついている気配はない。

 だとしたら、これはどういうことだろう。この世界がゲームと同じなだけで、そこに暮らす人々の行動が必ずしもゲーム通りになるというわけではない、ということだろうか。


「ぐう……」


 リタが考え込んでいると、足元で倒れていた男が呻き声をあげた。

 すっかり忘れていたが、この地面で伸びている男は、いつ目を覚ましてもおかしくない状態だった。


「あ、結局この人達は何だったの? 絡まれてたよね?」

「うん。実は、私の前に他の子が声をかけられてたの。それを助けようと思って、気が付いたら逆に私が危なくなってて……カッコ悪いね」

「そんなことないよ全然! 偉いと思う!」


 むしろ、リタが推しているアイリそのものの行動に、不謹慎ながら感動してしまった。


「この人たち、人さらいか何かかな」

 

 最近はどこも治安が悪化しており、子供を狙ったそういう事件も増えていると、前に父に聞いたことがある。

 ただ、この世界でこういった犯罪をする人間の割には、随分と弱かった気もする。少し脅したらすぐに逃げて行ったし、魔法もロクに扱えていなかった。

 リタの魔力が高いことを差し引いても、人さらいをするには弱めな相手だったことが、どうにも引っかかる。


「……あの、私も気になること聞いていいかな?」

「うん」

「さっきの炎は魔法だよね? 魔法使えるの?」


 問いかけるアイリの瞳は、何かを期待しているかのように輝いていた。

 彼女の生い立ちがゲーム通りならば、彼女はリタと同じく、庶民でありながら高い魔力を有していることで周囲から浮いている。だから、同じ年ごろの魔法使いに出会って嬉しいんだろう。


「うん、実は私も……」

「このクソがぁっ!!」

「うひゃっ!?」


 うるさいくらいの声量で叫びながら、男がいきなり起き上がった。

 リタは驚いて間抜けな声を出しつつも、反射的にアイリを庇うようにして、男から距離を取る。


「てめぇら……ガキだからって調子に乗るなよ……」


 先ほどリタが殴りつけた頬を抑えながら、こちらを睨みつけてくる男。


「これ以上何かするなら、大人を呼びますよ」

「うるせぇ!! くそっ、こんなガキ相手に使う気はなかったが……」


 男はブツブツと文句を言いながら、自分のポケットを探り始めた。

 少しして取り出されたのは、透明な瓶。その中には、ラムネのようなカラフルな色の何かが入っている。


「あれって……」


 後ろにいたアイリが、驚いたような怯えたような声をあげる。


「知ってるの?」

「多分、増強剤じゃないかな」

「増強剤……」


 前に教科書で見たことがある。栽培するのが禁忌とされている薬草を調合させて作り出されたもので、服用すると脳に強い影響を与え、運動能力や筋力や魔力を強制的に向上させる効果があるとか。もちろん違法薬物に認定されているものだ。


「本物初めて見た……あれって食べたら、魔力アップとかしちゃうんだよね」

「うん……でも違法なはずなのに、なんであんな物を……」


 こんな路地裏に少女を引っ張り込んだり、違法薬物を所持していたり、どう見ても彼は犯罪者確定でいいだろう。

 それなら、もう少しだけ本気を出してもいいかもしれない。

 さっきはガラの悪い大人くらいだと思って手加減したが、リタもせっかくだし一度くらいは思い切り魔法を使ってみたいと思っていた。


「今更謝ってもおせぇぞ!! お前ら二人ともグチャグチャにしてやるからな!!」


 大変物騒なことを叫びながら、瓶から複数の増強剤を取り出し、そのまま口に含む男。ガリガリと盛大な音を立てた後、それを飲み込む。

 次の瞬間、彼の全身から赤い霧のようなものが吹き出して、彼の体はそれに包まれた。


「アアアアアアアァァァアアアアッ!!!」


 同時に、獣のような苦しそうな呻き声をあげる男。


「な、なにあれ……?」

「増強剤は効果が強すぎて、少し摂取しただけでも精神がおかしくなることもあるって、教科書に書いてた」

「そんなものを何で一気にあんなにたくさん?」

「……よっぽど腹が立ってたのかも」

「そんな、いくら怒ったからって、後先考えなさすぎでは……」


 リタとアイリがのんきに話していると、男の体を包んでいた赤い霧が炎のような形になり、リタの顔面目掛けて飛んできた。


「うわっ!?」


 間一髪、身を翻してかわすと、赤い霧は後ろの壁に衝突して弾け消えた。

 鉄板で何かを焼く時のような音がして、壁から煙が上がる。数秒でその煙は空気に散っていったが、壁の一部分が、マグマでも当たったかのようにドロドロに溶けていた。


「マジ、ですか……」

「あれに当たったら、私たちの体もこんな風に溶けちゃうのかな」


 アイリが、可愛い顔してトンデモないことを言う。

 そんなわけないじゃーん、と笑い飛ばせないのが、辛いところだった。



続く

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