第3話【リタ・アルベティという存在】
医者に頭を診てもらい、異常はないと判断されて家に戻ると、ぼさぼさ頭の少年が駆け寄ってきた。リタの兄である。
「リタ、大丈夫か?」
心配そうにこちらの顔色を窺ってくるその姿を見つつ、そういえばゲームのリタも兄がいる設定だったなと、今更ながらに思い出していた。本編には登場しないどころか会話にすら上がらない設定のみの存在なので失念していた。
「うん、平気平気ー。ちょっと頭うっちゃっただけだから」
「ん? お前、なんか喋り方変わってないか?」
「えっ、あー……今日からはこんな感じでいくから、よろしく」
「……母さん、本当に頭に異常は無かったのか?」
信じられないといった顔で、後ろから来た母に確認をとる兄。
失礼な発言だが、まあ仕方ない。記憶を思い出すまでのリタは、ゲームの設定通りの——庶民とは思えない程、それはもう礼儀正しく、家族との会話にすら敬語を用いるような清楚な少女だったから。
「お医者様は異常は見られないって仰ってたけど……一時的に記憶が混乱してる影響かもしれないわね」
「ふーん……なんか普通の子供みてーな喋り方するお前って不気味だな」
「こら、なんてこと言うの。リタ、もしもどこか痛くなったらすぐ言うのよ」
「う、うん」
心配してくれている家族には悪いが、記憶を思い出してしまった今、前のような品行方正な少女に戻るのは難しい。
なにせ前世のリタは、どちらかというと粗雑寄りの性格だったから。頑張って礼儀正しいフリをしたところで、絶対いつかボロが出る。そうなるくらいなら、いっそ自然体でいて変化に慣れてもらう方が手っ取り早い。
とはいえ、今のリタにはこの身体で生まれ育った記憶もハッキリ存在する。
二つの人格が混ざり合った結果、ガサツが勝ってしまった状態だ。何故だろう……人生の長さの問題だろうか。
まあとりあえず、ちょっと早い思春期のせいで性格が曲がってきたということで誤魔化すのが自然だろうか、と考えたところで、リタは自分の年齢を思い出した。
「お母さん、私って今十三歳だよね!?」
「そうよ……なに? 頭を打って自分の年も忘れちゃったの? やっぱり」
「いや大丈夫! ちょっとド忘れしちゃっただけ!」
やっぱりもう一度お医者様に、なんて言い出される前に言葉を遮った。そして考える。
ホリエンでは、リタが十三歳の時にとあるイベントが起こる。もしもこの世界がゲーム通りに進行するのだとしたら、同じことが近い内リタの身にも降りかかってくるのではないだろうか。
「……リタ、あなた本当に大丈夫?」
「あ、平気平気」
ただ、それが分かった所で何をすればいいのか。このまま身を任せていれば、ゲームみたいに勝手に本編が始まっていくのだろうか。
とりあえず、いつまでもここで唸って母に心配をかけるのも嫌だし、一度一人になって状況を整理したかった。
そんな事を思っていると、向かいの道から一人の男性が全力疾走でこちらに駆け寄ってきた。
「リタ!! 大丈夫か!?」
「あ、お父さん……仕事は?」
「母さんから電話を貰って、心配で帰って来たんだ! 頭を打ったんだって!? どこだ!? まだ痛むか!?」
「へへへへいきだよおおお」
心配しているなら、頭を打った人間の肩を全力で揺さぶってくるのはやめてほしい。
「階段から落ちるなんて、何でそんな事になったんだ?」
「あー……」
この質問をどう誤魔化そうか、リタは揺さぶられながら必死に考えた。
恐らく、というか確実に、リタを押したのは同級生の子だ。
リタはクラス内でイジメにあっている。今までは、イジメられるのは自分に非があると思っていたが、これはゲーム内のリタの設定通り。確証はないが、リタがどんな風に過ごしたところで、イジメられるように世界が動いていたのかもしれない。
「ちょっと寝不足で……足が滑っちゃったんだ」
とはいえ、娘がイジメられているなんて親に知らせるのはなんだか嫌だった。特にこんな怪我をした後だから、両親が真実を知れば学校に乗り込んでいくのは目に見えている。
「ちゃんと睡眠はとらないと駄目じゃないか!」
「気をつけまーす」
「……ところで、今日は随分と砕けた話し方だな?」
「これを機にキャラチェンジ☆みたいな?」
「……」
おどけてみせたのに、ちょっと引いたような表情をするのはやめてほしい。
突然雰囲気の変わった娘に複雑な感情を抱いているらしい父を見て何か思ったのか、母が空気を変えるようにパンと手を打った。
「じゃあ、お父さんも帰ってきた事だし、少し早いけど夕飯作っちゃうわね?」
お手伝いを志願したが「怪我をしてるんだから大人しくしていなさい」という命により、自室に戻されてしまった。
けど、むしろ良かったかもしれない。今の状況について整理しておきたかったから。
まず、この世界は『ホーリーエンジェル』と同じものと考えて流石に間違いないだろう。
だとしたら、今一番リタが気になっているのは、アイリ・フォーニの存在だ。
アイリはこのゲームの主人公であり、先ほど思い出した記憶の中で、一際鮮明に映し出されていた銀色の髪をした少女。
彼女はリタにとって、いわゆる「推し」である。
小学生からアニメや漫画、ゲームやライトノベルなど、二次元の作品が大好きだった。
特に好みはなく、いわゆる雑食オタクで男性向けでも女性向けでも面白ければ何でも良しという考え。何を見ても読んでも、面白いなと思うだけで何か一つの作品に深くハマることはなかった。
そんなリタが初めて「好き」という気持ちを強く意識したのは、中学生の頃。ゲームショップで見かけたパッケージの綺麗な絵に一目惚れし、お年玉貯金をおろして購入。
全編プレイし終えたリタが一番心惹かれたのは、攻略対象の美男子たちではなく。普段は優しく可愛い女の子なのに、戦闘においては規格外の強さを誇り、魔法でバッタバッタと敵を倒していく、カッコ可愛い主人公——アイリだった。
彼女を好きになって以来、リタはいわゆる「推し活」と呼ばれるものに興味を持ち、彼女一筋の生活が始まった。それこそ、死ぬまでの間ずっと彼女に夢中だった。
「ホリエンの世界に来たからには、アイリに会いたいなぁ……この世界でも絶対可愛いんだろうし」
推しのことを思い出すと、だらしなく頬が緩むのはオタクなら仕方ないことだ。
「……でも私、今リタなんだよなぁ」
そんな避けようのない事実を思い出し、リタの緩んだ頬が元に戻った。
ベッドに放り投げていた手鏡を手に取る。そこに映るのは、嫌味なほどに整った顔。どの角度から見ても可愛い、下から見ても可愛いとかバグか何かか、と感じるほどの美少女が、今の自分である事実に、ますます気分が落ち込む。
「リタでさえなければ……」
美少女に転生したのにこんなに落ち込んでしまうのは、ゲームに登場する『リタ・アルベティ』は、リタの推しであるアイリと、良い関係性のキャラとは言えない——むしろ最終的には敵対すらしている立場にいるからだ。
ホリエンの主人公はアイリ。しかしそれは、悲しいことにⅠのみの話だ。
Ⅰの人気を受けて発売された続編のⅡは、何故かⅠの世界のifルートとして作られた。
そして新入生の『リタ』が急に主人公として登場し、アイリは「主人公の友人」というポジションに置かれる。事実上の降格だ。
しかも制作陣は気でも狂っていたのか、主人公が変更されたにも関わらず攻略対象キャラは前作と同じままという暴挙に出る。こんなのもう一種の寝取られだ。
しかしアイリの悲劇は、主役の座を奪われただけでは終わらない。
前作では誰にでも分け隔てなく優しかった彼女は、急に性格が変わったかのように、ワガママな態度をとるようになったり、異様に嫉妬深くなった。
挙句の果てには、全ルートで『リタ』と同じ相手を好きになり、彼らに振り向いてもらえない事で『リタ』に嫉妬し、彼女をイジメて退学に追い込もうとして、逆に自分が退学させられるという、とんでもないストーリーが展開される。しかも驚くべきことに全ルート共通で。
Ⅱがそんな風になってしまった一番の原因だと考えられているのが、新主人公である『リタ』の存在だ。
『リタ・アルベティ』は、清楚系の可愛らしい外見、誰にでも優しい性格、高い魔法の実力と、アイリに非常によく似た設定のキャラクターだった。
それだけならただのキャラ被りなのだが、問題は『リタ』が制作陣の贔屓キャラなんじゃないかと、ファンから抗議の声が上がったほどの、作中での優遇っぷりだ。
もしもアイリに同じくらいの実力を持った女友達がいたら——そんなキャッチフレーズを掲げているⅡは、新主人公の『リタ』がアイリのルームメイトになるところから始まる。
二人は自然と友達になり、それをキッカケに、攻略対象となるキャラ達は『リタ』に心惹かれていく。そしてそれを見たアイリが『リタ』に嫉妬して——という流れで上記の展開に至るのだが、主人公が『リタ』である以上、『リタ』が主軸になるのは仕方ない。
仕方ない、のだが。
魔法の実力も『リタ』の方が上、容姿も『リタ』の方が可愛い、攻略対象たちの溺愛度も『リタ』の方が高い。そんな感じで、何故かⅡではアイリと『リタ』を徹底的に比べ、『リタ』を持ち上げるような描写が頻発する。
唐突な主人公交代と、続編がifルートという謎の選択、前作主人公のぞんざいな扱いを、既存のファンが快く思う訳もなく、Ⅱの評価は大炎上。ネット上では厳しい意見や批判に近い感想が飛び交う結果となり、その後続編が出ることはなかった。
ちなみにリタ自身もⅡはそんなに好きではない——が、彼女はどちらかというと作品全肯定タイプの盲目寄りのファンなので「こういう一面があるのもまたアイリの魅力の一つなのかも」と前向きに考えつつ、多少のことに目を瞑りながら周回プレイしていた。しかし流石にアイリのイジメや退学に関わるシーンは辛すぎて、スキップしがちだった。
「いや、でもいくら同じ世界だからって、ゲームと同じようなことが必ず起こるわけ…………ない、とは、言い切れないか」
実際に今のリタは、ゲーム内の『リタ』の設定そのままの人生を送っている。
住んでいる町の名前。両親と兄との四人家族ということ。友達はゼロでいじめられているという環境。
こうなると、抗わない場合は基本的にゲーム通りに進んでいくと考える方が自然。なら、リタがアイリと出会ってしまったら、ゲーム通りの展開になって彼女を不幸にしてしまうかもしれない。
「やっぱり会わない方がいいのかな……もうすぐなのに」
先ほど思い出した十三歳の時に起こるイベントというのが、アイリとの出会いなのだ。
この年の夏、『リタ』が家族で遊びに行った伯母の住む町で、彼女と出会うことになる——のだが、実はこのエピソードはアイリと『リタ』の出会いがメインではない。
重要なのは、アイリの幼馴染かつ攻略対象である、ニコロという少年。
いつものように二人で遊んでいたアイリとニコロは、偶然そこで『リタ』と出会い、気が合って一緒に遊ぶことになる。この出来事が、ニコロが『リタ』に好意を寄せるキッカケになってしまう。
「いやー、あのエピソードがⅡで出てきた時は本気でイライラしたなぁ」
なにせニコロというキャラは、Ⅰでは幼い頃からアイリ一筋という設定だったにも関わらず、Ⅱでは過去に一度一緒に遊んだだけの『リタ』に一目惚れしていたという、明らかに矛盾したものに書き換えられたのだ。まあ、ifルートなので矛盾ではないのかもしれないが。
アイリファンのリタからしても、アイリの大事な幼馴染を盗られたようなもので、この過去改変は流石に不快だった。
「あーもう! やっぱりアイリを不幸にしちゃうリタは苦手! ってか、リタ贔屓の制作陣が無理! でも今は私がそのリタなんだよなぁ!」
冗談みたいな状況に、とりあえず叫ぶしかない。が、いつまでも憂いていても仕方がない。
「……まあいいや。私にとって大切なのは、リタじゃなくてアイリだもん」
もしもこの世界がゲーム通りに進むのなら、伯母さんの家に行くと、アイリ達と会ってニコロとのフラグが立ってしまうかもしれない。
アイリには会いたいけど、今後のことを考えるとこのイベントは避けるべきだろう。
「よし! 夏休みは何としてもニコロフラグを回避するぞ! ニコロはアイリの幼馴染でアイリ一筋! そこにリタが付け入る隙なんてありはしない!!」
「リター、ご飯出来たわよー」
「今行くー!」
ちょうどいいタイミングで母の声を受け、リタはるんるん気分で部屋を出た。
続く
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