第2話【始まりに至るまでの回想】
そもそもどうしてこんなことになったのか。話は数ヶ月ほど前に遡る。
リタ・アルベティは、昔から何度も同じ夢を見ていた。目を覚ましても、他の夢よりもハッキリとその内容を思い出すことが出来る、不思議な夢。
見知らぬ場所で、見知らぬ誰かと笑い合っている、見知らぬ姿の自分——のような人。
その夢を見るごとに、夢の中の見知らぬ自分は成長していき、訪れる場所や周囲の人たちが変化していく。
そして夢の中の自分が、見たことのない形の妙な服を着るようになった頃、同じような光景を繰り返し見るようになった。
銀色の髪をした少女の絵。時には四角い箱のようなものに描かれていたり、名前も知らない物体に描かれていたりしたが、そのどれもが同じ少女だった。
夢の中の自分は、その見知らぬ少女の絵やら何やらを見てはしゃいだり、悲しそうにしたり、崇めたり、反応は様々。
変な夢だなぁ。リタは目が覚めるたびにそう思っていたが、不思議といつも悪い気持ちにはならなかった。
——その夢が、夢ではなくて自分の記憶であることに気が付いたのは、ただの偶然だった。
階段を下りていたリタは、背中に軽い衝撃を感じた瞬間、階段から転がり落ちていた。
何が起こったのか訳も分からぬまま、顔面から床に突っ込むような形で着地したリタは、そのまま気を失った。
◆ ◆ ◆
次に訪れたのは、何とも形容しがたい、不思議な体験だった。
意識が途切れた瞬間、目の前が真っ白になり、そこに無数の映像が浮かび上がる。それはリタが何度も見てきた夢と同じものだった。
母親らしい人の腕に抱かれ、安心したように眠っている赤ん坊の頃の姿。両親と共に楽しそうに遊園地を巡る、子供の頃の姿。
友達の家、スイミングスクール、修学旅行、テスト勉強、文化祭、体育祭。様々な場面の様々な映像が、浮かんでは消えていく。それは名前も存在も知らないはずの場所や行事なのに、何故かその全てを理解出来た。
その映像の中で、一際強く鮮明なもの。
綺麗な銀色の髪をした、優し気な雰囲気の女の子。
その姿を見た瞬間、リタは明確に思い出した。目の前に映し出されている映像が、間違いなく自分の生涯の記憶であった事を。
意識を巡らせると、その記憶の全てを思い出す事が出来た。
地球にある日本という国に生まれ、優しい両親の元で不自由なく生活し、親しい友人にも恵まれて成長し、大学受験を数日後に控えた日の夜。勉強続きで寝不足だった、学校からの帰り道。
明日は久しぶりに少し勉強を休んで、夜は久しぶりにゲームでもしようかな、なんて考えながらホームで電車を待っていた時、不意に誰かに背中を押され、転倒した。
突然過ぎる出来事に、体も頭も反応出来ないまま、転落の衝撃で痛む体を何とか動かそうと思った時、上の方から、誰かの悲鳴が聞こえて。
それから、耳を塞ぎたくなるくらい大きな音が聞こえたところで、その記憶は途切れていた。
そこから先は何も思い出せない。それはつまり、リタはその時、あのまま電車に轢かれて、
◆ ◆ ◆
「うわあああぁぁぁっ!!」
叫び声と共に跳ね起きる。
酷く乱れた呼吸を整えつつ、周囲を見回した。
年季の入ったレンガの壁、お気に入りの図鑑が綺麗に並べられている本棚。そこは見慣れた自分の部屋だった。
「い、今のって、夢……?」
部屋の中にはリタしかいないので、問いかけるような呟きに対する答えは、もちろん返って来なかった。
「……いや、あんなリアルなの、夢なわけない、よね」
いつの間にか額に浮かんでいた汗を拭い、目を閉じる。
目が覚めた今でもハッキリと思い出せる、さっきの映像。ここではない世界で生まれた女の子の姿。あれは夢じゃない、間違いなく自分の記憶だった。
「でも、それなら今ここにいる私は? 別の誰か……いや、それもないか……」
何故なら今の彼女は、リタ・アルベティとして過ごした十三年間の記憶も明確に覚えているからだ。意識のない間にこのリタの体に乗り移ったというよりは、忘れていたたくさんの思い出を思い出した、という感覚の方が近い気がする。
たくさん——そう、十数年の記憶を一気に思い出したのだ、短時間で。この異常事態に、リタの体は唐突に悲鳴をあげた。
「うっ……!?」
そして、一気に胃から何かが込み上がってくる感覚。
駆け足で部屋から出たリタは、何とか間に合ったというタイミングで辿り着いた洗い場で、思い切り嘔吐した。
消化しきれていなかった昼食が見るも無残な姿になって現れ、ゲンナリした気持ちになる。
「うえぇ……食べすぎ以外で吐いたのなんて初めてかも……」
いきなり吐いたなんて母に知られたら、絶対に心配させてしまう。それを避けるため、リタは急いで吐しゃ物を片付けた。
洗い場を綺麗にしつつ、人間の脳の限界をしみじみと思い知らされた気持ちになる。
恐らく脳には一度に詰め込める情報量の限界があって、それを超えるとこのような羽目になるんだろう。小さい頃、勉強し過ぎて熱を出して倒れた時のことを思い出した。
幸い熱は出ていないみたいなので、吐しゃ物の処理を終えたリタは、とりあえず自分の部屋に戻った。
そして改めて、先ほどの続きを考える。
「今思い出した記憶と、ついさっき気を失うまでの記憶は、どっちも私の人生ってこと、なのかな……?」
そうなると、今ここにこうしている自分は、二度目の人生を過ごしているという事になる——の、だろうか。
今まで見ていたあの夢も、全部自分の記憶。
それを思い出そうとすると、脳が熱くなるような、生まれて初めて経験するような気持ち悪さを感じた。
生まれも育ちも性格も環境も全然違うのに、どちらも自分の記憶。二つの人生が一つの脳に詰め込まれて、情報過多で脳がパンクしそうなのかもしれない。
「また吐くのも嫌だし、あんまり深く考えないようにしよ……」
考えをシンプルにまとめると、今の自分の状況は「転生した」としか考えられない。
「そういえば、あの時もなんか転生ものとか流行ってたっけ」
唐突に、前世で見たアニメやライトノベルのことを思い出し、現状がそれと似通っていることに気が付く。
フィクションでしかありえないと思っていたことが現実で起こるなんて凄いことだけど、いざ自分の身に降りかかると、どう反応したらいいか分からないものだ。
それにしても何故自分にそんなことが起こったのか——一分ほど軽く考えたが、当然答えが出るわけもなく。
「ま、深く考えたって分かんないし、考えるのやめよ!」
その言葉と共に、リタはごちゃついていた思考を放棄した。
そもそも神様と対話でも出来ない限り、自分がどれだけ考えたところで答えは出ない。それなら考える時間が無駄。
前世でのリタは、そういう大雑把な性格の人間だった。
前世を思い出す前までの——つい数十分前のリタ・アルベティは、もっと慎重で賢い人間だったはずなのに。同じ人間なのに、記憶を思い出しただけで性格が変化してしまうのは、自分のことながら不思議な感覚だった。
「それにしても、前世とは大違いな名前だなぁ。リタ・アルベティとか、改めて考えるとちょっとカッコい……ん? あれ? りた、あるべてぃ?」
リタ・アルベティ——前世を思い出すまでは、ただの自分の名前でしかなかったその文字。
それは前世を思い出したリタにとっては、あまり良い印象の無い女性の名前だった。
「リタってホリエンの!? えっ嘘……あ、ああ! よく考えれば町の名前とか全部そうじゃん!!」
前世やら転生やらが衝撃的過ぎて、今自分の住んでいる世界のことをすっかり失念していた。
◆ ◆ ◆
【ホーリーエンジェル~導かれしその絆~】
絶妙にダサいこれは、前世でリタがドハマリしていたゲームの題名だ。
バトル要素もあるファンタジー系の乙女ゲームで、ひょんなことから世界有数の魔法学校に入学した主人公が、様々な美男子と恋をしつつ魔法で戦って悪から世界を救う的な、まあまあよくあるストーリーである。
魔法の存在する世界。今住んでいる国の名前。国を統べる国王の顔。そして、リタ・アルベティという存在。
この全てが、前世で何度もプレイしたホーリーエンジェル——通称ホリエンの世界と完全一致していた。
「ホリエンの世界に転生とか……最高か!?」
二次元の世界に転生ってどうなってるの? とか、そんな常識的な疑問が浮かばないくらいには嬉しくて、リタは叫んだ。
叫びつつ、勢いよく立ち上がった——瞬間、強烈に頭が痛み、瞬く間にベッドに崩れ落ちた。
「いったぁ~……あ、そっか……私、頭うって気絶してたんだっけ」
さっきはあまりの吐き気に気にせずダッシュ出来たが、改めて意識すると頭がとても痛い。
確か、学校の階段を下りている最中に突然誰かから背中を押されて転落したのだ。リタの前世の最期といい、人の背中を勝手に押す奴は呪われれば良いと思う。
自分の部屋で目覚めたのは、学校で気を失った後、連絡を受けた母が引き取りにでも来てくれたのだろう。
「それにしても、よりにもよって、何でリタに……」
枕元に置いてあった手鏡で自身を映すと、そこには散々見慣れた自分の顔があった。
リタは前世の記憶の中のゲーム通り、それはそれは整った顔立ちをしている。ぱっちりとした大きな黒い瞳、形の良い鼻、小さく可愛らしい唇。どのパーツを見ても完璧で、その配置も完璧。
腰元まで伸びた長い髪は、この世界では珍しいが前世では見慣れた真っ黒な色をしていて、顔の造形も相まって、まさにお人形さんみたいに可愛い。
「くぅっ……可愛い……!! 自分の顔なのに!!」
今までは何とも思わなかった自分の顔が、転生して得たものだと分かった瞬間、急に可愛く見えてくるのは何故だろう。主観的ではなく客観的に見られるようになったからだろうか。
リタ・アルベティは、ホリエンに登場するキャラクターの一人。そして、前世のリタが最も苦手に思っていたキャラクターだった。
「あああああ、せっかくホリエンの世界に来れたっていうのに! いっそのこと鳥でもよかったのに! なんでリタになんなくちゃいけないのさぁーーーー!!」
好きなゲームに転生した喜びと、自身がリタである悲しみがせめぎ合い、ぎゃーぎゃーと喚き散らすリタ。
しばらくそうしていると、あまりにうるさいその声を聞きつけた母に、頭をうっておかしくなったと判断され、診療所に運び込まれる羽目になった。
続く
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