第6話。拒絶する者、された者
「困ったことになりましたね」
ジャックさんの通報を受けて現場にやってきたレトリバさんが、深いため息を一つ吐き出しました。
「遺品を見るに、冒険者のようだな。色々と散らばりすぎて分かりにくかったが、手足の数から判断すると殺されたのは全部で三名だ」
「客人に検分を任せてしまって申し訳ない限りです。我々はたった今、あなた方の同族を殺してしまったというのに……」
「気にするな。勝手にやったことだ」
洞窟から出てきたクレア様の手袋と靴は、血で真っ赤に染まっていました。クレア様は平然としていましたが、洞窟から漂う糞便と血の臭いに少し嫌なことを思い出しました。
奴隷だったころに何度も嗅がされた嫌いな臭いです。
「オレは悪くない!あいつらがいきなり襲ってきたんだっ!オレに、オレに何か変なものを入れようと……!」
「だから普段から服を着ろって言ってたんだよ! この子は本当にもう!」
「うるさい! うるさい! 母親ヅラして指図するな! 誇り高き人狼は人間の作った服なんか着ない!」
「ハスキちゃん。人間の中にはね、そういう格好をしている子は誘っているんだと思っちゃう人もいるんだよ」
「うるさい! オレは誇り高き人狼だ! 人間が勝手に作った常識を押し付けるな!」
ハスキさんは、私と同じくらいの背格好の女の子です。お尻の尻尾と頭の上にぴょこんと生えた耳を除けば、見た目は人間とほとんど変わりません。
興奮が収まらないようで、洞窟から出てきてからずっとドーベルさんと口論していました。
「ハスキ。言いたいことはたくさんありますが」
レトリバさんがハスキさんの肩に大きな手をゆっくりと添えました。ハスキさんの体がビクンと震えます。
「何よりもまず、あなたの無事を喜びましょう」
レトリバさんが穏やかに笑いかけました。
ハスキさんはしばし呆然としたのち下を向いて、涙声でボソボソと話し始めます。
「じっ、じいちゃん……オレ、悪くないよな? 追放されないよな……?だって、掟は破ったけど、だって、先に襲ってきたのはあいつらで……オレ、殺さなくちゃ、殺されるって……オレ、だから、オレ……」
「もちろんです」
ハスキさんが顔を上げました。その目は涙で濡れていました。
「あなたは何も悪くありません。あなたが生きる為に最善を尽くしたのなら、私はその判断を尊重します」
「だったら!」
「ですが、自分のやったことには責任を持たなくてはなりません」
「責任……?」
「人間は、自分たちに敵対する生き物の存在を決して許しません。誰が悪い悪くないに関わらず、仲間を殺された以上は必ず報復に来るでしょう」
「で、でもじいちゃんなら!」
「勝てません。殺せば殺すほど、もっと大勢の強い人間がやってきます。かつて多くの人狼の群れが、そうやって滅んできました。だから私は人と争わない群れを作ることにしたのです。何度も教えましたよね、ハスキ」
「うう、う、うううう〜……!」
泣き崩れるハスキさんに、あくまでも優しくレトリバさんは語りかけます。
「これはすでに、あなた一人ではなく我々全員の問題です。これから私たちは、彼らを殺してしまったことについて説明しに行かねばなりません。もしかするとあなたの身柄を引き渡すように要求されるかもしれませんが、あなたは私たちが守ります」
「うっ……くっ、ぐすっ……」
「失礼、少しいいか」
クレア様が強引に話に割り込みました。
「人狼が人前に姿を見せるのは危険だ。そちらに敵意はなくとも、見た目が物騒すぎる。攻め込んで来たと思われて攻撃される可能性が高い。そうでなくとも、報復代わりに殺される可能性がある」
「ふうむ。一理ありますね」
「だから、説明役は私達が請け負おう。一部始終を目撃したわけではないが、現場に居合わせてしまった以上、無関係ではない」
「申し訳ありませんが」
レトリバさんの声色が、少しだけ低くなりました。
「群れのことは群れで解決する掟です。客人は、どうか、ごゆっくりしていってください。我々の群れにいる間は安全を保障しますので」
「……わかった。その言葉に甘えさせてもらう」
「いい肉がありますので、夕食は楽しみにしていてください。こんな時ですが、我々は客人を歓迎いたします」
クレア様はすんなり引き下がりました。
それにしても、この群れはとても友好的です。
案内はしてもらえるし、食事も出してもらえるし、シバさんは可愛かったし、ドーベルさんは綺麗だし、レトリバさんはとても理知的で親切です。
ハスキさんも……あんな事がなければ、今頃仲良くなれていたかもしれません。一度はお話をしてみたいのですが、今はそっとしておいた方がよさそうです。
そんなことをぼうっと考えていたら、クレア様に睨まれました。なぜでしょうか。
「ドーベル、ポメラ夫婦をここに呼んできてください。使者役はあの二人に頼みます。遺体は持っていかない方がよいでしょう。我々が食べたと思われるかもしれません」
「あいよ!」
ドーベルさんが駆け出し、あっという間に姿が見えなくなりました。
「ハスキ、あなたは私と一緒にいなさい。くれぐれもおかしなことを考えないように。いいですね」
「……うん」
ハスキさんは力なく頷きました。
ドーベルさんとやり取りしていた時は聞き分けのない不良娘といった印象でしたが、今はレトリバさんの言うことに素直に従っています。
「ジャックは客人のもてなしをお願いします。大事な客人ですので、最近この森に集まってきた人間たちとは無関係だと皆に説明をお願いします。彼らを疑ったり傷つけたりすることは決して許さないと、皆にしっかり伝えてください」
「了解、了解」
ごめんなさい、本当は関係者です。
でもそのことをこの場で言うわけにもいきません。人狼さんたちを騙すことになってしまって心が痛みます。
「気を使ってくれてありがとう。不幸な事故が起きてしまったようだが、人と人狼で争いになる事態は私も見たくない。協力できる事があれば何でも言ってくれ」
穏やかに話しかけるレトリバさんとは対照的に、クレア様は普段より険しい顔をされていました。
私たちは本来なら人狼さんたちを討伐する立場だったのですが、クレア様はこれからどうなさるおつもりなのでしょうか……。
ジャックさんからおすすめされたキャンプ地は、森の中でも起伏がなく開けている広場でした。細めの木がポツポツと生えているだけで、普段は人狼さんたちが集会所として使っているそうです。
この辺りに危険な生物はいないそうなので、今日は普通に地面にテントを貼りました。考えてみれば人狼さんたちの縄張りの中なので、これ以上に安全な場所もありません。
いつも通り私がもたつきながらテントを建てている間も、クレア様は険しい顔で何やら考え事をされていました。
クレア様は一人で考え込むことが多いので、そういう時は話しかけて邪魔をしないようにしています。
「よう、お客さん! 手伝うぜ!」
振り向くと、ジャックさんが三名の人狼さんを連れてきていました。いずれも屈強な体格の持ち主で、朗らかな笑みを浮かべています。
「ありがたい申し出だが、ミサキ一人にやらせてくれ。こいつもいつかは一人で何でもできるようにならないといけないんだ」
「は、はい! 早く一人前になれるよう努力します!」
「おっとと、そういうことなら邪魔するわけにゃいかねえな。でも、話くらいはいいだろ?」
「えっと、その」
「それくらいならいいぞ。ただし……」
「わかってるわかってる! メシには期待しててくれ! 食べきれないくらい持ってきてやるさ! おい、他の連中にも声をかけてやれ!」
「いや、食べ物じゃなくて……やっぱりそれでいい。ミサキの邪魔をしないと約束するなら、私が話し相手になってやる」
「いいねえ! そうこなくっちゃ!」
クレア様は何かを要求しかけましたが思い直したように承諾し、人狼さんと外の世界やこの森の話をし始めました。
でも本当に大変だったのは、その後です。私たちの話を聞いたのか、群れの人狼さんたちが大挙して押しかけ、歓迎会が始まりました。
一人一人数えたわけではありませんが、群れのほとんどの方が来られたのではないでしょうか。あまりにも入れ替わり立ち代わりやってくるので、名前を覚えきれなかったのが申し訳ないです。
みなさんとても親切で気さくな方々で、お土産代わりに果物や肉や卵などの食べ物を私たちにくれました。
そうこうしている間に日も暮れ、なし崩しに歓迎会が始まりました。
中でもクレア様の人気は凄まじく、人狼のみなさんはクレア様の束ねた髪を大変気に入られたようです。もしかすると、尻尾に似た髪型が好評だったのかもしれません。クレア様が断っても断っても、うちの群れに入らないかと粘り強く勧誘されていました。
クレア様はうんざりした顔をしていましたが、普段褒められ慣れていないので照れていたんだと思います。
あれも食べてこれも食べてと、ほっぺたに突き出される食べ物にクレア様は目を白黒させていました。
私も、いくらお腹いっぱいだと主張しても全然聞いてもらえず、もっと食べて力をつけろと、あれこれたくさん食べさせられました。
他にも撫でられたり持ち上げられたり匂いを嗅がれたりと、私も揉みくちゃにされましたが、可愛がられることは悪い気はしませんでした。
私、こんなに多くの人に受け入れてもらえるのは初めてです。
シバさんだけが何も持たずにやってきて焦っていましたが、私たちだけでは食べきれないので誘ってみると、喜んで隣に座ってくれました。
ふと見ると、クレア様は人狼の子供達に懐かれていました。ふとももの上や頭の上によじ上られています。その目が助けてくれと言っていましたので、私は見なかったことにしました。しっぽーしっぽーという子供たちの声と、しっぽじゃないっ引っ張るなっという声が聞こえました。
私たちにとっての夜は人狼さんにとっての昼なので、一向に歓迎会が終わる気配はありません。
結局、遅れてやってきたレトリバさんに解散を命じられた夜遅くまで、歓迎会は続いていました。
人狼の皆さんがポツポツと狩りに出かけて行く中、私はレトリバさんの後ろに彼女の姿を見つけました。人の顔と人の体を持つ人狼。ハスキさんです。
血まみれでも全裸でもなく、今は淡い青色のワンピースを着ています。昼間見かけた時には顔や首に痣があったのですが、今ではすっかり消えていました。
誰とも話をしようとせず、レトリバさんの影に隠れて元気なくうなだれるその様子からは、残忍さや凶暴性などは欠片も感じられませんでした。
とても三人もの人間を殺した人狼には見えません。それに昼間に彼女が繰り返し叫んでいた言い分を思い出すかぎり、正当防衛のように思えます。
仲良くしてくれたら嬉しいな、というジャックさんの言葉を思い出し、私は恐る恐る彼女に話しかけてみることにしました。
「あの、初めまして。ハスキさん、ですよね? 私、ミサキといいます」
「話しかけるな。人間がオレに何の用だ。同族の仇でも取るつもりか」
周りが友好的な雰囲気になった今ならあるいはと思ったのですが、憎しみを込めた目で睨まれました。
「ええと、その、何と言ったらいいか、用事らしい用事はなくてですね」
「だったら黙ってろ。そして群れから出て行け。誇り高き人狼は人間と馴れ合わない」
もしかして嫌われているのでしょうか。昼間ほどの元気はないようでしたが、冷たく厚い拒絶の壁を感じます。
「それとも、お前もオレを襲うつもりか? オレが群れで一番弱そうだから、オレから狩るつもりなのか?」
「ち、違います! 私は、ただ、ハスキさんと……」
「オレと?」
「その、友だち、に……」
情けないほど小さい声が出ました。
今の今まで敵対心を剥き出しにしていたハスキさんの顔が、冷めきったものに変わっていきます。
「何を言い出すかと思えば、友だち?友だちだと?」
「……はい」
「お前、それは誰に言わされたんだ?」
ぞっとするほど冷たい声でした。
「ドーベルか? ジャックか? それともオレの境遇を哀れに思った他の誰かか?」
「そんな、ことは」
「ふざけるな!」
突然、突き飛ばされました。視界が急に動いたと思ったら地面にお尻と背中を打ち、衝撃と痛みがやってきます。
「オレは、オレは、哀れなんかじゃないっ!」
痛みをこらえて体を起こすと、ハスキさんが私を見下ろしていました。
「オレは哀れじゃない! たりない子なんかじゃない! この顔も! この体も! 最高の人狼だった父ちゃんと母ちゃんからもらったものだ! 何一つたりないものなんてない!」
悲壮な叫びが夜の森に響き渡ります。
「オレは強い! 友だちなんていらない! 誰にも頼らずに独りで生きていける! ちょっとくらい爪も牙も小さいから何だっ! 他の人狼にも遅れをとるものか!」
側に生えていた木に、ハスキさんが横殴りに拳を叩きつけました。一撃で生木が歪み、土の塊を巻き込んで根っこが持ち上がります。
「だから、だからっ! 勝手にオレを哀れむなっ! 勝手にオレを見下すなっ! オレは誇り高き人狼だーっ!」
その声は、私だけに向けられたものではなかったのかもしれません。
この場から走り去るハスキさんに、私はもう何も言えませんでした。尻もちをついたまま、ただただ呆然と見送ることしかできませんでした。
「あの子も難しい子でねぇ」
残っていた人狼さんたちが気まずそうな顔で去ったあと、最後まで残っていたドーベルさんが話しかけてきました。
落ち込んでいた私を心配してくれたのでしょうか。
「見た目がほとんど人間だろ? だからかねぇ、人狼らしさに異様にこだわるんだよ」
それは薄々感じていました。今日の歓迎会で出会った方々は皆、シバさんやドーベルさんのように狼の頭と体を持っていたからです。
ハスキさんのように、見た目が限りなく人間に近い人狼は一人もいませんでした。
「それに、あたしらも悪いんだ。あの子が産まれた時に、人狼らしくない子……いわゆるたりない子が産まれたって騒ぎ立てたもんだから、よくないことが色々とあってね。今はみんな当時のことを反省しているけど、あの子とはやっぱり気まずくてねぇ……。一緒に遊べる友達もできないから、あんたみたいな素直そうな子が友達になってくれたらって思ったんだけど……」
「あの、ハスキさんのご両親は?」
「………」
一瞬の沈黙ののち、ドーベルさんは口を開きました。
「死んだよ。あの子が小さいころ、人間の冒険者に殺されたんだ。あたしらが森を追い出したせいでね」
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