第5話。災いの子

 冒険者とは個人事業主だ。

 身も蓋もない言い方をすれば、定職を持たないフリーの何でも屋と呼んだ方が相応しいかもしれない。

 傭兵業、ボディガード業、調査業、採集業、暗殺業、運送業、建築業、マネジメント業、人材育成業、清掃業、場合によっては飲食業だろうが風俗業だろうが何でもやる。


 仕事を選ぶ自由はもちろん冒険者にあるが、当然ながら全ては自己責任だ。


 だから冒険者は、生きて帰る事を何よりも最優先させなくてはならない。

 それを知らない勇敢な馬鹿が毎年よく死ぬ。

 どんな金や宝を手に入れたところで、持ち帰れなければ何の意味もないというのに。

 臆病であることは、冒険者にとって必須の素質だ。鼻先に突き付けられる恐怖を見つめ続ける事ができる奴だけが、生き残る。

 その一点だけは、ミサキも合格と言えるだろう。


 あの人狼どもは信用ならない。

 ミサキはすでにたぶらかされているようだが、見かけの友好的な態度や、ほんの少し可愛い程度では、私は騙されたりはしない。ほんの少し可愛い程度では。


 人狼どもは今すぐに襲いかかっては来ないようだ。

 私達を泳がせ、それとなく情報を得た上で人間と戦うか否かを決める腹づもりに違いない。案内役とは言っていたが、監視以外の何者でもあるまい。

 どう思わせれば、私達は無事に逃げられるだろうか。

 そこらの野盗より遥かに用心深く手強い相手だ。

 迂闊だった。凶暴で野蛮なだけの種族だと甘く見過ぎていた。


 あの長は、強い。

 握手ひとつでも分かる。あの鋼の剛毛には斬撃も打撃も通じず、4mを超える巨体に詰め込まれた筋肉は、鉄の鎧でも飴細工のように捻り潰すだろう。言葉の端々から高い知能も感じる。あれはまともに戦って勝てる相手ではない。

 逃げ切れるだろうか。奴らの庭で、狼の鼻と足から、ミサキを連れて。


 奴らの狩りが始まる夜までが勝負だ。

 地形、群れの規模、種族の特徴、知りたい事は数え上げればキリがない。

 ミサキのマヌケ顔に監視が油断して口を滑らせてくれればいいのだが。




 まずは群れの規模を知りたい。


「えー、現在この群れの人口は40人。この群れはもう何十年も前からここに住んでいるよ。今はおじさん以外は全員人狼だけど、たまに外から来て人狼と結婚して居着いたり、一緒に出て行ったりする人もいるよ」


 案外簡単に教えてくれるものだ。数が正確ならばいいのだが。


「昔から住んでいるにしては、意外と少ないな」


「長の方針でね。50人になったら群れを半分に分けて、もう片方の群れは新天地を探して移動するんだ。あんまり多すぎてもトラブルが増えるし食料も取りにくくなるからね」


「気になっていたんですが、皆さんは夜に狩をされるのですか?」


 そうか。日中ならば満足に動けない可能性もある。


「アタシら人狼は基本的に夜行性なのさ。夜に獲物を狩って、日中は大抵寝てるね」


「家の中でですか?」


「んー、まちまちだね。アタシらは群れだけど、家族単位で生活してるからね。穴を掘って住んでる奴もいれば、その辺で寝起きしてる奴もいる。テントの中で暮らしてる奴もいるよ」


 寝込みを襲えばあの長も殺せるだろうか。

 こっそり忍び寄って目を潰して鼻も潰して……却下。リスクが高すぎる。


「みなさん肉食なのですか?」


「みんな何でも食べるよ。好物はやっぱり生肉だけどね。鳥とかイノシシとかシカとか。でもおじさんは、焼かないとどうしても食べられないなぁ」


「に、人間を食べたりとか?」


「しないしない! 食べられなくもないけど、あんたらだって気持ち悪くて食べないだろ? アタシらにも人の血は混ざってるんだ。人と犬は食べやしないよ」


「人の血が混ざっているというのは?」


「そのまんまの意味だね。人狼は元々、そういう種族じゃなくて狼の神様と人間との子孫だって言い伝えがあるんだ。そうでもないと人と狼の子供なんてできないからね。おじさんも女房と出会う前に普通の犬で試した事があるけど」


「すみませんその話はまた今度で」


「私は二度としないでほしい」


「そう? えっとそれでね、同じ人狼でも人の血が濃ゆかったり狼の血が濃ゆかったりで、結構バラつきがあるんだよ。うちの女房なんかはシバくんや長と違って綺麗な髪があるだろ?」


「本当は邪魔なんだけどねぇ。うちの人が切らせてくれないんだよ」


「すごい……ラブラブですね。ところで普段は人に変身したりとかはしないんですか?」


「人狼にそんな能力なんてないよ。でも、人の血が濃ゆくて、ほとんど人と外見が変わらない子はいるね。あの子なら昼間も起きているから、最初に紹介してもいいかな?」


「はい、お願いします」


 いいぞミサキ。敵の規模と生態を知れた。この調子でもっとアホっぽいリアクションをとってくれ。




 次は付近の地形を把握だ。逃げ道の確保や待ち伏せに適した場所を探さなくては。


「もしかしたら、しばらく滞在するかもしれない。自分の食料は自分で取るから、水場や危険な場所を教えてほしい。川は近くにあるか?」


「近くではないけど、あっちの方向の山をちょっと越えたら大きな川があるよ。でも遠いから、みんなはこの近くにある沢の水を飲んでるね」


 川か。逃げる時には役立ちそうだ。匂いを消せるし、流れに乗れればかなりの距離を稼げる。


「魚とかは取れますか?」


「アタシらは釣りはしないんだよ。じーっと待つのが苦手でね。しかもあの川にはワニもいるから、魚釣りに行くのはおすすめできないねぇ」


「危険な場所といえば、底なし沼がこのあたりには多いから気をつけてね。最近はないけど、過去には何人か人狼も飲み込まれたみたいだよ」


 底なし沼か。もし誘い込めれば、あの屈強な長も殺せるかもしれないが、あれに接近戦を挑むのは自殺行為だな。


 色々検討してみたが、結論としては割に合わない仕事だ。早めに手を引いた方がいいだろう。




 ところで、人間社会との交流はあるのだろうか。


「おじさん以外は外に出ないよ。でも長が言うには、血の繋がったもの同士で子供を作ると、たりない子が産まれやすくなるらしくてね……」


「たりない子?」


「ちょっとあんた、もしあの子の前でたりない子なんて言ったら許さないよ」


「あっ、ああ、ごめん。ハスキちゃんのことじゃないんだ。えっと、あんまりよくない言葉を使っちゃったなぁ……はは。お、見えたよ。あの洞穴、見えるかな?さっき言っていた、ほとんど人と変わらない外見の子があそこに住んでいるんだよ。先に名前出しちゃったけど、ハスキちゃんっていうんだ。ミサキちゃんと同じくらいの年の女の子だから、仲良くしてくれたら嬉しいなぁ」


「本当ですか? わぁー……私、友達って全然いなかったから緊張します」


「待ちな」


 突然、ドーベルがミサキの服を後ろから引っ張った。


「ひゃっ!?」


「血の匂いだよ。下がってな」


「血の匂いって」


「まさか、ハスキちゃんの家かい!?」


「これは、やっちまったかもしれないね……」


 ミサキは素直に足を止めた。

 ドーベルが小走りで洞窟に駆け寄り、ジャックがその後に続く。逃げるなら今か?

 いや、この何かが起こったタイミングで離れるのは謂れのない誤解を招く。ここは2人に追従してみよう。


 ウゥウウォオオオオオオオーーーーーォォーーー。


 洞窟はシバくらいなら何とか入れそうな大きさだった。途中で右に大きくカーブを描き、そこから先には日が当たらないため暗闇に覆われている。

 その奥から雄叫びが聞こえてくる。反響音からして、そんなに奥行きと広さはない。


「うっ!」


 ドーベルが鼻を押さえた。

 私も嗅ぎ取った。洞窟の奥からほのかに漂う異臭を。この臭いは知っている。生き物のハラワタの臭いだ。


「ハスキ! ハスキッ! 聞こえないのかい! 返事をしろって言ってるんだよっ! くそっ!」


「落ち着きなさい! 君まで興奮するな! 今うかつに入ると危ないぞ!」


「じゃあ、どうするんだい!」


「とにかく一旦落ち着きなさい!」


 ドーベルの声は、雄叫びにかき消され届かない。焦る彼女の肩をジャックが掴み、入り口で踏み止まらせる。

 中で雄叫びを上げているのは間違いなく例の人狼だろう。ハスキというのが名前か。


 何が起こったのかは薄々予想できる。もしその予想が的中していたのなら、この暗闇に足を踏み入れるのはあまりにも危険だ。私は洞窟から目を離さず、後ろ手でミサキを手招きした。


「ランタンを点けろ」


 ミサキがモタモタとリュックを漁り始めた。相変わらず手際が悪いな……もう!


「ハスキ! ハスキッ! 聞こえているんだろ! 出てきなっ!」


 雄叫びは止んでいた。暗がりの奥は不気味な静寂が満ちている。それは事が終わった事を意味していた。


 フゥーッ……フウウウーッ……!


 熱気を連れて荒い呼吸音が近づいてくる。

 ジャック氏がドーベル氏を引っ張って後ずさり、私も後ろへ一歩下がる。

 しかしミサキはまだリュックを漁っていた。もう遅いんだよ。私はミサキの襟を掴んで後ろへ下がらせる。


「もう荷物はいい。私の後ろへ下がれ」


 ミサキはコクコクと頷くと、這って私の後ろへ回った。まさか腰は抜けてないだろうな。


 ぺちゃり。差し込む光に照らされ、赤い腕が洞窟の壁に沿って現れた。

 血に塗れた人間の腕だ。毛は生えておらず、細くしなやかだ。爪は伸ばされているが人間の粋を外れてはおらず、中指と人差し指の爪は剥がれている。

 洞窟に入る光には角度がついており、まだ右手以外は見えない。


「ハスキちゃん! 無事かい!? 怪我はないかい!」


「フウウウーッ……!」


 ジャックの呼びかけに、人語は返ってこない。興奮状態にあるようだ。私は槍を握る。

 人影は一歩踏み出した。陽の光が彼女の鼻から下を照らし出す。血に塗れた赤い唇が浮かべる嗜虐的な微笑み。


「ハスキ、あんたっ、まさか、まさか」


 彼女は何も身につけていなかった。

 彼女の息は荒く、呼吸に合わせて細い肩が小刻みに上下していた。

 少女の口元から赤い雫が流れていく。顎から首を伝い、喉元を通り過ぎて、控えめな曲線を描く胸の隆起の間を抜けてその下へ。

 徹底的に無駄を削ぎ落とし引き締められた腰回りと、うっすらと割れた腹筋が形作る陰影は、同じ女の私でも見惚れるほどの美しさだった。


「やってやったぞっ、オレだって、オレだって……」


 壮絶な見た目に反し…いや、見た目通りに幼さの残る声だった。彼女が口を開く度に、鋭く尖った牙が一瞬だけ顔を出す。

 全て返り血かと思ったが、肌には無数の痣と切り傷があった。彼女もまた負傷していた。

 さらに一歩、彼女は踏み出した。


「オレだって、誇り高き人狼なんだああああ!」


 獣の少女は両腕を広げて歓喜を叫んだ。

 色素の薄い銀色の髪は腰まで伸びていた。固い髪質なのだろう。それらは血に濡れても少女の肌に張り付くことなく、所々で重力に逆らいハネている。


「殺した殺した! 殺してやったぞぉおおおお! 薄汚い卑怯な人間めええええ!」


 そしてその左手には、◾️◾️ごと引き抜かれた人間の◾️◾️が握られていた。

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