第4話。お前らのような獣がいるか
結局、クレア様も私も好奇心には勝てませんでした。
絵に添えられていた矢印の指示に従って進んだ私たちは、その後も木の幹に刻まれた矢印を何度か見つけ、3時間ほどかけて森の奥へとたどり着きました。
頭上に生い茂る枝葉はますます密度を増し、淡い木漏れ日が緑の中に鮮やかな色彩を生み出します。鳥のさえずりが忙しなく飛び交う、文明から遠く離れた野生の世界。
そこに、人狼はいました。
「いたぞ、人狼だ」
それは紛れもなく人狼でした。
狼の頭と人型の体を持ち、肩幅も広くて身長は2mほどもあるように見えます。
服は着ておらず、短いけれど地肌が見えないほど濃い体毛が全身を覆っています。鼻のあたりからお腹の下など体の内側が白い毛になっており、背中や手の甲など体の外側は茶色の毛が生えていました。尻尾はくるんと丸まっています。耳はピンと立っており、ぴくぴくと小刻みに動いています。真っ赤な舌を垂らして、だらんと開いた口の中には鋭利な牙が並んでおり、深い呼吸を繰り返しています。
罠の可能性を考え、クレア様と私は警戒していたのですが……。
「寝てるな」
「……寝てますね」
人狼…人狼さんは陽当たりの良い場所に寝転がり、仰向けになってすぴーすぴーと寝息を立てていました。時折、お腹をボリボリと引っ掻いています。
無防備この上ない状態でした。こうして観察してみると、少し可愛く見えるかもしれません。
「どうしましょう」
「起こしてみるか」
「大声でも出すんですか?」
「つつく」
「つつく?」
言うが早いか、クレア様が槍の柄で人狼さんの脇腹をつつきました。
「びゃああああああっ!? ごめんなさああぃ!」
「うわっ」
「ひゃっ!」
ばね仕掛けのように人狼さんが跳ね起きました。
すごく大きな声です。人狼さんはいきなり起こされて驚いたようですが、つついたクレア様と私も驚きのあまり、思わず2.3歩ほど後ずさってしまいました。
「でも、さぼってたわけじゃないんだよっ!? 僕、僕、木の上で寝ている人間さんを見つけたから、僕たちの群れに案内してあげようと思っただけなんだよっ!?」
「落ち着け、私たちがその人間だ。事を荒立てるつもりはない」
「ええっ!? 人間さん!? どうして僕の家にっ!?」
「ここが君の家なのか?」
「違うよ! 僕の家はあっちの山の方だよ!」
「なんでもいいから、もう少し静かに喋ってくれ。耳が痛くなってきた」
「うるさくてごめんなさい……ドーベルさんにもよく叱られるんだ」
「いや、寝起きを驚かせたこっちも悪かった。昨日、私たちのテントの下に来たのは君か?」
「そうだよ! 僕の名前はシバ!」
「私はクレア。あっちがミサキだ」
「クレアねーちゃんにミサキねーちゃんだね!名前も匂いも覚えたよ!」
「えっと、初めまして。よろしくお願いします」
「あの絵は何だ。なぜ私たちをここに誘い出した」
しっぽを振るシバさんとは対照的に、クレア様の声色は低く冷たいです。
怒られていると思ったのか、シバさんの耳がへにゃりと垂れ下がりました。
「僕、外からやってきてくれた人間さんを、怖がらせちゃったと思ったんだよ……」
「怖がらせた?」
「うん。だからお姉さんたちは木の上に登っていたんだよね?」
「まぁ、当たらずとも遠からずだな」
「だから、僕は人間さんの敵じゃないよーって言おうと思ったんだけど、寝ていたら起こすのも悪いと思ったんだ。でも僕は文字が書けないから、絵を描いたんだよ」
「ううん……この辺には君一人で住んでいるのか?」
「みんなと一緒に住んでるよ! 会ってくれるんだね? じゃあすぐに長を起こしてくるね! ちょっと待ってて! 長ー! 長ー! 人間さん達が来たよー!」
「ま、待て。勝手に話を進めるなっ!」
クレア様の制止も聞かず、シバさんは四足歩行で森の奥へと駆け出して行きました。
それにしても、想像していた凶暴な人狼と、たった今出会ったシバさんの印象が全く重なりません。クレア様も首をひねったり、ううんと唸ったりしています。
シバさんが3名の人狼さんを連れて戻って来たのは、それから数分後のことでした。
「ようこそ、我らの群れへ。勇敢な前足の一族が長、レトリバが歓迎致します」
エコーのかかった低い声とともに、丸太のような腕がずんと差し出されました。
「は、初めまして……クレアだ」
「ミサキです……」
人狼の長を名乗るレトリバさんの迫力は桁違いでした。シバさんも大きかったのですが、レトリバさんはその倍近くもあるように見えます。下半身に比べて上半身が大きく、一歩歩くごとに周囲の木が揺れました。
全身を覆う金色の体毛は体の形に沿って隆起しており、その下に秘められた筋肉の鎧を主張しています。
爪痕でしょうか。左目には三本の大きな傷が走り、左耳も片方欠けていました。
爪は斧のような厚みを持ちつつも、先端にかけてナイフのように研ぎ澄まされています。ほんのりと黒いのは、もしかすると染み込んだ獲物の血の跡なのかもしれません。
見た目とは正反対に丁寧な喋り方でしたが、それが更なる凄みを感じさせます。
「お二人は、どうしてこのような森の奥地まで?」
「えーーっと……」
さすがに人狼を討伐しに来たなどと、とても本当のことは言えません。
「道に……迷って……」
「クレア様?違いますよね?」
初対面の時に気づいたのですが、クレア様は咄嗟に嘘をつくのが下手くそです。私がフォローしなくては。
「私たちは冒険者です。実はこの森に人狼が出たという話を聞きましたので、その噂が本当かどうか確かめに来ました。私たちはあなた方に何らかの危害を加えるつもりはありません。ただ、人狼の暮らし方や生態を知りたいだけです。もしよろしければ、相互理解のために私たちにあなた方の事を教えていただけないでしょうか」
「……そういうことだ」
クレア様が便乗してきました。レトリバさんは、ふうむと唸ってアゴを掻きました。
「実は最近、近隣にやってきた人間たちとトラブルになっていましてね。その関係者かと思ったのですが、どうやら違ったようです」
「トラブルですか?」
「ちょっとした縄張り争いのようなものです。大事になる前に解決したいと思い、何度かジャックを通じてやり取りをしているのですが……客人には関係のないことでした。こちらの問題はこちらで解決しますので、是非ともゆっくりしていってください。案内役もつけましょう」
「あ、ああ。よろしく頼む」
クレア様はレトリバさんの太い爪先を握って上下しましたが、私にそんな度胸はありません。恐る恐る手の内側に触れる事が精一杯でした。ちなみに手の内には肉球があって、柔らかかったです。
長が一歩下がり、代わりに後ろにいた二人が前に出ました。
「あたしはドーベルっていうんだ。よろしく」
女の人の声です。口を開いたのはレトリバさんの隣にいた黒い人狼さんでした。
歴戦の戦士といったムキムキの風貌のレトリバさんと違い、ドーベルさんは女性的な容姿をしており、クールな印象を受けます。
全体的にほっそりとした体つきと、短く整った黒い毛並み。シバさんやレトリバさんと違い、ドーベルさんだけは片目を隠すほど長い黒髪が生えており、まつ毛も長めでした。
「おじさんはジャックだよ。よろしくね」
こちらの方は、服を着た普通の人間のおじさんにしか見えませんでした。髭が濃ゆくて若干お腹が出ていますし、頭髪は、その……薄くなっています……。
ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべる様は、人狼とはとても思えません。
「すごい……人間にそっくりですね……」
「んん?」
思わず漏らした私の一言に、全員がジャックさんの顔を覗き込み…。
「グワーッハッハッハッハ!」
「アーッハッハッハッハッハ!」
「どうしたの?面白いの!?」
レトリバさんとドーベルさんが笑い出しました。
「あ、あんた!フフッ!」
なぜか呆然とするジャックさんの肩をドーベルさんがバシバシと叩きます。
「あんまりっ、あんまり山暮らしが長いもんだから、っ! アハッ、おんなじ人間にも、フフフッ! 人間だと思われなくなってるねぇ!」
「えええっ!? 人間なんですかっ!? 人間に化けてるとかではなくっ!?」
「はい……おじさんは人間です……」
「ちょっとっ! 化け……っ! 化け……っ!」
「大丈夫? ドーベルおばさん、苦しそうだよ?」
「……っ! ……っ!」
「あー、ツボに入ったねこりゃ……えっと、ミサキちゃんだっけ」
「あ、はい」
「おじさん、人より狼寄りに見えたのかなぁ……正真正銘の人間なんだけどなぁ」
「……ッ! ……ッッッ!」
しょんぼりするジャックさんと対照的に、笑いを堪え切れないドーベルさんは後ろを向いて悶えていました。
「人間が何故人狼の群れに?」
真顔で聞くクレア様。しかしよく見ると右手が自分の太ももあたりをつねっていますので、笑いを堪えているのがわかります。
「いやあ、だいぶ昔に女房に一目惚れしちゃってねえ」
「結婚されてるんですかっ?」
「うん、まあね。後ろで笑い転げてるのが女房だよ」
「一目惚れ」
クレア様が嘘だろと小さく呟いた声が聞こえました。
「おじさん、普通の女の子はダメでねぇ」
「普通の女の子は」
「ダメ」
私も真顔になりました。
「それでまぁ、色々あって20年前に女房を口説き落として結婚してからは、時々買い出しに出かけたり、たまにやってくる外部の人間との橋渡し役になったりしてるよ」
「その話、もう少し詳しく聞かせてもらいたい」
「あーえっとね。おじさんは元々、子供の頃から犬とかヤギとか好きでねぇ。初めては12歳の」
「待て待て待て、そっちじゃない。というかそっちは聞きたくない」
「そう? 結構そういう人いるよ? 男女問わずにね」
「何っ!? いや、どっちにしても、そういう上級者向けの話は今はやめてくれ。橋渡し役について詳しく聞きたい」
「たまに君たちみたいな冒険者が来るんだよ。その場合は案内しながら実際にこの村を見てもらって、危険な群れじゃないと納得して帰ってもらっているんだ」
「私達も案内してもらえるのか?」
「もちろんだよ。水場とか寝床に向いている場所も教えるし、起きてる者がいたら紹介するよ。君たちの好みの相手もいるかもしれないね」
「前半は構わないが、後半はあり得ないと信じたい」
世の中には、変わった人もいると知りました。
しかしよく考えてみると、種族の壁を超えて愛し合う夫婦になれるのなら、それはすごく素敵な事なのかもしれません。
いつの間にか、人狼さんたちへの恐怖心は薄れており、今では強く脈打つ好奇心の鼓動を感じます。
「では客人を頼みましたよ、ドーベル、ジャック」
「長はー?」
「客人には申し訳ないのですが、私は年が年でして…一晩中起きていたものですから、少し休ませていただきます」
「ああ。突然押しかけてきて悪かったな」
「僕もついていきたいけど、ちょっと眠いよう」
「シバくんは寝ていて大丈夫だよ。おじさんとおばさんが2人をちゃんと案内するからね」
「おねーちゃんたち、僕達のことを好きになってくれるかな?」
「大丈夫、悪い人じゃないよ。ちゃんと話をすれば、きっと気に入ってくれるさ」
「そっか!実は僕、クレアねーちゃんのことちょっと怖かったんだ!」
「えっ!?」
「でもこれから仲良くなれたらいいね!じゃあね!」
クレア様がちょっと漏らした声に、レトリバさんとジャックさんが苦笑いしました。
駆け去っていくシバさんに続いてレトリバさんが一礼して去り、ジャックさんはまだ悶えているドーベルさんの手を引いて出発を促しました。
こうして、平和な森の案内が始まったのです。
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