第3話。初心者です、よろしくお願いします
スタト王国の関所を抜けて徒歩で二週間。クレア様と私は辺境の森林地帯まで来ています。
もちろん道らしい道なんてありませんので、地図とコンパスを見ながら草木をかき分けて進みますが、平地のように中々思うようには歩けません。
鼻の奥にモワッとくる青臭い匂いや、耳や目を的確に狙って飛んでくる虫にはまだまだ慣れません。背中のリュックもとても重いです。
すごく暑くて汗も止まりませんが、クレア様の言う通りに虫対策として長袖と長ズボンに着替えて良かったと思います。
この先にあるはずの開拓民の村を目指し、私はクレア様の背中を追っておっかなビックリついていきます。
「他の冒険者達が通った痕跡がない。どうも本来の道から外れてる気がするな」
クレア様は19才。私より5つ年上の冒険者です。
女性にしては背が高く、金髪で後ろ髪は高い位置で束ねています。目つきが極端に悪く基本的に無表情なために、いつも怒っているような顔をしています。眉間から左目の下まで顔を斜めに横切る古い傷痕がありますが、厳しい言葉を使われる時によく触られている気がします。
槍とナイフを武器にしているようですが、使っている姿はまだ見たことがありません。夏でも厚めのコートを着ています。
「でも地図に従えば、この先のはずなのですが」
「さては粗悪品を掴まされたか。運がないな。組合からもらった人狼の資料の方はどうだ?」
今回、組合から受けたお仕事は「人狼の討伐」です。私は懐にしまった古ぼけた資料を取り出して、声に出して読み上げました。
人狼。人の姿に変身できる狼。
群れを成し、気性は凶暴かつ残虐で執念深く狡猾。一度見つけた獲物は決して逃がさず集団で弱らせて嬲り殺す。
人語を解する高い知能を持ちながら道徳心は持ち合わせておらず、邪教の神に捧げる冒涜的な儀式を行う姿が目撃されている。
子供や女性などの弱者を好んで狙う傾向があり、時たま人里に下りて言葉巧みに誘い出し、見つからないように山奥で食い散らかす事もある。
縄張り意識と共に行動範囲が広く、付近の獲物を食い尽くしたら新たな土地へ群れごと移動する。
並外れた怪力と敏捷性を持つ危険な生物であるが近年は騎士団や冒険者による駆除が進み、希少種であるため体の一部が貴族に高値で取り引きされることがある。
「以上が、依頼受注書の控えと一緒に渡された資料に書かれている内容です」
「弱点の一つも載ってないのか。不親切だな」
「近年では目撃例もほとんどないみたいですよ」
「組合の話では結構大規模な討伐になるそうだな。30名以上の冒険者がすでに雇われているそうだ。もっと増えるかもしれないぞ」
「足手まといにならないように、頑張ります」
「それは無理だから、死なないように私の側にいろ。それはそれとして、だいぶ日が傾いてきたな。このペースだと今日中の到着は無理そうだ」
クレア様が足を止めました。
「今日はこの辺で一泊しよう」
「こんな森の中でキャンプしていて大丈夫なんですか? それより急いで進んだほうが良いのでは?」
「以前にそれと同じことをやって痛い目を見た経験がある。すぐに日が沈んで何も見えなくなって、明かりを灯した瞬間に毒虫や夜行性の生物が一斉に突っ込んでくるぞ」
「それは避けたいです……」
「更に今回は人狼の巣が近くにあってもおかしくない。日が暮れてから準備を始めては出遅れだ。まだ明るい今のうちから準備を始めるぞ」
「はい、わかりました」
そして早速、クレア様と私はキャンプの準備を始めました。
まずは寝床に適した場所の確保。
人狼に限らず森林の危険生物は夜行性が多いため、地上で寝てしまうといくら命があっても足りません。ですので探すのは折れる心配のない太い枝を持つ高い木で、なるべく地上からは死角になるように葉が多くて枝の重なった場所です。
幸いにもこの森には高さ何十mもある巨木が多かったため、理想的な太さと高さの木はクレア様がすぐ見つけてくれました。
次に、テントの設営。
まずは折れる心配のない太めの枝を選びます。次に枝の突起でテントが破けないように、その上に葉を敷き詰めてからテントを設置します。更にテントの金具を足元の枝に突き刺した上で、テント上部の金具と頭上の枝をロープで繋いでテントが落ちないように固定しました。
これもクレア様が作りました。
後は、水と食料の確保。
近くに沢や川が見つかっても、そのまま飲むのはすごく危険だとクレア様に教えられました。寄生虫の卵も一緒に飲み込んでしまい、病気になって死ぬ可能性があるそうです。
蒸留するか雨水を溜めて飲むのが普通だそうですが、森の中では太めのツタを探して切ると良いそうです。地中から水分だけを吸い上げるので、安全でお手軽だと仰られていました。
これもクレア様が見つけました。
食料もクレア様が探してきました。味はともかく、食べられるものだけ探してきたとのことです。
大変青臭くて苦味の強い葉っぱや、泥の味がする固い根っこ、剥くのが大変な割には量が少なくて味もしない木の実などなど。
もちろん贅沢は言えませんので、クレア様に感謝して頂きました。実家にいた頃や奴隷だった頃を考えると、食べられるものがあるだけ本当に有難いと思います。
ちなみに、唯一美味しかったのは蛇でした。
寝床と食料の確保ができた頃には日が沈み始めてきたので、いよいよテント内に入ることにしました。
一度上がったら朝まで降りることはないので、食事の食べかすやゴミなどはトイレの穴と共に埋めます。
人狼に排泄物の匂いを嗅ぎつけられないよう、穴は深めに掘って念入りに塞ぎました。
あとは枯れ枝を集めて周囲に撒きました。人狼がテントの下に来た時に音で察知できるようにするためです。
私が役に立てたのはこれくらいです。
クレア様はフック付きのロープを使ってスルスルと木に登りますが、私にはとても真似できませんでしたので、木の上に登る時はクレア様にロープで引っ張り上げてもらいました。滑車のように使うと、少ない力で楽に重いものを上げることができるそうです。
クレア様は本当に色々なことを知っています。
「すみません。私、全然役に立たなくて……」
「気にするな。君には最初からそういう事は期待していない」
テントに潜り込むと、クレア様は早速横になりました。クレア様は眠る時、必ず鞘から抜いたナイフを握っています。寝込みを襲われた時にすぐ対処できる為に習慣づけているそうですが、素人は逆に危ないから真似をするなと言われました。
眠る前に、日々疑問に思っていた事を今日は聞いてみたいと思います。
「クレア様。私、本当に役に立ちませんよね?」
「今その話をしたばかりだろう?」
「いえ、今日の事だけじゃないんです」
私はクレア様の隣に座りました。
「買われた時から、ずっと思っていたんです。私は戦闘で役に立つわけでもなく、要領も悪くて家事とか役に立つ知識とかたった1つの長所さえないんです」
「ああ、説明文にもそう書いてあった」
「……」
すでに日は沈み、真っ暗になっています。
いつの間にか虫が鳴き始めたようで、少し沈黙が続くと鈴を転がすようような声が下から聞こえてきます。
「でしたら、なぜクレア様は私を買われたのですか?」
「……」
テントの中も真っ暗です。クレア様がどんな表情をしているか、わかりません。
でもやはり、いつもの不機嫌そうな顔をしているのでしょうか。
「クレア様がその気になれば、仲間には不自由しないはずです」
「……」
「なぜですか?私のような足手まといを連れて、こんな泥臭い苦労をしなくても、クレア様ならもっとこう……派手でキラキラして勇ましい、誰もが憧れるような冒険が……」
「貧相な語彙力だな」
「うう、そうかもしれませんが、話を逸らさないでください」
「君は冒険者として駆け出した。何もできなくて当たり前だろう」
「でも……」
「それに、君は私を買い被りすぎだ。君は私の生活力だけ見てベテランだと思っているようだが、私より優秀な奴なんて、うんざりするくらいにいる」
「………」
「私みたいな凡人は、冒険者が夢見る偉業やお宝とは無縁だ。こうやって泥にまみれて地味に平凡に生きるしかない。夢なんて持つだけ無駄……ん」
「なら」
「待てっ、声を出すなっ!」
珍しく悲観的だったクレア様の声色が急に変わりました。上半身を起こしてナイフを握りしめ、手を耳の後ろに当てています。
クレア様の緊張が私にも伝わってきます。
「耳をすませっ、聞こえるか? 遠吠えだ……!」
クレア様のささやき声に従い、私は目を閉じて息を止め、意識を周囲の音に集中させてみました。
風の音、虫の声、木々の葉が擦れる音、鳥の声、クレア様の呼吸。そして……。
………………オォー………ゥン………。
聞こえます。獣の声が。
「出たぞ。人狼だ」
「ひっ」
もしかして、私達の存在に気づかれたのでしょうか。
本に書かれていた人狼の紹介文が、頭の中でぐるぐる回り始めます。
気性は凶暴かつ残虐で執念深く狡猾。一度見つけた獲物は決して逃がさず集団で嬲り殺す。
凶暴かつ残虐で凶暴かつ残虐で凶暴かつ残虐で……。
ウォオオオーーーーン……。
また聞こえました。先ほどより近づいてきます。
私とクレア様も、寝込みを襲われてなす術なく嬲り殺されるのでしょうか?
いえ、もしかしたら寝込みどころか、次の瞬間にはテントを引き裂いて襲ってくるかもしれません。
武器……私は武器を持っていません。いえ、私程度が武器を持った所で何ができるのでしょうか。
下手に抵抗しない方が楽に殺してくれるのでは?
ウゥゥォオオオオオオーーー!
近い。近い。近い。近い!近い!近い!
仲間を呼んでいる!心臓が走り始めました!筋肉が強張り、滲むように汗が出てきます!自分でも分かるくらいに呼吸が乱れ深く息を吸おうとするのですがどうしても途切れ途切れに息を吸ったり吐いたりになります!逃げないと!ここは危ない!危ない!すぐ離れなければ!
「落ち着け」
クレア様が、私の肩を叩きました。
いつの間にか体を起こし、すぐ隣に来ていた事に気付かないくらい、私は動揺していたようです。
私の耳に口を寄せ、ささやき声で話しかけてくれます。
「でも、こんなに近くに!」
「人狼の足から逃げ切るのは不可能だ。ここで戦うぞ」
「戦う、って……」
オオーー……ッ。
遠吠えがテントの真下で止まりました。
クレア様がテントの入り口を開けました。木々の枝葉を抜けてわずかに差し込む月の明かりが、私たちのテントを支える大樹の幹を照らしています。
「無理、無理です! 私、人狼どころか野良猫とだってケンカしたことないんですよぉ……!」
「それは奇遇だな。私も野良猫と戦ったことはない」
クレア様は槍を片手に、私の手を引きます。
「ここから出るぞ。幹の側に陣取って、木を登ってくる奴を突き落とす」
「無理っ……無理です! 私素手じゃないですか!?ここから出たらすぐ襲われて殺されますっ!」
「君は私の後ろで敵を探すだけでいい。他の木から飛び移ってきたり、物を投げようとしている奴を見つけたら教えろ。もしロープを使って登ろうとする奴がいたら料理用のナイフで切れ」
「だから、無理だって言ってるじゃないですか!」
「無理かどうかは私が決める。だから今は何も考えずに私の指示に従え。それしか2人で生き延びる方法はない」
「で、でも」
「やるんだ。それと、無理という言葉はもう使うな。無理だった、なら使ってもいい」
クレア様は私から手を離すと、1人でテントの外に出て行きました。
クレア様はそれきり振り返りませんでした。
「……わかりました。頑張ります」
数十秒後、私は意を決してテントから出ました。枝を揺らして木から落ちないように慎重に這いながらクレア様の後ろに移動しました。
クレア様は槍を短めに持ち、木の下を睨んでいました。私たちの息の音がとても大きく聞こえます。
「下だけに気を取られるな。前後左右はもちろん、たまに上も注意しろ」
クレア様の指示に従い、私はきょろきょろと周囲を見渡します。月が出ているとはいえ夜の森はとても暗く、人狼の姿はどこにも見えません。
もう遠吠えは聞こえません。息を殺して、獲物である私たちを値踏みしているのでしょうか。そして仲間を呼んで、今この下で舌舐めずりをいえもしかしたら次の瞬間には他の木から飛びかかってくる可能性だって……。
「こら、落ち着け。焦ると余計に危ないぞ」
「いたっ!」
「そんなにキョロキョロするな。夜は目より耳を使え」
悪い想像ばかりを膨らませていた私の頭を、クレア様が軽く叩きました。ただし槍の柄で。
叩かれた所を押さえながら涙目でクレア様を見ると、いつもの不機嫌な顔のまま私を睨んでいました。
「もしかして痛かったか?」
「はい、ちょっと……」
「つい力を入れすぎた。すまない」
「いいんです。それより、人狼は……?」
「さあな。下で何やらゴソゴソ動いてた気配はあったんだが、去っていったようだ」
ふぅ、とクレア様が一息吐きました。
「テントに戻ろう。仲間を呼ぶのなら遠吠えを続けていただろうし、襲うつもりならもう襲ってきているだろう。私たちに気づいても交戦は避けるような用心深い奴だったのかもしれない」
「ということは、もう安心していいんですか?」
「ああ。とはいえ、また来るかもしれない。念のために木の幹側を見張りながら交代で寝よう」
「なんというか、疲れました……」
「悪い想像でもしていたか? 10匹くらいの人狼に襲われて、両手両足を噛みちぎられて、生きたまま腹わたを引きずり出されて」
「やめてください」
「腹わたを」
「やめて、ください」
「そう怖い声を出すなよ。冗談だって」
「………」
「あー……とにかく、先に私が寝よう。二時間経ったら交代だ。うん。明日は朝早くから出て、本来の道や開拓民の村を探そう。他の冒険者とも合流しないとな」
テントに戻るなり、クレア様はそそくさと自分の布団に潜り込んで行きました。
言いたい事がないわけではありませんでしたが、私もいつまでも起きているわけにはいきませんので、横になり布団を被ります。
そして、今日一日の出来事を思い出しながら睡魔を待ちました。
キャンプの準備をしたこと。全然役に立たなかったこと。クレア様と話をしたこと。人狼のこと。すごく怖かったこと。
そういえば、クレア様が冗談を口にしたのはこれが初めてだった気がします。もしかして、私の気を紛らわせてくれようとしたのでしょうか。
クレア様はすでに寝息を立てて眠られています。
人狼に気を取られたせいで機会を逃してしまいましたが、クレア様に聞いてみたかった疑問があったことを思い出しました。
夢を持つだけ無駄と言われるのなら、どうしてクレア様は冒険者になったのですか。
私はその一言を、尋ねる事ができませんでした。
翌朝。
「うう〜ん……?」
「えっと、これは?」
地上に下りたクレア様と私は、二人揃って地面を眺めて困惑していました。
そこには土の上に描かれた矢印と、子供の落書きのような簡易的な絵が残されていたのです。
上下に並ぶ2つの丸と、下の丸から生える4本の棒。どう見ても人間に見えます。
すると必然的に、その隣に描かれている三角の頭と丸い胴体を持つ人物の絵は人狼を表しているように思えます。こちらは手足だけでなく、尻尾まで付け足されていました。
矢印と人間と人狼の絵。お世辞にも上手とは言えませんでしたが、昨日の人狼が描いたとしか思えない事実が混乱を招いていました。
クレア様も頭を捻りながら悩んでいます。
「罠……なの、かなぁ……?」
土の上に描かれていた人間と人狼の絵は、満面の笑みで手をつないでいました。
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