第58話
「――っと、戻ったか」
俺に抱き着いていたミリーの感触が消えた、と思った瞬間ワスレーンの自室にいた。どうやらまたループしたらしい。ということは、なんとか一年乗り切れたようだ。
思わず力が抜けて、ソファーに倒れ込むように体を預ける。
「いやー、大変だった。大変だったが……さすがに今回で終わりだ」
危惧していたミリーとシノの衝突はなく、俺が刺されるということもなく。時折少しだけ険悪になる雰囲気に俺の胃がキリキリする以外は、概ね大過無く過ごせたと言っていいだろう。結局のところ二人とも良い子なのだ。
レベル上げの方も順調……と言い切れるほど励んだわけではないが、それでも二人ともレベル六十近くはあるはず。そこから更に成長するだろうし、最悪二人でラスボスを倒せてしまうんじゃないだろうか。
仮に今回でも駄目だとしても、それはもう戦力面じゃなく情報面での不足が原因だろう。こればっかりは本当にどうしようもないので、上手く原作のシナリオ通りに話が転がることを祈るしかない。
翌朝には恒例となった父上との面談も終え、その次の日にはシノを三年借りると言い放って王都へと出発する。
シノと二人で王都に向かうのも何回目になるだろうか。六回か七回か、大体それぐらいになる気がする。
「こうして二人で王都に行くのも、これで最後になるかな」
「……そうですね」
今回はずっとシノと二人で御者台に並んで座っている。後ろの馬車はとても豪華な荷物入れになってしまった。
「確か最初のときはシノが馬を凄い勢いで走らせるもんだから、馬車が揺れて大変だったな」
「えっ、そんな事は……あっ。あれは、ゲルド様が元のゲルド様に戻ってしまったかもしれないと思って」
「そうなんだよな。あんなに優しかったシノが急に冷たくなったから、俺は悲しくなっておかしくなったんだ」
「ですからそれも……もう忘れてください」
「いーや無理だな。俺はどうでもいい事は全然覚えないしすぐ忘れるけど、シノの事なら何一つ忘れられない」
「っ……は、はい」
俺はぼーっと前を見ているので、シノの顔は視界に入っていない。シノは今どんな顔をしているだろうか。喜んでくれているだろうか。
「何回も同じ時間を繰り返すのは辛かったけど、毎回シノと一緒に王都に行くことになるから、その度に立ち直れたんだよな。シノが俺の専属で本当に良かった」
「ゲ、ゲルド様……っ。私、私もっ」
「え? あ、いや。そういうつもりじゃなくて、ほら。手綱、手綱を放しちゃ駄目なんじゃないのか? シノ? シノー!?」
シノにはこれから最長で三年間にも及ぶクソ面倒臭い旅を強いることになる。
そんなシノにはループを止めるモチベーションがあまり無く、俺が止めたいから止めようとしているだけ。
その間何もすることが無い楽な立場である俺からの贖罪というか応援というか、そういう気持ちでシノが喜びそうな事を言ってみたつもりだったのだが、シノには変な風に刺さってしまったらしい。
おかげでミリーと約束した日よりも一日遅れで王都に到着することとなった。
「…………遅いよ。心配したんだから」
「いや、悪い。こんなはずじゃなかったんだけど」
「ごめんなさい、ミリー。私が、その……ちょっと」
「あっ、大体わかった」
そして到着して早々、宿の一室で俺とシノはミリーから怒られていた。これはもう甘んじて受け止めるしかない。
今までミリーと再会するのは入学してからだったのだが、ミリーたっての希望で入試前の段階から合流する予定になっていた。
ミリーは本来、幼馴染達と一緒に試験前日に王都へ来る流れらしいのだが、今回はそれを強引に回避して無理やり単独で早く来たらしい。その挙句待ち人が遅刻で待たされたとあっては、お怒りもごもっともといったところだ。
「それじゃ判決、有罪です。罰としてシノお姉ちゃんはお部屋で謹慎。ゲルド君は私へのご奉仕ね」
いきなり裁判が始まったと思ったらもう判決が出た。ミリー裁判長は相変わらず強引だ。
「ミリー、それはワスレーン家のメイドとして看過できません。ゲルド様は大貴族ワスレーン家の次期当主なのです。そんな御方に奉仕させようなどと」
おっと、弁護士のシノも負けていない。加害者でもあり有罪判決を受けた身ではあるが、そんなものはお構いなしにまくし立てる。ミリー裁判長は突然の弁護士の登場にタジタジだ。
「えっ? やっ、そうかもだけど、別にそんなのは建前で……」
「建前? では実際はどういうつもりだったのですか」
「実際って、それは。ほら、その……い、いちゃいちゃしたいというか……」
「なるほど。個人的には不満がありますが、それは私が口を出すことではありませんね」
言うだけ言ってシノは判決通りに部屋を出て行った。ミリーは涙目になって顔を真っ赤にしながら震えている。
「ううう……」
「ほら、俺にもシノにも立場ってものがあるからな」
「ゲ、ゲルド君……」
イチャイチャなどこれまでずっとしてきたはずなのだが、自分からそうしたいと口に出すのは恥ずかしかったらしい。俺にはよくわからないが、そういうものなのだろう。
これまで二人きりになった時は大抵ミリーの方からベタベタしてきたものだが、今は俺から距離を取って顔を赤くして俯きながら、チラチラとこちらを見てモジモジしてしまっている。本当に恥ずかしいらしい。
弁護士の反論により却下されてしまったが、一応俺は奉仕を命じられた身だ。そして面倒な旅を押し付けている負い目もある。
ここは俺の方から何かアクションを起こすべきだろう。立ち上がり、ミリーの傍まで歩み寄る。
「あっ、えっと、その」
「まあ、あれだ。一日遅れたけど、久しぶりだな。ミリー」
「えっ? そ、そうかな? まだ時間が戻ってから、そんなに経ってないけど」
「三年間も毎日一日中ずっと一緒にいたんだぞ。そこから二週間も離れたら、それはもう久しぶりと言うんだ」
「……うん、そうだね。それじゃ、久しぶりだね。ゲルド君」
「おう」
ミリーも少し話したら落ち着いてきたようだ。しかしこのネタはいずれからかうときに改めて使うとしよう。
「でもさ、もうすぐ二週間どころか三年離れちゃうんだよね」
「それは……そうだな」
「うー……」
ミリーは可愛く唸りながら頭を俺の胸元にぐりぐりしてきた。これはミリーが我儘を言うときの癖のようなものだが、具体的な事は言わずうーうーと唸り続けている。しかし、さすがに何も言われなくても、ミリーの言いたいことはわかってしまう。
「やっぱ嫌か」
「……うん」
どうやらミリーのモチベーションはかなり低いようだが、果たしてこのまま送り出して大丈夫だろうか。ミリーとは出発までまだ学園で話す機会もあるにはあるが……。
「俺も一緒に行けたら良かったんだけどな」
「でも、駄目なんだよね」
「ああ。時間が巻き戻るのを終わらせたがってる俺が行けないってのが、申し訳無いとは思うんだが」
実のところ駄目だと確定しているわけではなく、多分原作に合わせた方が良いはずだ、という推測に過ぎない。
ただこれを言ってしまうと強引に連れていかれてしまいそうなので、俺が口を割る事は本当に手詰まりになるまでは無いだろう。ミリーとシノだけなら喜んでついていくが、他に余計な連中が多過ぎる。
「ううん。私、頑張るよ。ゲルド君のためだもん」
やはりミリーもそうだ。自発的ではなく、俺の為というモチベーションしかない。俺はさすがにもうループにはうんざりしてきているのだが、二人はどうやらそうでもないようなのだ。
別にそのままでもちゃんとやれるなら別に構わないのだが、あまり辛い思いをしてほしくないという気持ちもある。
自発的にやる気になれば多少の辛い事など意に介さなくなると思うので、何かやる気が上がる事を言ってやりたいのだが……。
「ミリー、時間が進むとな。未来があるんだぞ、未来」
「未来、未来かあ。でも、未来よりずっとゲルド君と一緒がいいな」
「お、おう。でもほら、学校を卒業、はしないけど、あれだ。大人になると色々あるし」
「色々?」
「ああ。働くようになったら使える金が……俺たちの場合はもう稼げるか。あと普通は結婚したり、子供とか……それと他にも」
「結婚。子供」
「ん? あ、いや。あとはほら、なんだ。えーっと」
とんでもない失言をしてしまった気がする。気付けば頭ぐりぐりも止まっていた。
「ゲルド君。私、頑張るから」
「ほ、程々にな」
ミリーの顔は、かつて見たことが無いほどやる気に満ち溢れていた。
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