第52話

「ゲルド様……ゲルド様……っ」


 シノは俺の胸元でずっと泣いている。かなり強い力でしがみ付いていて、到底離れる様子は無い。これ幸いと俺もシノを抱き返してはいるが、一体いつまで続くんだろうか。あと二時間ぐらいなら大歓迎だが、それ以上はトイレ等の心配が出てくる。


「あー……なんか最初の最後を思い出すな。確か王都の宿でこうしてシノと抱き合ってたような」

「……っ! ゲ、ゲルド、様っ」

「ど、どうした」


 なんか急にシノの抱き着いてくる力が三割増しになった。すごく痛い。いや、違う。どうしたじゃない。これはそういう事なのか?


「シノも、シノもそこからなのか? 俺が記憶喪失になって、剣の素振りとカードバトルに明け暮れて、最後は王都の宿で終わった……あの周から……?」

「はい! 私もそこから……やっぱり、やっぱりあのゲルド様がずっと! ゲルド様……っ!」


 俺を見上げるシノは震える声から察するにずっと泣き続けているのだろうが、視界がぼやけてよく見えない。ループを繰り返す内に涙などとうに枯れたと思っていたが……。


「あのシノが、もういなくなったと思ってた、あのシノがまだいてくれたのか……!」


 そこからはお互いうわ言のように名前を呼び合うばかりで、やっと落ち着いた頃にはシノの顔は酷いことになっていた。きっと俺の顔も同じようなものだっただろう。

 一旦離れて鼻をかんだり涙を拭いたりと身嗜みを整え、ベッドに並んで座って今度はゆっくり話すことにする。


「最初に王都から戻って混乱している内に、また同じ日の朝まで戻ってしまってわけがわからなくなって……。あのお腹を叩く姿を見て、記憶喪失した後のゲルド様かもしれないと思ったのですが……」


 たしかにシノから見ると俺の状況はややこし過ぎたかもしれない。シノに殴られる日よりも前に戻ったということは、まずゲルドは元のゲルドに戻ったと思ったことだろう。その上俺が二周目にすぐ死んだことで混乱に拍車を掛けてしまったか。……そして非常に重大な情報を得てしまった。俺が死んだ後も三年続くものだと思っていたが、俺が死んだら即リセットされていたとは。


「ずっとゲルド様が辛そうなお顔をされていて、なのに私はどうすればいいのかわからず……申し訳ありません……」

「いや、いい。毎回最初にシノと二人で過ごせることは、俺にとって何よりの支えになっていたからな」

「ゲルド様っ!」


 シノが隣に座る俺の胸にまた飛び込んできた。せっかく顔を綺麗にしたのにまた泣かせてしまった。もういっその事もっと泣かせて涙を出し尽くしてやった方がいいか。


「それにシノも辛かっただろう。他に誰も覚えている人がいないというのは寂しいもんな」

「はい! はい……っ!」

「でももう大丈夫だ。俺がいるからな。今までシノと過ごしてきた日のことは全部覚えてるぞ」

「……!」


 シノはもう言葉にもならないようだが、これは無理もない。シノの心情を今一番よくわかっている俺が、一番効くと確信した言葉をわざとかけたんだから、ここはこうなってもらわないと困るところだ。

 今はとにかく泣けるだけ泣いて、悲しかったことや辛かったことも一緒に流し出してしまえばいい。そんな思いでシノを抱きしめ続けることにした。



「んむ……」


 扉を叩く音に、微睡んでいた意識が覚醒する。少し眠ってしまっていたらしい。


「ゲルド様、ウカリ様がお呼びです。急いだ方がよろしいかと」

「ああ……あと少し、十分後に向かうと伝えてくれ」


 扉の向こうに返事をして時間を稼ぐ。そういえば一回呼ばれていたが、今は忙しいからと後回しにしたんだった。


「シノ、父上に呼ばれたから、ちょっと離してくれ……おい、シノ」

「ん……ゲルドさま……」


 シノは今、全裸で俺にしがみついている。このままでは父上の元に向かえないが、寝惚けたシノが離そうとしない。


「……」


 というかこれはどうなんだろう。つい流れでこうなってしまったが、この事をミリーには……いや、黙っていればどうせリセットされ……ないじゃないか。マズいぞこれは。


「いや、どうせハーレムRPGだし……多分大丈夫、多分……」


 なんせ主人公は七人もの美少女を侍らせるほどの性豪で、ミリーはその七人の中の一人になるはずだった女だ。そんなミリーがメイド一人に手を出したことぐらいでいちいち目くじらを立てるわけがない。きっとそうだ。

 そしてシノにもミリーの話はしていないが、こっちもきっと大丈夫だろう。何の根拠も無いがきっと大丈夫に違いない。それにいざとなったらご当主様モードで黙らせてやればいい。割と最低な気もするが、シノはきっと喜んでくれるはずだ。


「ふぬ……この、力強いな、相変わらず……!」


 なんとかシノから抜け出して素早く服を着る。十分ではなく二十分と言っておけばよかった。

 今の俺は学園を無断で辞めて帰ってきたというそれなりに苦しい立場にある。そんな俺が帰ってきても父親に挨拶すらせず、それどころか何時間も待たせて自室でメイドと乳繰り合っていたというのはさすがに心象が悪過ぎる。この部屋に踏み込まれる前にこちらから急ぎ出向く必要があった。

 今までならそんなん知ったこっちゃねえ、とばかりに好き放題していたが、この周はそれなりにクリアできる可能性が高いと見込んでいる。そろそろ無茶な真似は慎んだ方が良いだろう。

 適当に身嗜みを整えて、父が待つという書斎に向かう。ここに来るのは久しぶりだ。


「父上、お待たせしました」

「遅いぞ。何をしていた」

「学園からここまで歩いて帰ってきたもので……過酷な旅でしたので、とても顔をお見せできる状態ではなく」


 そう、旅で疲れていたんだ。だからシノに癒してもらっていた。これは嘘じゃない。精神的な疲れを癒してもらったんだ。


「歩いて? お前がか」

「ええ、なんとかこの辺りを歩いて旅ができる程度にはなりました」


 良い機会なので実力アピールをしておく。学園を辞めた理由付けにもちょうどいい。


「たった二ヶ月やそこらで、そんな事が……」

「剣術を密かに嗜んでおりましたし、魔法は入学した時点で既にデザロア学園の卒業相当の実力があったようなので」

「なんと……」


 どうだ、これなら辞めたことに文句は言えまい。学歴なんかどうでもいいだろうから、実力さえあれば問題は無いはずだ。


「まあいい。それで、デザロア学園がモンスターの襲撃を受けたと聞いたが。実際のところはどうなのだ?」


 父上は俺の言うことを丸っきり信じたわけでもなさそうだが、特に追及するつもりもないらしい。というよりこっちが本題なのかもしれない。


「事実です。正確な数はわかりませんが、北の空より恐らく三百から四百ほどのモンスターがデザロア学園だけを目掛けて襲撃してきました」

「そうか。デザロア学園だけを、ということは何か目的があったと考えるべきだが……」

「そちらは何とも。学園からも発表はありませんでしたし」


 目的はあの赤い宝石絡みの何かやミリーだとはわかっているが、これは伝えない。どうせ伝えたところでどうにもならないだろう。


「それで? 休学にでもなったから帰ってきたのか?」

「いえ、辞めてきました」

「辞め…………いや、そうか。妥当な判断だろう」


 おや、これは意外な反応。だが俺の話したことが全て事実だと仮定するとそういう結論になるか。もう学ぶことは無い上に、襲撃された目的が未だにわかってないというのもネックになる。いつまた同じことが起こるかわからないとあっては、さっさと辞めた方が利口というものだろう。


「しかしこれから先はどうするつもりなんだ? まさか年がら年中ここでゴロゴロして暮らすというのではあるまいな」


 ふむ。とりあえず北に向かうのは確定なんだが、どう言い包めたものか……そうだ、剣のアレでいこう。


「父上、僕は男一匹、己の武を世に問うてみたいと思い至りました―――」

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