第51話
モンスターの襲撃事件から一週間後、俺は早朝からミリーに呼び出されていた。いよいよ今日旅立つようなので、ついに別れのときがやってきてしまったというわけだ。
「ゲルド君、私のこと忘れちゃダメだからね……?」
「忘れるわけないだろ」
「うん……。私、頑張ってくるよ」
「ああ。俺も北の街で待ってるからな」
「絶対会いに行くからね。待っててね」
俺に抱き着いているミリーは、涙を零しながら別れを惜しんでいる。かくいう俺はというと、途方に暮れていた。
なんせもうかれこれ一時間近く同じようなやり取りを繰り返しているのだ。別れを悲しむ気持ちは確かにあるが、そこまで感動的なシーンを長く維持できない。
「やっぱりゲルド君がこっそり付いてきて、毎晩私と会うようにすれば」
「無茶言うなよ……」
しかし俺はこんなミリーを無碍にはできない。なんせ俺はシノに対して似たようなことやった覚えがある。今のミリーの気持ちはよくわかっているつもりだ。
しかしそうなると、今の俺の気持ちをかつてのシノも味わっていたんだろうか。「いいからはよ行けや」と思う反面、こうして別れを惜しまれるとつい口元がニヤけそうになるほど嬉しかったりもする。あと抱き着かれて色んなところが当たってしまうので、ついそこらの茂みに連れ込んで服をひん剥きたくなってしまう衝動にも駆られ続けている。シノもそんな事を……思ってただろう。そうに違いない。
「あっ、もう待ち合わせの時間だ……。じゃあゲルド君、行ってくるからね」
「え? あ、ああ」
どうやら約束していた時間がきたらしく、ミリーは最後に強く抱き着いてくる。俺からも強く抱きしめてしばらくすると、ようやく満足したのかミリーが一時間ぶりに俺から体を離した。
「それじゃあ、行ってきます!」
「おう」
ミリーの背中が遠ざかっていく。ずっとミリーと触れていて温められていた体が、離れたことによって急激に冷やされる。それはまるで俺の心の中の喪失感を表しているかのようだった。
「今が約束の時間ってことは、最初からこのつもりで……?」
ミリーに指定された俺との待ち合わせ時間は今から一時間前の朝六時。やけに早いと思ったが、最初から一時間たっぷりベタベタする予定でこんなに早く呼び出されていたことになる。これから旅をするパーティーメンバーを待たせていたわけではなかったことを喜ぶべきなんだろうか。
俺がミリーほど別れを惜しむのに必死じゃなかった理由はシンプルで、これからの三年間が割と気楽なものになるとわかっているからだった。実家に帰ってシノに甘やかされてもいいし、適当に各地を遊び歩くのもいい。森に篭ってサバイバルをするのも悪くないだろう。
とにかく一年後ぐらいに北のどこかの街に行って派手に活動を開始すればそれだけでいいというユルユルの条件だ。これに関してはミリーから予め街を決めておくべきだという案も出たが、見つけやすいように名前を売るから街は俺に現地で選ばせてほしいと押し通した結果である。
「……とりあえず帰るか」
もう長い夏休みに突入していることだし、暑い夏は実家で快適に過ごす。それからのことはその時に考えるという柔軟なプランだ。
入学して早々に学園を辞めたことに父上からお小言があるかもしれないが、モンスターの襲撃を抗弁の軸にすればなんとか言い包められるだろう。それに俺は実質卒業生なのだから「あそこで学ぶことはもう何もありません」とかクソ生意気な事を言って魔法を披露してやるのもいい。
既に退学届けはミリーと一緒に提出してあるので、俺は何にも縛られない自由の身分を手に入れている。なので寮を追い出されるまでの間なら好きな時に出て行っていいのだが、特に残る意味も無いしさっさと帰るべく学園を後にした。
道中では適当に小銭と経験値を稼ぎがてらモンスターを蹴り飛ばし、のんびり歩くこと約三週間で無事に実家へと辿り着いた。
「うーす、帰ったぞ~」
「っ、ゲルド様……。お、おかえりなさいませ……」
「……」
すれ違うメイド達にいちいちビクつかれながら自室へと戻って一息吐く。やっぱ辛いわここ。
ソファーにだらしなく座り、やはり実家に戻らずそのまま北に向かうべきだったかと後悔していると、コンコンと控え目にノックする音が聞こえる。
素早く立ち上がり扉を開けると、そこには予想通り俺の唯一の希望であるシノの姿があった。
「ゲルド様、おかえりなさいませ」
「おう。いやあ、急に帰ってきて悪かったな」
他のメイドと違って淀みの無い言葉に、俺のささくれだった心が癒されてゆく。やっぱり帰ってきて良かった。
「いえ、それは……。ですが、どうしてこんな時期にお戻りになられたのですか?」
「あれ、聞いてないか? デザロア学園がモンスターの大群に襲撃された話」
「モンスターの、大群ですか……」
半ば呆然としたようなシノの表情からして、まだこっちには情報は届いていない……というより、いちいちメイドには伝えられていないということか。さすがに父上の耳には入っているだろう。
「そうそう。それで長い間休校ってことになってな。それに思ったよりレベルも低かったからもう辞めることにした」
「そうでしたか。それでは、今後はどのようにお過ごしになられるのですか?」
「特に決めてないけど、多分北の方にぶらぶら旅に出る予定だな」
「……北、ですか?」
今度は困惑した表情だ。意味がわからないだろうし、一般的に王都から離れれば離れるほどモンスターは強くなっていくとされている。危険過ぎるということだろうか。
「約束があってな」
俺の言葉に、よくわからんが納得した、という表情を見せるシノ。
俺はこのシノの態度に、はっきりと違和感を覚えていた。俺の顔色が悪いぐらいで馬車に乗るだけの旅を延期しようと言ってきた心配性のシノが、モンスターの襲撃や北に向かうことについて一切心配した様子が無い。俺がここに帰ってきた手段など気にする素振りも全く見せない。これは一体どういう事か……わからん事は本人に聞くのが一番良い。
「シノは心配しないんだな」
「心配、ですか?」
シノはきょとんとしている。何を心配するのか全く心当たりが無いらしい。この反応で実は俺のことなんかどうでもいいと思っている、という可能性に気付いてしまい、急に冷や汗が噴き出てきた。聞くんじゃなかったこんな事。
「あー……ほら、モンスターの襲撃とか北に行くこととか。いや、まあどうでもいいと言えばそうなんだろうけど、ちょっとぐらいは心配するフリだけでも……」
「……?」
心配するフリなんかしてやる意味もわからないということなのか? 駄目だ、もう今日中にここを出て行こう。傷心の旅だ。
「ほら、怪我しなかったのか、とかそういう心配を……いや、何でもない……」
「ゲルド様が怪我、ですか」
……あれ、なんかちょっと違うかもしれない。俺がモンスターに襲われて怪我などするはずがないと思っているような……。
「もしかしてシノは俺が強いと思ってるのか?」
「そうですよね? この話は前にも……」
シノの言葉を聞いた瞬間、俺は右手でシノの左手首を掴み、そのまま壁に押し付けて鼻と鼻が触れ合うギリギリの距離まで顔を寄せる。これは尋問せねばなるまい。
「シノ、どういう事だ。そんな話をした覚えは無いぞ」
「ゲ、ゲルド様……? え、だって私より強いと……」
そうだ。シノは歩き方なんかを見ただけで大体の強さがわかってしまう怪物なので、俺が強いと気付くことはおかしくないんだった。ただ、その話はこの周でしていなかったはずだ。
そのまま空いた左手でシノの腰をグッと抱き寄せる。これは決して尋問にかこつけて抱きしめてやろうなどと画策しているわけではない。
「それは以前の周だな。シノ、覚えているのか……?」
「以前の……あっ」
どうやら間違い無さそうだ。ミリーが記憶を引き継いだと知ってから薄々そうじゃないかと思っていたが、やはりシノもそうだった。周回を重ねる毎にシノの態度が軟化するのが早くなっていく、というのは俺がシノと打ち解けるのが上手くなったというより、シノも記憶を引き継いでいると考えた方が自然だ。
「じゃあ、やっぱりゲルド様も……っ」
「ん?」
……そうか、シノの視点だとそうなるか。平成令和の日本で生まれ育った俺は「ああ、ループものなんだな」と思っただけだったが、そんな概念に触れたことの無いシノにとってはわけがわからなかったに違いない。
俺は記憶を引き継いでいる人が見ればはっきりわかるほど毎回違った行動を取っているが、それでも確証を得るには至っていなかったんだろう。おそらくそうだと思いつつも、問い詰めて確かめるほどの勇気も出なかったということか。あのシノの変化は、俺に対するシノなりのアピールだったのかもしれない。
「あの、ゲルド様は、いつから……いえ、何回繰り返しているのですか……?」
「何回? ……何回だっけ」
メイドと戯れ続けたのが一周目、ザリガニに殺されたのが二周目、森に篭ったのが三周目で……。
「あっ、では、最初は? 最初はいつですか? どんな風に過ごされましたか?」
なんかやけに必死に聞いてくる。壁に押し付けられて拘束されている状態にも関わらず、まるでシノが尋問している側のようだ。
「最初の周は、シノにぶん殴られて記憶を―――失っ、て……」
俺が言い切る前にシノは顔をくしゃくしゃにして滂沱の涙を流し始めた。シノがこんなに号泣する姿を初めて見たかもしれない。
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