第40話

 鳥人間が煙になって消えてゆく。あとに残された小銭を拾う気も起こらない。


「逃げないとはなあ」

「えっと。倒しちゃ駄目だったの?」

「駄目って事は無いけど……いや、やっぱ駄目だったかもしれん」

「それは……あの、神託で?」

「そんなところだな。俺の役目は終わってるからもう何もするべきじゃなかったんだけど」

「じゃあなんで……ごめん、私のせいだね」

「いや、気にするな……って……」


 俺の腕の中で申し訳無さそうにするミリーの姿を見て、思わず言葉が止まってしまう。

 さっきまでは傷だらけで気にならなかったが、ミリーのボロボロになった制服からちらりと覗く肌色が大変目の毒な光景になってしまっていた。固まった血こそ残ってはいるものの、やはり傷が無くなると痛々しさよりエロさが勝る。特に肩の辺りから胸元にかけて切り裂かれたと思しきラインが―――駄目だ。これ以上見てはいけない。

 肩に掛かった正体不明の薄ピンクの紐など見てはいけない。普段は絶対にお目にかかれないはずの柔らかそうでそれでいて細い腰の辺りの肌に目を奪われてはいけない。さらに太ももの―――じゃない。これ以上見ると本当に大変な事になる。


 いくら魔法で表面上は治癒したとは言えど、精神的に、そして体力的にもまだ厳しい状態のはずだ。俺がかつて豪傑先生にボコられて魔法で治癒されたときも、その後立て続けに模擬戦を再開することになってマジの涙を零した覚えがある。

 もうボロボロなんだからいっそ全部破いちゃってもいいだろう、などと思ってはいけないのだ。速やかに安全な場所に移動して心と体を休ませる必要がある。俺がさらに心身に負担をかけるわけにはいかない。


「あれ? どこに行くの?」

「男子寮」

「実習棟じゃなくて?」

「今ミリーがそんな所に行ったら大変な事になるからな」


 こんなあられもない姿をしたミリーが大勢人が集まる場所に行くのはマズい。避難所の人間が正気を失って暴れ出すゾンビ映画のような展開になってしまうだろう。

 なのでミリーの服装を何とかするべく男子寮に向かっている。あそこならまだ人もモンスターもいないだろうし、俺の部屋に行けば焦げた制服が二着あるから、とりあえずミリーの肌を衆目に晒すことは避けられるようになるはずだ。マシなパーツを組み合わせて着れば今よりは幾分か露出は抑えられるだろう。


「大変? 何が?」

「服。すごいことになってるぞ」


 きょとんとした顔をしたミリーはまず俺の方を見て、次に自分の体を見た。


「わ、あ、だ、駄目! 見ないでゲルド君!」

「見てない」


 俺は今真っ直ぐ正面だけを見て歩いている。既にたっぷり見て脳裏に焼き付けているが今は見ていないのだ。


「う、うぅ~。見た? もう見たの?」

「俺が見たときは傷だらけでそれどころじゃなかったけどな」


 嘘は言っていない。その後も見ただけだ。

 ミリーは破れた箇所を手でなんとか隠そうとしているが、その仕草こそが最もエロいと教えてやったらどんな顔をするんだろう。


「それで、ゲルド君。いつまで抱っこしたままなの?」

「とりあえず俺の部屋で服をなんとかしてからだな。今のミリーが歩いてるところを他の男に見せるわけにはいかないし、男子寮は今無人で安全だから一旦そこで落ち着こう」

「そ、そっか。わかった」


 その後は特に何事も無く男子寮に到着した。もう人もモンスターも実習棟周辺に集まっているらしい。

 部屋の中でミリーが身嗜みを整えている間に今回の事件について考えてみるが、どうしても前提となる原作の知識が無い以上不明な点が多い。

 仮にああしてミリーがモンスターに囲まれて殺されかかるのが本来の流れだった場合、俺以外に誰も助けに来なかったということは、ミリーはなんと死ぬことが前提のキャラクターということになる。ただ、そんなシナリオだったとは到底思えない。

 そんなシナリオなら何か覚えているはずなのに何も覚えていない。つまりそんなシナリオじゃない、という論法だ。

 となるとどうにかして生き残るわけだが、その方法がわからない。

 何とかの巫女などと言っていたことから、ミリーは無作為に選ばれてたまたま囲まれていたわけではないだろう。襲撃の際に一人でいると確実に狙われることになるはずだ。そうなると事前に誰か、とりあえず主人公と合流させておくのが無難か。


「次があるとしたら、土曜に誘拐して、水曜の昼休みにミリーがハーレム野郎と一緒にいるように誘導……?」


 面倒臭い。ただただ面倒臭い。しかしやらなければならない。

 次の周に向けた注意点を全てメモに取っておいて、ループする直前に確認するようにしないと絶対にこんな条件は忘れているだろう。


「次、次か」


 思わず天を仰ぐように大きく仰け反り、壁に頭を強打してしまう。しかしそんな事が気にならないぐらい辛い。

 次があるとしたら、今回で駄目だとしたら、今俺の部屋で着替えているミリーとは永遠にお別れだ。

 剣術部で心底懲りたはずなのに、気が付けばまたやってしまっている。不可抗力もあったにせよ迂闊過ぎた。


「いや、ミリーが悪い……ミリーが……」


 今後のループは何度もこのデザロア学園に通うことになるが、切っ掛けさえあれば俺は何度でもミリーに近づこうとしてしまうだろう。それだけの魔性がある。性的なものだけじゃなく、人としての魔性だ。抗える気がしない。


「お待たせっ。ど、どうかな?」

「おー……ぶかぶかだ」


 魔性の女が俺の部屋から出てきた。女子用のスカートはさすがに持ち合わせていないので、男子用のズボンを折り返して履いている。それ以外はとにかくオーバーサイズだった。

 しかし、これは……アリだ。実に良いかもしれない。ぶかぶか女子だ。


「ほら、戻った戻った」

「あれ? 実習棟には行かないの?」


 部屋から出てきたミリーを再び部屋の中へとグイグイ押し込む。のこったのこった。


「あっちはまだ戦闘が続いてるからな。終わるまでここで待とう」

「え、いいのかな。助けに行った方が……」


 やはりそうきたか。それでこそミリーだが、当然そんな事をするつもりもさせるつもりも無い。


「今から乱入しても引っ掻き回すことになりかねないし、どうせ衛兵が入ってくるからすぐに終わる。気にしなくていい」

「そっか……うん、そうだね」


 もう少し粘るかと思ったが、あっさり引き下がった。……いや、死にかかってからまだ三十分ほどしか経っていないんだ、メンタルも回復していないのだろう。それに今はなんとか気を張って気丈に振る舞っているが、体力的にも限界が近そうに見える。


「辛いなら寝ててもいいぞ。ここなら安心だ」

「ん……でも……んん」


 寝ててもいいと聞いて緊張の糸が切れたのか、急に疲れが表面化したように見える。やはり限界か。


「おいおい、さっきの俺の活躍をもう忘れたのか? 何があっても大丈夫だぞ」

「っ……ゲルド君」


 あれ、ちょっと茶化して安心させようと思ったら俯いて泣きだした。何故泣くんだ、今度は何だ!?


「……私、さっき、もう駄目かと思った。死ぬかと、思った。恐かった、恐かったよ……っ」

「あ、ああ。遅くなって悪かった」


 緊張の糸が切れて、疲れではなく抑えていた恐怖が甦ったか。

 ……言えない。しばらくボコられているのを見ていたとは口が裂けても言えやしない。仮に目撃者がいたら即口封じだ。


「そんな事ない! ゲルド君がっ、来てくれなかったら」

「まあ、そうだな。間に合って良かった」


 寸前まで迫っていた死の恐怖に震えてミリーの涙は止まりそうもない。こんなときどうすればいいんだ?

 確か……そうだ、シノが泣いていたときは抱きしめて良い感じに落ち着かせた覚えがある。あれだ。

 しかし抱きしめようとして突き飛ばされでもしたら、俺は二度と立ち直れないかもしれないが……いや、とにかく恐いときや悲しいときは抱きしめるのが一番だ。嫌がっても無理矢理抱きしめてやるという精神でやるしかない。


「また何かあっても、今度はもっと早くに助けに行くからな。だから大丈夫だ」


 そう言いながら頭を撫でてみる。言ったことも嘘じゃない。あの役立たずは肝心なときに二時間遅れで来る奴なんだろう。そう思って行動することにした。

 次の周からはあんな風に囲まれる状況そのものを起こさないつもりだが。


「ゲルド君……っ!」


 頭を撫でていたらミリーから抱き着いてきた。なんか前にもこんな事があった気がする。これで俺から抱きしめるというリスクは回避できたが、ここからは別の戦いが始まってしまう。

 胸の感触に気を囚われてはいけない。今はそういうタイミングじゃない。というかそもそもミリーはそういう相手じゃない。今は……そう、とにかくミリーを慰めて落ち着かせることに集中するんだ。


「えー……あー……うん、実は俺はめちゃくちゃ強いからな。俺のそばにいれば安心だぞ」


 全然気の利いた言葉が出て来ない。こんな馬鹿みたいなセリフで誰が安心するんだ。

 とにかく頭だ。頭を撫でていればいいんだ。変なことを言うぐらいなら無言の方がまだマシなはずだ。

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