第22話

 改めて間近でミリーの顔を見ると、やはりとんでもなく美形で……特に目が綺麗だった。

 髪の色と同じ水色の瞳には、見ていると吸い込まれそうな錯覚を覚えるほど澄んだ美しさがある。

 他のパーツも一つ一つが整っているのは言うまでもなく、顔全体から受ける印象は純真無垢、或いは天真爛漫といった辺りか。そんな娘が全身から強烈な色香を放っているとなれば……これは魔性だ。近くの席に座っている男子はもう授業など何も聞こえないだろう。

 そりゃとんでもない数の同人誌を描かれてしまうわけだ……いや、それだけ描かれたからこうなってしまったのか?


「えっと、ゲルド君、だっけ?」

「ああ、そうだけど」


 くそ、もう名前を覚えられてしまってるじゃないか。それも簡単な、いや常識的な問題を二回当てられて二回とも答えられなかった馬鹿としてだ。サニムラもわからなければまだ良かったのに……おのれサニムラめ……。

 それにしても声まで可愛いのはやり過ぎじゃないだろうか。これが地獄の亡者の呻き声みたいな声だったら理性が決壊することを心配する必要もなかったんだが。


「えーっと、じゃあ魔法を使ってみてくれる?」

「ん」


 言われた通り『ペフ』を使う。

 相変わらず棒の先ではなく、棒を握る手が光っている。凄く間抜けな光景じゃないかこれ。


「あ~……そっか」


 どうやらミリーは俺が上手くできない原因に心当たりがありそうだ。何か納得したような表情をした後、少し考え込むような素振りを見せた。どう噛み砕いて教えるか頭を捻っているのだろう。

 それにしてもよく動く表情だ。この辺りもやはりシノとは対照的だった。


「ゲルド君は魔法をある日突然覚えてそのまま使ってるんだよね?」

「まあそうだな」

「そういう勝手に出てくるやつじゃなくてね、自分でマナを動かして使うの」

「ふむ」

「だからえっと、まずマナを動かすのはできるよね?」

「いや、その……できない、というかまずそのマナってのが何なのかも知らない……んだけど……」


 俺のこの発言に、さしもの大天使ミリーですらも表情を消して固まってしまった。どうやら相当ヤバい事を言ったらしい。


「……え? だって、え? あ、でもさっき……でも入試で魔法学だってあったし……え? 入試、受けたよね?」

「入試は受けたけど、その魔法学とやらはほぼ白紙で提出したな」

「……じゃあどうやって受かったの?」

「他が大体九十点以上はあったからじゃないかな」


 ここまでの周囲の様子から察するに、俺は多分……高校の英語科に入学した奴がアルファベットを知らなかったとか、そういうレベルの事をしてしまってるんだろう。


「そ、それでなんでデザロア学園に……?」


 それはね……お前を誘拐するためだよ~! など言いながら襲い掛かるという、赤ずきんに対するオオカミのような事をしてしまいたい衝動に駆られるが、ここはグッと我慢だ。理由はそれっぽいのを適当にでっち上げてしまおう。


「それは……魔法の事を全然知らないから逆に、そう逆に来てみたくなったんだ。知らないことを知りたくなってしまってな。入試は……直前に決めたから準備が全然できなかったというか」

「そうなんだ……うん、わかった」


 わかったのか。ミリーは何やら感じ入ったような表情をした後、ふんすとやる気を巡らせている。俺のペラッペラのカバーストーリーにそんな風になる要素はどこかあっただろうか。


「ん~、まずは比べてみるのが早いかな。はい、ゲルド君。手出して?」

「手?」


 言われるがままに右手を差し出すと、ミリーの左手に掴まれてしまった。なんだ?


「そっちの手も」

「あ、ああ」


 左手を差し出すと、ミリーに右手で掴まれる。間近で向かい合った体勢で両手を掴まれていて……このまま両手を引き寄せて抱き締めて押し倒したくなる衝動に駆られるが、これも歯を食いしばって我慢だ。そういう事は誘拐してから思う存分楽しめばいい。違った。そういう目的で誘拐するわけじゃない。


「まずこっちがゲルド君が使ってる魔法ね。それでこっちが、マナを動かして自分で発動する魔法なんだけど、どう?」

「あー……うん。何か違うっていうのはわかる」


 ミリーは俺の手を握ったままそれぞれの手で魔法を発動した。手を握ったのは違いを直接肌で感じてみろ、という事のようだ。実際に片方からはのっぺりと無機質で平面的な印象を、もう片方からは深みというか奥行きというか、料理で言うところのコクのようなものがある印象を受けた。


「でしょ? それでマナの操作なんだけど、体のこの辺りから全身に―――」

「ほうほう」

「こう。こうやって……そうそう。それでね―――」

「なるほどなるほど」


 ミリーは天使だ。大天使だ。俺のようなゴミクズにも懇切丁寧に、そして一生懸命教えてくれる。

 それだけになんというか……とにかくバツが悪い。まさか今教えている相手が自分を誘拐する計画を立てているとは夢にも思わないだろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 ああ、もうなんか大体理解できてしまったぞ。頑張って教えてくれたおかげだ。お礼に誘拐するときの袋は用意してあるゴワゴワの毛羽立った麻袋じゃなくて、肌に優しそうな綿のやつを買い直してくるからどうか許してほしい。


「こうか? これでいいか?」

「そうそう。そのままさっきみたいに発動すれば」

「そのまま……こうか! できてるか!?」

「うん! できてるよ! おめでとう!」


 おおー。ついに俺もオート発動ではなくマニュアル発動に成功したようだ。これは素直に嬉しい。

 ミリーも我が事のように喜んで笑顔で祝福してくれている。全くのゼロからここまで進歩させたのだから、達成感も一入なのかもしれない。


「それで、この棒から出すのはどうやるんだ?」

「…………」


 あ、また表情が消えた。




「ウハハハハ、どうだこれ。綺麗じゃないか?」

「もー! 駄目だよゲルド君、ワンドをそんな風にしちゃ」


 ミリー先生のドキドキマンツーマンレッスンによって棒を光らせることにも成功した俺は、さらなる発展形として棒の両端を光らせるという無意味な技術の開発に成功。そしてその棒を超高速で回転させ光の軌跡で円を描くという遊びに没頭していた。

 魔法こそからっきしだが、身体能力や得物の扱いに関しては王国でもトップクラスという脳筋戦士の面目躍如だ。


「そこイチャイチャしないの~。はい、それじゃ今日はここまでで~す。ちゃんと復習しておいてね~」


 遊んでいる間にどうやら授業は終わっていたらしい。もう九十分経ったのか。いや、マニュアル発動と棒を光らせることに成功したわけだから、まだ九十分しか経っていなかったのかというべきか。


「ミリーの、いや、ミリー先生のおかげでなんとか授業についていけそうだ。本当にありがとう」

「ん~、なんか、ん~。でも、うん。どういたしましてっ」


 先生呼ばわりされたのが揶揄われたと思ったのか、或いは最後の方は俺が遊び呆けて困らせていたせいか、何とも言い難い複雑な表情をしていたミリーだったが、それはそれとして礼を受け入れることにしたのか笑顔で応えてくれた。


 そんな調子でミリーと談笑しながら教室に戻ろうと出口に目を向けると、俺が、というより俺とミリーがクラス中から視線を集めていることに初めて気が付いた。特に男子からの視線には歴戦の俺をして戦慄かせるような鋭い殺気が……。


「お、おぉぉ……そうか……」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」


 隣に立つミリーは不思議そうな顔をして可愛らしく小首を傾げている。なんともあざとい動作だが、これを天然でやっていそうなところが恐ろしい。周囲の全ての男を惚れさせる業でも背負って生まれてきたのかもしれない。

 しかしそんなミリーは視線に関して特に何も感じていないようだ。これは常日頃からチラチラと、時にはジロジロと見られ過ぎて感覚が麻痺してるんだろう。


 よく考えればこうなって当然だった。クラス中の男子から常時熱烈な視線を向けられているミリーと、授業丸ごと九十分間ベタベタとマンツーマンレッスンしている男がいれば殺意も沸くだろう。気持ちはよくわかる。

 普段ならこれほどの憎悪が籠った剥き出しの殺気などすぐに察知できるはずなんだが、俺もこの状況に存外舞い上がっていたらしい。


 その後、残りの授業は魔法とは関係無いものだったため、また出席番号で当てられてもサニムラの野郎にマウントを取られずに済んだ。奴にいつまでもでかい顔をさせておくわけにもいかない。


 放課後になると寄り道せず寮の自室に戻り自習を始める。来月の七日までには魔法学の基礎を抑えておく必要があった。

 英語で言うところのアルファベットはもちろん、最低でもbe動詞や疑問形ぐらいのレベルの内容は理解しておかないといけないだろう。

 それに……。


「せっかく教えてもらったからな……」


 ミリーにマニュアル操作を教わっている際に、必須の知識だったらしくいくつか魔法学についてもレクチャーを受けていた。あれだけ一生懸命教えてもらったのだから、すぐに忘れてしまっては申し訳が立たない。


 俺はそのまま机に向かい続け、ミリーに教えてもらった内容や握られた手の感触、そして可愛らしい笑顔などを思い出しながら勉強に励んだ。

 ようやく一段落ついた頃には日付が変わっており、これほど勉強したのは一回目のウキャック学園の入試直前以来だったなと苦笑する。


 今日は大変な一日だったなと思いながらベッドに潜り込むが、それと同じぐらい充実していた一日でもあった。


 新しい技術や知識を習得できたのも大きいが、何より……あの可愛らしい笑顔の少女と仲良くなれたのだから―――

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