第10話

 夜。自室だ。一度限りではなく何度もループする仕様だったらしい。


「…………」


 思わず腹を擦るが、ちゃんとくっついている。上半身と下半身は泣き別れになっていない。


「……え? 強過ぎないか? え?」


 とりあえず雑魚を狩っていくつかレベルを上げてそれからどうしようか、などと考えていた俺が最初に発見したのはザリガニのようなモンスターだった。

 近づいてみると案外でかくてビビるが、RPGで小さい生き物が大きくなったやつとくれば大抵は雑魚そのもの。

 そうやって自分を誤魔化しながら近づき、それでもやっぱちょっと恐いので『斬空波』で遠距離から攻撃を当ててみるも無傷。

 防御力特化のモンスターにいきなり当たってしまったかと嘆いたその瞬間、ザリガニのハサミに胴体を掴まれ、抵抗する間もなく体を真っ二つにされて死亡してしまった。


「いやいやいや、駄目だろあんなの……」


 あんなのが始まりの街の近くをうろついていたら、主人公はいつまで経っても出発できやしない。RPGとして破綻している。

 最下層の雑魚から段々と強くなっていくように配置するのが古来よりの習わしではなかったか。


「…………あ」


 そうだ、俺は主人公じゃないんだ。俺にとっての始まりの街が主人公にとっての始まりの街というわけではないんだ。

 ここワスレーン領は中盤か終盤か、とにかく後の方に訪れるエリアなんだろう。そんな所にレベル1の雑魚が出て行ったら当然ワンパンで死亡だ。


 …………どうしよう、これ。



 翌朝、前回と同様に体調不良だというシノに代わってやってきたエミに連れられて食堂へ。


「いえ、父上。僕は男一匹、己の武を試してみたいのです。剣に生き、剣に死ぬと決めたのです。天下一の旗を掲げるまではあまり故郷の地を踏まないと覚悟しております」

「そこまでの覚悟が……ならばもう何も言うまい。好きに致せ。…………あまり?」


 これまた前回と同様、父上と継母上に熱く剣の道で生きていくことを語り許可を取り付けたまではいいが、ここからが問題だ。


「それで父上、差し当たってご相談があるのですが……」

「ん? 何だ?」

「子供でも倒せるようなモンスターの生息する場所をどこかご存じありませんか」

「…………」

「…………あの」

「この辺りの子供がモンスターを倒す場所といえば、フォーグの丘にあるフォーグ洞窟だが」

「フォーグの丘というと、そこまでの道中は……」

「ああ、毎年騎士団が護衛をして子供たちを連れていくことになっている」

「なるほど、そんな催しが。では僕をそこに混ぜていただくことは……」

「あれの対象年齢は十歳未満だぞ、天下一などと言っておきながら良いのかそれで」

「そうは言ってもですね、なぜか僕は十歳未満の子供が狩るモンスターすら倒したことがないもので」

「む……」


 そう、父上の巡らせた奸計のツケは父上に払っていただくしかない。


「しかしそうだな、いきなりワスレーンの街を歩いて出て行くわけにはいかんか」

「ええ、そんな愚かな真似は致しませんとも」

「それならいっそ王都まで行ってはどうだ? あの辺りなら洞窟になど篭らなくとも、そこら中に弱いモンスターがいるはずだ」

「ほう、王都ですか」


 なるほど。王都こそが主人公にとっての始まりの街なのだろう。遊ぶ場所にも困らなさそうだし、悪くない選択だ。


「では父上、護衛付きの馬車を手配して下さい」

「…………」

「あいにくどうやって行けばいいのか皆目見当もつかないもので。よろしくお願いします」



 そんなこんなで一切合切を父上に丸投げして迎えた翌日。屋敷の前にそこそこ立派な二頭立ての馬車が横づけされていた。

 昨日の今日でもう用意できるとはなかなかの手回しの良さだ。決してさっさと面倒な奴を追い払ってしまえ、などという理由ではあるまい。親子愛の成せる業だろう。


「なるほど、今日からこれが僕の愛車というわけですね」

「やらん。王都へ行ったらお前を置いて引き返してくる予定だ」

「そうですか……。それで、後は護衛待ちですか?」


 馬車の周囲には父上と俺、それにお付きメイドのシノしかいない。昨日まで嫡男だった少年に対する見送りがたったの二人だけとは、使用人達の薄情さを嘆けばいいのかゲルドの人望の無さを嘆けばいいのか……。


「護衛ならシノがいるではないか」

「……ん? いやいや、僕より強いことは知っていますが……え?」


 実は凄い強いメイドだったというパターンなのか。そういうアレなのか。


「シノならばここらのモンスターにも後れを取ることはあるまい。護衛として十分な働きができるはずだ」


 なんと……。あの化け物じみた強さの巨大ザリガニにも勝てるというのか。

 可愛くて優しくてたまにおっちょこちょいなところもあって、あとは少し泣き虫で実は甘えん坊というのがシノのイメージだったが、そこに鬼強いという要素が加わったことによって一気にわけがわからなくなってしまった。

 というか御者台に座ってるじゃないか。そんな事までできるとは、もうスーパー万能メイドじゃん。


 そんなシノについてだが、俺を警戒していることは一目でわかってしまった。辛い。

 例の強姦未遂事件によって悪感情が顕在化したのかと思ったが、どうやらゲルドが屋敷中からはっきりと嫌われているのは元々の事だったらしい。

 俺に対して隙を見せないように、そして無闇に俺の機嫌を損ねないようにと神経を張り巡らせているようだ。

 つい先日まで俺の隣ですっかりリラックスするようになったシノを見ていたから、この違いがありありとわかってしまう。

 この状態のシノと二人で王都まで……きついぞこれは……。



 王都へ向けて出発してから早三日。俺のストレスは臨界点ギリギリに達していた。

 シノと二人になればずっと俺がベラベラとわけのわからん事を喋り倒して、シノはそんな俺を優しく見つめてクスクスと微笑みながら相槌を返して、たまに乗ってくれたりもして……そんな心穏やかになる空間のはずなんだ。


 それが今や無言。ただただ無言。シノはただひたすら前だけを見て手綱を握っている。時折話しかけても事務的な返答があるのみで、とても和やかな談笑ができる空気ではない。

 途中の休憩や宿への宿泊時には顔を合わせることもあるが、シノはずっと能面のように無表情のまま。ただただ無表情。

 一刻も早くこの荷物を送り届けて帰りたいんだと言わんがばかりに馬車はガンガン進み、ゆったり余裕を持って七日間の旅路のはずが、何だかもう明日か明後日には着くんじゃないかというハイペースで進行している。おかげで馬車の振動は激しくなり、その衝撃は俺の背中や腰にガンガン伝わってくる。もう駄目だ。


 伽藍洞の馬車の中で仰向けに転がって、呻き声のような、或いは歌のような何かを口から発する。


「あ~、あーあーあーあー」


 両手で腹太鼓をぽんぽん叩き、全身で馬鹿になって口から馬鹿を放出する。

 これが社会人になってから身につけた俺のストレス解消法だ。コツはなるべく大きい声を出すこと。


「ああああー、あーああ……あっ」


 御者台から振り返って目を丸くしているシノと目が合った。

 しまった。以前のシノなら俺の奇行にも慣れたものだったが、こっちのシノにとってはいけ好かないボンボンが急にぶっ壊れたように見えるだろう。

 別人のようなものだとわかっているのに、どうしても同じように考えてしまうのは要反省だ。気を付けなければ。


「あの……」

「気にするな。男にはこういうときもあるんだ」

「そ、そうですか」


 シノからの追及を強引にシャットアウトして話を終わらせる。

 無言の重苦しい空気がなくなったのは良いが、代わりになんか微妙に居心地の悪い空気になってしまった。

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