第8話

「――――ん?」


 あれ? 気が付けばここは……椅子に座っている?

 確かシノと抱き合って良い感じになって……その後急に椅子に座って寝落ちしたのか? あの興奮状態から? それはあり得ないだろう。

 それとも酒を大量に飲んで記憶を飛ばした……わけでもなさそうだ。

 周りを見回してもシノはいない。見慣れた自室に俺一人だ。


「んんー?」


 窓の外は暗くなっている。確かシノと抱き合っているときは良い感じに西日が差していたはずだから、時間は少し経っているのか。

 あと考えられるのは……薬でも盛られたか? シノが? 何の為に?

 そして俺の目の前のテーブルには広げられた本が一冊。これは……魔法についてかかれてある本か? 日本語で書かれているのに内容がさっぱりわからん。寝る前の俺はこんな物を読んでいたのか?


「はー。もうわけがわからん」


 さっぱりわからん以上考えるだけ無駄だろう。溜息をついて窓の外を眺めて―――王都の街が無い。


「ん? え?」


 そこにあるのは見慣れた庭だけだ。三年間過ごしてきた、ワスレーン邸の庭。

 暗くてもわかる。毎日ずっと暮らしてきた場所だ。見間違えるはずがない。


「モンスターの大群で……壊滅したはずの……」


 というかよく見たらここも見慣れた自室だ。慣れない王都の部屋じゃなく、住み慣れたワスレーン領の自室。


「落ち着け落ち着け、落ち着け俺」


 何の前触れもなくほとんど何も知らない人物に乗り移って三年間やり過ごした俺が、まさかこの程度のことで動転するわけにはいかない。

 この不可思議な現象には心当たりが……というより、ほとんど確信がある。荒唐無稽な話かもしれないが、ここがゲームの世界だと思えばどんな出来事も現実的だ。


「問題は今が何年の何月なのかだが……」


 誰か一人に話を聞ければそれで一発なのだが、あいにくともう夜も遅い。まさか誰かの部屋に乗り込んで寝ているところを叩き起こして「今は何年の何月だ」などと聞くわけにもいかない。

 夜番の護衛がいるにはいるが、あいつらに見つかったら怒られるしなあ……。


「ちょっと若いか? いや、そうでもないか? うーん……ん?」


 少しでもアタリをつけようと鏡を覗き込んだところでようやく気付いた。俺の複数のポケットがパンパンに膨らんでいる。

 何が入っているのかと手を突っ込んでみれば、出てきたのはカードの束。メイド達と興じていたカードバトルのカードだ。

 なんで全部ポケットに入っているのかはわからんが、カードがこれだけあるのはかなり直近かもしれない。


 他に何か手掛かりはないかと部屋を改めて見回すと、鍛錬用の剣がいつもの場所に二本立て掛けてあることに気付いた。

 恐る恐る木剣を手に取って軽く振ってみると、イメージと寸分違わぬ鋭さで剣が振れる。さらに剣の技は四種類覚えているらしい。


「こりゃ多分一ヶ月も戻ってないぞ……」


 なんか時間がすごい巻き戻ってやり直して全部解決だ、なんて事を少し期待してしまったが……儚い夢と消えた。

 ……いや、別にあのモンスターの攻勢は不意打ちでも何でもなかった。それ故に国が総力を挙げて戦力を整え、その上で大敗したんだから巻き戻ってもどうしようもないか。誰にどんな事を言ったところで結果には何ら影響を及ぼさないだろう。


「……寝よ」


 朝になればシノが優しく揺さぶって起こしてくれる。その時に色々聞けばいい。というかこれが実は夢で、起きたら王都のあの屋敷で目が覚めるかも―――なんて事はなかった。


 爽やかな朝日が窓から差し込んでいる。どうやら夢ではなかったらしく、ワスレーン領の自室に間違いない。

 シノはまだ来ていないようだが……起きるのが早かっただろうか?

 いつもならシノに起こしてもらうために二度寝しているところだが、今日のところはもう起きてしまおう。朝ならちょうどこの部屋の近くを誰かが掃除しているはずだ。


 ドアを開けて廊下を見回すと、少し離れたところで窓を拭いているメイドを発見。ヤツに洗いざらい聞いてしまおう……と思ったが、あんな娘いたっけ……?

 少しくすんだ金髪を腰の近くまで伸ばしている小柄な少女だ。全く見覚えが無い。はて……?


「あー、そこの……えーと、ちょっといいか?」

「はいー? っ!? な、何か御用でしょうか……?」


 振り返った少女はよく見知った顔だった。ただ、こんな警戒するような表情を俺に見せることはまず無かった。


「…………今って何年の何月何日だかわかるか?」

「えっと、新暦八八五年の二月二十一日だったかと」

「そうか。……ああ、それだけだ。じゃあな」


 聞くべきことは聞いたので踵を返してさっさと部屋に戻る。頭が混乱していてこれ以上の会話は不可能だ。

 ドアを閉め、ソファーに身を投げ出して天を仰ぐ。昨日の夜の考察は全て破棄だ。根本から間違っている。


「シェルじゃねえか……!」


 俺に対して特に懐いていたメイドの一人だ。見間違えるはずがない。ただ、髪はずっと肩の高さで切り揃えていたはずで、それが腰の辺りまで伸びているとなると……そうだ、最初は髪が長くて、ある日突然バッサリ切ってきたんだった。

 その時期が確か……いや、現実逃避はやめよう。髪の長さなんかどうだっていいんだ。


 俺の主観だとつい昨日、金を渡して別れを告げるときに号泣してずっとしがみついてきたあのシェルが……時折「いつかお妾さんにしてくださいねー」などと真顔で言ってきて俺を困惑させたあのシェルが……。

 警戒心を露わにした目、隔意をはっきり感じる受け答え……というかもう口調からして違う。


「きっつい……」


 これはぶん殴られて記憶を失った直後ぐらいか。築き上げた関係性は全てリセットだ。

 仲良くなった人全員からさっきのシェルのような視線を向けられると思うと……ああ、もう死んで良いから時間を元に戻してくれないだろうか。綺麗な思い出を抱いたまま終わらせたかった。


 日付はどうだった? 確か新暦八八五年の二月と言っていたはずだ。

 俺が王都へ逃げたあの時点で確か新暦八八八年の……三月だったか? つまりほとんど三年戻ったということになる。これはシェルの態度や髪型から推測できる時期と矛盾しない。


 しかしそうなるとあのカードの束や剣、そして剣の技に関して辻褄が合わないが……ああ、すぐに思い当たった。『強くてニューゲーム』というやつだろう。いわゆる引継ぎだ。これがゲームだというならさもありなん、といったところか。


「あの、ゲルド様」

「え?」


 俺を呼ぶ声に目を向けると、メイドのエミが所在無さげに立っていた。部屋に入ってきたことに気付かなかったらしい。

 しかしなぜエミが……いや、そうだ、この時期は日替わりでお付きが入れ替わる体制になっていたんだったか。


「本日はシノが体調不良のため、私エミがお傍に控えさせていただきます」

「そうか、わかった」


 珍しいこともあったものだ。俺のお付きに復帰してからは一度もそんな事は無かったが……ひょっとしたらシノは体調が悪くても休まず無理をしていたのかもしれない。あいつならいかにもやりそうな事だ。

 お見舞いに行ってやりたいところだが、関係性がリセットされているとなると行っても恐がらせるだけだし、そもそも隔離されているから近づくこともままならないだろう。大人しく回復を待つと…………あれ?


 エミは何と言った? 体調不良のため? 代わりに来たということか?


 となると現在俺のお付きはシノということになる。しかしお付きに復帰する頃にはメイド達の態度も柔らかくなっていたはず。特にこのカード狂いのエミは会うたびにカードバトルをせがんできたものだ。


 これらが指し示す事実は一つ…………記憶喪失する前に戻っている。

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