第7話
今日も朝から雨足は止まらず、昼だというのに外は分厚い雲のせいでどんよりと暗くなっている。
「…………はあ」
ワスレーン領から少し離れたウキャック王国の王都にあるワスレーン所縁の宿。ここに使用人を引き連れて疎開したのが三日前。
王国の人々の心情を表したかのような天気が続き、俺は未だに晴れた日の王都を見たことが無い。
宛がわれた二階の部屋から窓の外を眺めていると、廊下の方から重たい足取りの靴音が聞こえてきた。また悪い報せか……。
「シノ」
「はい」
ノックを待たずシノに促してドアを開けさせる。その向こうにいたのは予想通りワスレーンの伝令兵だ。急いで駆けつけてきたからか、全身から色濃く疲労が滲み出ている。勝手に開いたドアに面食らった様子だったが、すぐに気を取り直して俺に向き直った。
「ご報告致します。フォーグの丘での決戦にて……お味方は、お味方は……壊滅致しました……っ!」
「そうか……」
ウキャック王家が旗頭となって王国北西部を中心に国中から兵をかき集めて打って出た一大決戦。実質的に王国の存亡を懸けた戦いだったが……こうもあっさり敗北するとは。
「それで? 父上と兄上は?」
「はっ。ウカリ様アモノ様は共に、長く兵を鼓舞されて戦いましたが……最後は自ら先頭にお立ちになって……う、討ち死になされました……!」
やはりそうなったか。俺を王都へ送り出した時点でもう明らかに死を覚悟した表情だった。跡継ぎを後方に逃がせた事で心置きなく戦ったのだろう。
「ご苦労だったな。夜通し駆けてきたのだろう? 今日はゆっくり休むと良い」
「はっ、では失礼いたします」
伝令が部屋を出て行くのを見送って大きく嘆息する。わかっていたとはいえど、これはなかなか堪えるな。
「いやー、大変な事になったなあ」
「ゲルド様……っ」
「ワスレーン領はもう木っ端微塵だろうし、これからどうすっかねー」
「うっ、ううう……ゲルド様……」
シノは俯いてポタポタと涙を零している。あっちに残った人の中にも知己は大勢いただろうし、無理もないことだ。
「泣くなシノ。彼らは皆、覚悟の上だった」
「でもゲルド様が、ゲルド様のご家族が、もう……」
俺かい。俺が天涯孤独になったから泣いてるのか。
俺を想って涙を流してくれているシノには悪いが、実のところ俺は泣くほどには悲しんでいない。
三年間も世話になったのは事実だが、顔を合わせた回数もさほど多くはなく、当然血縁であるという意識も無い。俺の中では良くしてくれるオッサンと兄ちゃんという扱いだ。
とはいえ馬鹿正直にそんな事を言えるわけがないので、何かしらの方法で大丈夫だと伝えなくてはいけない。シノには泣くより笑っていてほしいのだ。
「あー……たしかに父上も兄上もいなくなってしまったが、ほら、俺にはまだシノや皆がいるだろう? だから大丈夫だ」
「っ……そんな、私っ……うううっ……」
あーあー。もっと泣いてしまった。どうしようこれ。
そうだ、ここは一つどさくさ紛れで抱きしめてみるか。慰めるのに胸を貸すというやつだ。
これまでは極力体に触れないようにしてきたがもう時効ということでいいだろう。
「ほら、シノ。大丈夫、えーと、うん。大丈夫だから。な?」
俯くシノの頭に手を伸ばし優しく撫でる。そしてそのまま胸元まで引き寄せ――と、シノの方からしがみ付いてきた。
あいにくと全く気の利いた言葉は出て来なかったが、とりあえずこれで少し待てば落ち着くだろう。
それにしても……シノは思ったより小さくて細くて、でもやっぱり男と違って柔らかくて良い匂いがして……なんでこれで俺より力が強いんだろう。いやまあ、レベルの差だとはわかっているんだが。
これは最近、というか疎開する直前に知ったのだが、俺が改心してまともな人間になるまではモンスターを倒させてはいけない、という密命が使用人全員に降っていたらしい。本来は年齢と共に少しずつレベルを上げていくものらしいが、そういった習わしも全てシャットアウトするという徹底ぶりだ。
その甲斐あって俺のレベルは恐らく未だに1のクソザコナメクジ。このおかげでシノはゲルドをワンパンKOできたというわけだ。
「ゲルド様……あの……」
「ん、落ち着いたか?」
しまった、もう終わりか。余計な事を考えずにもっとシノの感触と匂いに集中していればよかった。
「はい。ご迷惑をおかけして……その……」
「いや、気にするな。役得だったからな。何ならもう一時間ぐらい続けてもいいぞ」
「え……もうっ」
お、笑ったな。よしよし、シノはそれでいい。守りたい、この笑顔。
……ただ、守れそうにもないんだよなあ。
攻めてきたのが人間なら適当に疎開して、ほとぼりが冷めた頃に戻るなり疎開先に定住するなりすればいいんだが、攻めてきているのがモンスターの大群とあってはどこに逃げればいいやらさっぱりわからん。
大国であるウキャック王国の総力を結集した軍が鎧袖一触で蹴散らされてしまった以上、もう他の国が対処できるとも思えない。さらに北方の暗黒大陸からは追加のモンスターが次々と上陸しているとの情報もある。恐らく大陸のどこへ逃げても結果は同じだろう。一応南に行けば行くほどマシではあるが。
しかしこうしてうだうだ考えていても埒が明かない。時間の猶予もあまり無いはずだし、とりあえずやるべき事をさっさとやってしまおう。
「シノ、今から下に全員集めてくれるか。宿にいる人間だけでいい」
「下、というと広間ですか?」
「ああ。全員に大事な話がある。ワスレーン家当主として、最初で最後の仕事だ」
「……かしこまりました」
少し待って一階の広間に降りると、かつてワスレーン邸で働いていたメイドや執事、護衛やコック等といった使用人達が沈痛な面持ちで俺を待っていた。
先ほどの知らせを聞いているのだろうな。話が早くて何よりだ。
「待たせたな。今後について大事な話があるので、少しの間聞いていってほしい」
人数は……二十二人か。かつての半分以下になっている。その分こちらが楽になるにしても、やはり寂しさは拭えない。
「さて、既に知っている者もいると思うが、ウキャック軍はモンスターの大群と戦い……敗北したらしい」
居並ぶ面々に動揺は見られない。全員が既に知っているか、或いは予想していたのだろう。
「父上も兄上も戦死した。そしてワスレーン領もかなりの被害を……いや、まず間違いなく蹂躙されているだろう。仮に復興するにしても遥か遠い未来の話となる。つまり、ワスレーン家は終わりだ」
ちらほらとすすり泣く声や呻き声が聞こえる。長年仕えていた家が無くなるとなれば、ショックを受ける者も出てくるか。
「さ、というわけで終わった家の使用人は全員解雇だ。何せ給料を支払うための収入が無くなったからな。よってここからは各々自由行動だが、とりあえずは南へ逃げるのを勧めるぞ。この王都もあまり長くはもたないだろうから、なるべく早く逃げるように!」
あら、急に静かになってしまった。意外だったんだろうか。
「一応支度金みたいなものは用意したからな。それなりの金額だからしばらくはどうにかなると思う。ただ物価が急激に上昇するだろうから、なるべく早く物資に換えるように。以上!」
言うべき事を全て言った俺は、涙を流して別れを告げる使用人達にまとまった金を渡していく。
父上や兄上と違って使用人達とは長い時間を共に過ごしてきた。特にメイド達との別れとなるとさすがにこちらも涙ぐんでしまう。
号泣するメイド達につられて溢れそうになる涙をなんとか堪えつつ、その場にいた全員に金の分配を終えたところで自室へ戻る。とりあえずこれで最低限の責任は果たしたといっていいだろう。
「どうしてこうなった……」
ベッドに仰向けになってぼんやり考えるが、当然さっぱりわからない。こんなイベントはゲームにあっただろうか。
どこかで主人公が颯爽と現れて奇跡の大逆転を起こしてくれることを期待しているんだが、一向に現れる気配が無い。
既に人知れずどこかで死んでいて、これは人類滅亡ENDってやつなのだろうか。
いやー、脇役には関係無いと思って完全に油断していた。まさか国ごと、或いは大陸の人類を丸ごと根絶やしにする規模のストーリーがあったとは。
と、まだ見ぬ主人公の不甲斐なさに失望していると、控えめにドアをトントンと叩く音がする。聞き慣れた音だ。
「どしたー?」
「失礼します」
ドアの向こうにいたのはやはりシノ……だがちょっと思い詰めた表情をしている。何だか嫌な予感がするなあ。
「その、お訊ねしたいことがあるんですが……」
「んー? なんだなんだー?」
「……ゲルド様はいつお逃げになるんですか?」
「…………そうだなー、明日かー、明後日かー。うん、そんな感じだな。シノはどうするんだ?」
「私も明日か明後日か。そんな感じです」
ああうん、そういうアレね。そうかそうか。というかちょっと怒ってないか? 超絶美人が怒ったら超絶恐いんだが。
「わかったわかった、正直に言おう。俺は逃げるつもりは無い。だから俺のことは放っておいてさっさと逃げておけ」
「……どうして逃げて下さらないのですか」
「どうしてと言ってもな。これからまた伝令が来るだろうから誰かいなきゃいけないし、逃げたところで助かる可能性は低そうだし。あと逃げるの大変そうだし」
って、あーあー。また泣かせてしまった。
それでもここは有無を言わさず速やかに逃がすべきなのだろうが、どうせ逃げたところで助からないなら最後まで意思を尊重した方が良い気もするな……。
「シノ」
「嫌です」
「…………そうか、じゃあ死ぬまで一緒にいろ」
「っ、はい」
今度はシノの方から胸に飛び込んできた。……んん? いつの間にか雨があがって夕日に明るく照らされて……なんだか良い雰囲気じゃないか?
いやしかし、最初のアレがあるだけにここは慎重に……しかしこの千載一遇のチャ――――
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