第4話
「遠ざけると言った直後にシノを大声で呼びつけるとは……どうなっているんだお前は」
「いや、面目ない……。血まみれのベッドを見て気が動転してしまい、ベッドメイクといえばメイド、そしてメイドで名前を知っているのがシノだけだったものでつい……」
「…………はぁ」
シノに血まみれのベッドをどうにかしてもらい就寝した翌朝。
顔を合わせるなり叱責してきた父上を見送った俺は、早速暇を持て余していた。
大人しくしておけと改めて釘を刺されたものの、そもそもやる事が何一つ無い。
ネットも無ければゲームも無い。漫画も無い。映画もテレビもあるわけない。夢のニート生活だと浮かれていたが、これではただの広い監獄だ。
一応暇潰しの王たる本があるにはあるのだが、それは知識の蒐集や体系化を目的とした、要するに学術書のようなものばかりで娯楽とはかけ離れたものだ。到底読む気がしない。
朝飯を食って、本を物色して絶望し、昼飯を食って。
「あー……暇だー……」
すでに俺は生ける屍と化していた。死因は暇。
今は少しでも健康的な屍になろうと、庭でぼんやり日向ぼっこをしている。
「何だその腑抜けた面は」
「あー……あ?」
どうやら俺が声をかけられたらしいと目を向ければ、そこに立っていたのは貴公子。
とはいえよく見れば貴公子といっても雰囲気だけの……いや、こいつはゲルドのような紛い物とは違う、本物の貴公子だ。
ゲルドと父上に似た面影があることから、こいつが恐らく俺の兄なのだろう。
「…………」
「…………」
なんだこいつ。自分から話しかけてきたくせに何も言わない。ただじっと俺を見ている。
「……嫌味の一つも言ってこないとは……ゲルド、本当に記憶が無くなったのか」
「ああ、そうですね。えーと、そういうあなたは……僕の……兄ちゃん? 兄貴? 兄上?」
「なっ!? や、やめろ気持ち悪い! 何が兄ちゃんだ!」
呼び方がわからないので適当に数を撃ってみたら、これが兄にはクリティカルだったらしく、物凄い形相で素早く距離を取られてしまった。兄ちゃんは駄目か。
「はあ、では兄上でよろしいですか?」
「……ああ、ずっとそう呼んでいたからそれでいいだろう。……それで? 貴様はこんなところで何をしている」
「日向ぼっこですね。暇を持て余しています」
「ひ、暇だと……貴様それでも……いや、そうか。記憶が無いのか」
「ええ、何をしていいのかわからず、何もすることが無い有様です」
「フン、それなら鍛錬に励めばよかろう。貴族男子たるもの、日々の精進は義務のようなものだ」
「たんれん、ですか」
たんれんたんれん……鍛錬か。なるほど、己を鍛えろというのだな。
たしかに時間と体力を持て余した若い男のやることといえば自慰行為か筋トレと相場は決まっている。理に適った提案だ。
「ふっ、ふっ、ふっ」
「……何をしている」
「スクワットです。兄上の仰る通り鍛錬に励もうかと」
「なんだそれは。貴様鍛錬の仕方も……ええい、少し待っていろ」
そう言って兄上はどこかへ去って行ってしまった。何なんだ?
しかしあの兄上もどこか苦労人気質というか……振り回され体質のようなものが窺えた。面倒見が良いせいで割を食ってるようなタイプの御仁かもしれない。
とにかくあんまり悪い人ではなさそうな印象だ。
仲が悪いということだったが、ゲルドが会う度に何かしらの嫌味を言っていたらしいことが原因だろうか。だとするなら今後は関係を改善する余地があるかもしれない。
そんな事を考えながら日向ぼっこを再開していると兄上が小走りで戻ってきた。のんびり歩けばいいのに生真面目な人らしい。
そしてその手には……剣だ。鞘に納められた剣を持っている。
「ほら、これを使え」
「これは……?」
「剣だ。これで素振りを……ええい、手本を見せてやる」
さすがに剣はわかるし素振りもわかるが、それより兄上の素振りだ。
重たそうな金属の棒である剣を上段に構えて振り下ろす。上段に構えて振り下ろす。
ただそれだけの動作なのだが、剣が風を切る音が聞こえて来るというのは……なかなか鋭い剣筋のように見える。こんなものを脳天にくらってしまえば、記憶どころか命そのものが消えてなくなるに違いない。
「こんなところか。同じようにやってみろ」
剣を受け取ると、思った以上に重量があることに驚く。重いだろうと思ってはいたが、これを振り回すとなると大変だ。
そして間近で見るとその存在感に気圧される。これが人の命を直接奪うための道具。この存在感は……これまで数多の血を吸ってきたが故のものか。
「それは訓練用のなまくらだ。刃も潰してある。雑に扱っても構わんぞ」
剣を恐る恐る受け取ってまじまじと眺めていたからか、兄上はまるで俺の心を読んだかのように心無い言葉を投げかけてきた。
血ではなく汗を吸ってきた代物だったか。それはそれで、別の意味で曰く付きだ。
「おっも……うぬぬぬ、ふん! ぬおおお!?」
早速見た通りにやってみたが、振り上げから振り下ろしまでは良くても、その振った後が止まらん。これをピタッと止めるのはもう人間業じゃないだろう……。
「初めてならそんなものか。だが、毎日続けていればいずれ見違えるようになるぞ」
「はあ……」
その後兄上は、この剣は訓練所から持ってきたものだが俺の物にしていいこと、しかし部屋の中で振り回さないこと等の安全に関する注意事項をつらつらと述べて立ち去っていった。俺を何だと思ってるんだか……分別のない糞ガキか。ううむ。
「ふぬぬ、ふっ! むむむむ、ふん!」
改めて素振りを再開してみるが、これはどう見てもへっぴり腰でへろへろの剣だ。これがあの兄上のような鋭い剣捌きになることがあるとは到底思えないが……まあ暇だし続けてみるか。
しかしこれで一日中暇を潰せるかというと、当然無理がある。いくらなんでも肩や腕の筋肉に限界が訪れるだろう。
仮に午前をこれで潰すとしても、まだ午後が丸々残っている。
「うーむ……」
うーむなどと言って悩んでいるフリをしているが、本音を言えばやりたい事は決まっている。
人だ。人と会話したり、なんか遊んだりしたい。
というかメイドだ。メイドと仲良くなりたい。
なんせこのワスレーン家の屋敷には、今まで確認できただけでも十人以上のメイドが働いている。昨日見た一号二号はほんの氷山の一角に過ぎなかったというわけだ。
他には甲冑を着たむくつけき猛者たちや、燕尾服を着た執事のような人たちも敷地内を徘徊しているようだが、彼らとはあまりお近づきになりたくない。というか受け答えが堅すぎて息が詰まりそうになる。
つまり残されたのはメイド。それも明るくて気さくで可愛い娘なら言う事無しだ。
「どうしたものか……」
どうしたものかなどと言って悩んでいるフリをしているが、悩んだところでどうにもならない事もわかっている。
何せ俺は昨日そのメイドの一人を強姦しようとした男なのだ。こちらがどれだけ歩み寄ったところで、メイドたちはその分離れていくだけだろう。
記憶を失ったことは周知されているだろうから、あとは日々コツコツと俺の安全性を証明し続けるしかない。
そうして決意した俺に転機が訪れたのは、それから二週間が経過した日のことだった。
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