第3話

 爺さんに案内されて薄暗い屋敷を歩く。どうやら今は夜だったようだ。人気もなく物静かで少々不気味だが、そんな事より無駄な豪奢さや屋敷の広さが気になって仕方が無い。

 所々に配置された石像やら壺やらはどれほどの値打ちの物だろうか。更に廊下に敷かれているフカフカのクソ長いカーペットは一体どうやってこんな物を……。

 とにかく見たところワスレーン家はかなり裕福な暮らしを送っている。これは朗報だ。穀潰しを一人養うだけの余力は十分あるに違いない。

 そうやって将来のニート生活に思いを馳せていると、父親のおわす書斎らしき部屋に辿り着いていた。


 両側の壁に据え付けられた本棚には、何らかの本や冊子等がびっしりと詰まっている。

 そして正面にはいかにもお高そうな重厚感のある机と椅子。そこに腰掛けてこちらを鋭い眼光で睨みつけているのが恐らく当主、父親だろう。

 金髪をゆったり七三にわけた貫禄のあるナイスミドルで、おおよそ四十代の働き盛りといったところか。これがゲルドの父親というわけだな。

 呼ぶなら何だろう……父上でいいか。おい親父、などと気軽に呼ぶ間柄ではないだろう。

 さらに部屋の隅には先ほどのメイド一号二号、シノと名も知らぬ女の子が静かに控えている。


「来たか。ゲルドよ、何か申し開きはあるか?」

「へ? ……ああ、記憶が無くなってしまったようで。色々とご迷惑をおかけします」


 唐突に申し開きと言われても何を言えばいいのかわからん。とりあえず将来的に記憶のことでクソ迷惑をかけることは確定しているから、それについて予め謝意は見せておこう。

 そんな思いから多少畏まってみたのだが、お父上の顔がさらに険しくなった。どうやら失敗したらしい。


「なんだその態度は……いや、記憶だ。本当に記憶が無くなったのか?」

「ええまあ。残念ながら何一つ覚えていません。それで、あなたは私の父親という事でよろしいので?」

「ぐっ……本当に……! というか何だその慇懃無礼な話し方は……!」

「あー、いえ。失礼しました。見知らぬ父親を相手にどういった接し方をすればいいのかわからず」


 クソ生意気な人格だっただろうから、父親に対しても多少舐めた態度を取っていたが、そんな俺のゲルドプロファイリングは失敗していたようだ。父親に対しては普通に畏まっておくとしよう。


「はあ……ワスレーン家の次期当主たる者が、メイドに無理矢理手を出そうとした挙句に反撃されて昏倒するとは……なんという体たらくだ……」


 父上は片手で顔を覆って嘆いている。馬鹿息子に振り回される憐れな父親といった様相だ。

 うーん、見た感じ厳しめの人だと思ったが、これは案外甘い人なのかもしれん。多少の無茶な我儘はため息をつきながら渋々呑んでくれそうな気がする。


「おい、お前の事だろうが、何をボケッと……そうか、その記憶も無いのか……」

「あ、私の事でしたか。えーと、心中お察しします……?」

「こ、こいつ……!」


 あ、駄目だ。父上の顔が怒りで茹ダコのようになってしまっている。

 しかしどうも……いかんせん目が覚めたらこうなっていたわけで、それ以前のゲルド君のやらかしについてあれこれ怒られても正直ピンと来ないというか、どうにも当事者意識を持ちづらいところがある。


「はあ……もういい。しかし記憶が無いとなると、予定していた進学については白紙でいいな? その辺りのことは記憶が戻ってから検討すればいいだろう」

「進学ですか。ええ、記憶を失ったことで何か失敗を仕出かさないとも限りませんし、とりあえずはここで療養させて頂きたいなと考えております」


 進学とかある世界観だったのか。たしかにゲルドならちょうどその辺りのお年頃だ。

 そして父上の態度からは、元々進学に反対していたような強引さを感じる。やんちゃ坊主を外に出すのが不安だったのかもしれない。


「記憶が戻った方が何か仕出かしそうではあるが……まあいいだろう。ならばあとは……シノについてだな。ミハエル、どうする?」

「はっ。今回の一件は酌量の余地はあれど、主家に対してあるまじき行いを……」


 ミハエルって何だと思ったら、俺の後ろに控えていた爺さんが進み出てきた。そんな名前だったのか爺さん。


「しかしなあ……咄嗟のことだったし、殴りたくなる気持ちもわからんでもない」

「そうだとしても、よもや記憶を失うほどの……。せめて突き飛ばすなり何なり……」


 うーん? ミハエル爺さんは厳しめの沙汰を下すつもりなのか、或いはそういうポーズなのか。

 対して父上はシノに同情的だ。しかし殴りたくなる気持ちがわかるのはどうなんだろう。実感が篭っている気がする。


 そうやってあれこれと話合っている間、当人のシノはというと部屋の隅でまたしても顔を青ざめさせている。自分の処遇をまさに目の前で決められようとしているのだ。気が気ではないだろう。


 シノの身長は隣に立つメイド二号と同じぐらいで、高くも低くもないといった塩梅か。しかしメイド服の上からでもわかる線の細さから、全体的にはスラっとした体型と言っていいだろう。

 少しくすんだ灰色の……アッシュグレーの髪をシニヨンにまとめ、顔立ちもどちらかと言えばクール系で、いかにもできるメイドさんといった印象だ。

 しかしゲルドと同年代だということがわかる程度にはあどけなさも残されている。年齢は十代後半。


「さすがに領外追放というのは……たかが一発殴ったぐらいで……」

「しかし他の罰と言いましてもなかなか……それに一歩間違えば命の危険すら……」


 シノの隣に立つメイド二号もそれなりに美形なはずなのだが、シノが圧倒的すぎて霞んで見えてしまう。とんでもない可愛さだ。

 そして今オッサンとジジイが、そんな美少女を追放するだの何だのと不穏な話し合いをしている。とんでもない事だ。

 しかし俺が積極的に庇い立てするわけにもいかない。立場的にもどうかと思うし、記憶が消えているとはいえついさっき性的な意味で襲い掛かったばかりだ。別の意味に捉えられてしまうだろう。

 何かこう、それなら追放しないでおこうと考え直せるような良い建て前はないものか……。


「ゲルド、お前はどう思う?」

「へ? わた……僕ですか」


 話を振られることを全く想定していなかったため、素で返事をしてしまった。今さらだが相応しい一人称は僕でいいんだろうか。


「一応直接被害を受けたのはお前……いや、加害……まあとにかく、お前の意見はどうなんだ」

「意見といっても、殴られた記憶もありませんし特に思うところはありません」

「ふむ、そうか」


 ああくそ、このままだと発言の機会を無駄に消費してしまう。今すぐ何か良い感じの事を言って、どうにかあの超絶美少女を屋敷から放逐させないようにしなければ……!


「えー、ただ……そうですね。殴られて記憶を失った後で出てきた僕という人格の視点なのですが、僕が生まれたのはそこの……シノが僕を殴ってくれたからであり、つまり……えー、彼女は僕の母、そう、母も同然なのです。なのでどうか寛大な処分をお願いしたく……」

「…………何を言っているんだお前は……」

「ん、いや。例えです。あくまで例えの話です。ただ、やはり生まれて初めて見た人物が彼女なものですから、追放などされると僕も付いていきかねないと、その様に思っています」


 咄嗟のことだったので若干無茶苦茶な事を言ってしまった気がするが……どうだ? 一応理屈は通って……ないなコレ。駄目だわ。

 父上は頭を抱えて唸っている。そりゃそうだ。しかし言ってしまったものはしょうがない。なるようになれだ。


「あー……ゲルドよ。仮にシノの罪を問わないとしてもだ。経緯が経緯だけに、今後シノをお前に近づけることは無いが……それはわかっているか?」

「それはもちろん。僕が何かしたという記憶はありませんが、僕の外見だけでも彼女の負担になるだろうとは理解しています」

「ならいい。シノは罰こそ無いものの、ゲルド付きを解任とする。ゲルドもそれでいいな?」

「あ、僕付きのメイドだったのですか……ええ、わかりました」


 何てことをしてくれるんだゲルドめ。大人しくしていればシノから世話を……いや、手を出さなければ俺が乗り移ることもなかったのか。グッジョブだゲルド。


「なら今日はここまでだな。夜も遅い。各々部屋に戻って休むといい。ゲルドはしばらく療養せよ。そして早く記憶を取り戻……いや、うむ。しばらくのんびり過ごすと良いだろう」

「あ、はい……」


 実の父親から記憶が戻らなくてもいいと思われているとか、どんな事をしていたらそんな事になるんだ。

 まあそれはともかく、無駄に疲れる話し合いの甲斐あって、何と無期限ダラダラ権を獲得。さらにシノの放逐阻止という最上の結果に至ったことを喜ぼう。

 あとはとにかく部屋に戻ってぐっすり眠って、今後のことはまた明日に――


「ってベッドが血まみれじゃねーか! し、シノ! シノー!」

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