第2話

 部屋の中の全員で呆然としていると、真っ先に正気を取り戻した爺さんはメイドを連れて慌ただしく飛び出して行った。ウカリなる人物へと報告に行くらしい。

 残された甲冑男は直立不動で待機している。見張りということだろうか。

 色々質問したいことはあるが、それより先にやっておくべきことがある。


「ふーむ、これが俺の顔か……」


 意を決して壁に据え付けられた鏡に近づくと、そこには俺とは似ても似つかない貴公子然とした少年の姿があった。

 いや、貴公子というにはちょっと微妙か……目付きも悪いし。雰囲気貴公子だな。


 しかし、これでほぼ確定してしまった。

 俺はどうやらゲルドなる人物になってしまったようだ。この場合は憑依という言い方が相応しいか。

 元の俺はずっこけて頭を打って死亡。そして頭をぶん殴られたゲルド少年に乗り移った。そんなところだろうか。

 俄かに信じられる出来事ではないが、実際にそうなってしまっているのだから受け入れる他ない。


 あなたは今日からゲルド君です、と言われてもはいわかりました、とはならない気もするが……家で頭を打ったときに死を確信してしまったせいだろうか。別人になるとわかって困惑するよりも、もう一回人生できてラッキーじゃんという気持ちが強い。


 差し当たって今後どうするかだが、これはもう記憶喪失ということにする以外に道は無いだろう。なんせ実際何も知らないのだから実質同じようなものだ。

 そうなると……態度は少々偉そうな感じにした方が良いかもしれない。

 周囲の態度から察するにゲルド少年は恐らくそれなりに偉い立場にある。ボンボンというやつか。

 幼少期からゲルド様ゲルド様と傅かれていただろう少年が、記憶がなくなったからといって慇懃な態度を取っていては不自然極まりない。

 まさか別人が乗り移っていると看破されるとは思わないが、先ほどのペフなる魔法のような何かを見ると絶対に無いとは言い切れない。用心に用心を重ねるぐらいで丁度良いだろう。


「ふーむ……うーん?」


 ずっと鏡を見ながら考え事をしていたが、自分の姿を見れば見るほど何かが引っかかる。

 この顔、というかビジュアルは何か見覚えがあるような無いような……。


 中途半端に伸ばされた金髪。そこそこ整っている顔立ち。しかし目付きが悪く爽やかさは微塵も感じられない。

 さっきは貴公子然と思ったが、どちらかというと権力を笠に着たいけ好かない小物といった印象を受けるような……。


 いけ好かない……ゲルド……。ペフ……。豪商……いや、貴族……? 貴族のゲルド……。


「あ」


 思い当たった。思い当たってしまった。貴族、ゲルド。そしてペフ。ゲームだ。ゲームの世界だ。そうだ、回復魔法の名前が変だったことは印象に残っていた。


 タイトルは、そう………………何だっけ。


 あれ、おかしいな、全然思い出せない。シノちゃんにぶん殴られた衝撃で忘れたか……?

 生前の俺が死ぬ直前に、というか死んだ瞬間も手に持ってたアレだ。確か……何とかレジェンド? いや、エターナル……違う、レジェンド何とか……とにかくアレだ。


 キャラクターは主人公を含めてほぼ全てを綺麗さっぱり忘れているが、ミリーとゲルドだけは覚えている。

 シナリオも全く記憶に無いが、ゲルドがミリーを誘拐して監禁することだけは覚えている。

 何せ数多のエロ同人でミリーを犯す竿役こそが、このいけ好かない面をした貴族のゲルドだ。嫌がる聖女ミリーを薄暗い地下室で拘束してあんな事やこんな事を……ってそうじゃない。というか――


「……お、お、俺がゲルド!? よりによってゲルド!?」

「ゲルド様!? お気を確かに!」


 伝説の竿役になってしまったことに思わず叫んでしまい、甲冑男に羽交い絞めにされるがそれどころではない。

 何せゲルドは……そう、竿役なら美味しい思いもできるからまだマシなんだ。

 実際は何かしらの悪巧みをするも主人公に撃破されて……多分死ぬ。それだけのポジションだった……はず。確か例のミリーの記事でそんな事が書いてあったような……気がする。

 いや、この際ゲルドがどうこうはもう関係無い。それよりもっと大事な事がある。


「せめて覚えてるゲームにしろよ……! さっき見たばっかりなのに……それでもタイトルすらはっきりしない! 何にも覚えてねえ!」

「ゲルド様! どうか、どうか! 落ち着いて下さい!」

「右も左もわからないままじゃどうやって……痛っ、ちょ、痛い痛い! わかった! わかったから! 落ち着く! 落ち着いた!」


 この大男、ゴツゴツの金属の鎧を着たまま羽交い絞めにして、さらに落ち着かせようと強く拘束しやがる。甲冑の角で背骨をゴリゴリされてはもう考え事どころではない。

 そうしてしばらく悶絶した後に解放されたが、もう騒ぐ気力も無い。というか目を覚ましてから色々ありすぎて、平静なようでいてずっと気が動転していたのかもしれない。

 落ち着いて考えてみれば、そもそも誘拐さえしなければいいだけの話だ。シナリオがわからなくても脇役であるゲルドには何の関係も無い。

 主人公が魔王を……魔王だっけ? とにかく冒険して何らかのラスボスを倒すのをこの屋敷でのんびりと待ち続けていればいいんだ。


「あー……それで、えー……名前。なんて名前なんだ」

「名前……? あ、ガッソと申します」

「うん、ガッソね。色々聞きたいことがあるんだが」

「はっ、何なりと」


 うーん、お堅い。

 俺は疲れているのもあってだらしなくソファーに座りながら話しているが、対するガッソはまたしても直立不動。

 恐らく三十歳前後であろう巌のような大男に畏まった態度を取られると、まるで俺が偉くなったような気がしてくる。

 勘違いして調子に乗らないように気をつけ……いや、多少は調子に乗った方が良いのか。ガッソからは俺の態度に違和感を覚えている様子は見受けられない。これぐらいを標準にしよう。


 そうして爺さんが戻ってくるまでの間に聞き出したのが、まずは俺自身。ゲルドについてだが……。

 聞き出せたのはワスレーン家の次男であること。これだけ。それ以外の特技や趣味、交友関係等のパーソナリティは何一つ知らないとのこと。

 次いでワスレーン家とやら。王国北西部の肥沃な平野を領する、かなりの力を持った貴族のようだ。

 家族構成は父、継母、兄、そして俺。俺の実母は数年前に病死したらしい。そして姉もいるようだが、これは二年ほど前に嫁に出たとのこと。


「なるほどな……まあ、兄がいるというのは朗報だな。俺はのんびり過ごしていいわけだ」

「……それは……まあ……その」


 何を聞いても立て板に水のようにハキハキ答えていたガッソが、ここへきて急にしどろもどろになってしまった。

 正直聞きたくはないが、さすがにこれは知っておかないとまずいだろう。


「……何かあるのか」

「いえ……次期当主は今のところゲルド様ということに……なのでのんびりとは……」

「んん? 兄の健康状態が悪いとか、何かしらの事情があるのか」

「いえ、兄君のアモノ様の……えーと、母君の立場が、その……」

「あー……わかった。そういうアレね」


 ガッソの立場上、答え辛い話だったか。兄が妾腹の生まれとか、そういう感じのアレなんだろう。


「なあガッソ。もしかしてなんだが、俺と兄は仲が悪かったりするか?」

「それは何とも……私の目からは、その、仲睦まじいとは言い難い様子でしたが……」

「うっへ」


 何と無しに兄との仲についても聞いてみると、ずっと俺を直視していたガッソがサッと顔を背けてボソボソとはっきりしない返答をしてきた。もうこれだけで大体わかってしまう。なんて面倒な……。

 うんざりしながら兄とエンカウントしたときの対応を考えていると、部屋の外から足音が聞こえてきた。爺さんが戻ってきたのだろう。


「ゲルド様。ウカリ様が、ご当主様がお呼びです」

「……おう」


 お父上とのご対面だ。行きたくねえ……。

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