第2話 フィールドワーク

 多くの学生たちとすれ違いながら、学内の片隅に存在する小さなコンクリートの建物へと向かう。


 四角い窓と扉がついた二階建ての簡素なそれは、ガラス張りの美しいキャンパスの建物と比べると明らかに浮いていた。下手をすれば倉庫と間違われそうだ。


 分厚い引き戸の扉を開けて、すぐ目の前にある階段を登っていけば、磨りガラスが嵌められた見慣れた緑の扉がある。

 そのドアノブに手をかける直前。珍しく内側から扉が開かれた。


 顔を覗かせた部屋の、というよりこの建物の主である麻生の美しい顔を見て、樹は思わず感嘆の息を吐く。


「なんだ、人の顔を見るなりため息ついて」


「いや、そろそろ貴方の顔面は国宝として登録されるべきではないかと」


「私の顔面を剥がして国宝にする気か?」


「貴方の美しいかんばせなら、どんな条件だろうと誰であろうと、国宝として認められると思いますが」


 答えた瞬間、麻生は疲れ果てたように大きなため息をつく。自分から聞いてきたというのに失礼な人である。まあそこも良いのだが。


 そんな樹の考えを知ってか知らずか、麻生はボサついた髪をくしゃりと掻き混ぜて部屋から出る。


「お手洗いですか?」


「フィールドワーク」


 間髪入れず返された言葉に樹は目をぱちぱちと瞬かせた。


 この人がフィールドワークとはまた珍しい。

 勝手ながら、専門にしている学問的にずっと資料などと睨めっこしてそうなイメージを持っていた樹は、白衣の裾を靡かせる長身を足早に追いかける。


「なに?」


「いえ、フィールドワークなら、いえ、そうでなくても出かけるのであればご一緒したいなと」


 訝しむような視線を受けながらも、樹は動じることなく答えた。

 それに対して、少し考えるように沈黙した後、麻生は頷く。


「好きにすればいいさ。私はどちらでも構わない」


「では」


 許しを得たので二人揃って校門から出ていく。途中で学生たちがチラチラ二人を見ていたが、当の本人たちはまるで眼中にないと無言で進んでいく。


「どこに行くんですか?」


 樹はふと問いかけた。もし遠出をするならATMに寄ってお金を下さなければならないと思ったからだ。


 そんな樹の僅かな不安に対して、麻生は「さあ」と首を傾げた。


「とりあえずは地脈の調査だから」


「地脈?」


 初めて聞く単語に対しておうむ返しになった教え子に、麻生は今思い出したというように一人頷いた。


「まだ説明してなかったか」


「はい」


 肯定する教え子に教授である麻生は「では野外講義だ」と人差し指を立てた。


「この世界には二つの脈がある」


「二つの脈、ですか」


「そう。大地のエネルギーの流れである地脈。そして宇宙のエネルギーの流れである天脈だ」


 麻生の人差し指が、それぞれコンクリートの地面と日が傾き始めた青空を指す。


「魔法使いと呼ばれる人種は、この二つの脈からそれぞれ、大地のエネルギーと宇宙のエネルギーを汲み上げて使うんだ」


 麻生の、側から見ればいったいどういう漫画の話をしているのだろうと思われかねない言葉に樹はすんなり頷いた。


「魔法使いですか。いるんですね」


「随分あっさりと信じるな。まあ、そっちの方が楽でいいけど」


「ええ。だって、それを研究するのが貴方の学問でしょう」


 そう、この教授が受け持つ学問は、学問なのだ。


 文化的、歴史的な魔法研究ではない。

 極めてな魔法研究だった。


「だったら、あるという前提で話しますよ。俺は貴方のゼミに通う唯一の学生なのだから」


 唯一を強調しながら言えば、麻生はうんざりしたように肩を落とす。


「私は認めてないんだけど」


「半分は認めてくれてるでしょう。でなければ、貴方はわざわざ講義なんてしない」


 そこまで言えば、彼は図星を突かれたのか黙り込んでしまった。


「ね?」


「……地脈の話に戻そうか」


 あからさまに話を逸らされたが、特に気にせず耳を傾ける。

 形のいい唇から、男とも女ともつかないアルトボイスが流れ出し、つらつらと知識を奏で始めた。


「地脈というのは大地の血管だ。基本的に流れが変わることはないし、変わったらそれは何かが起きている」


「何か?」


「大地のエネルギーの流れが変わってるってことだからな。災害が起きる可能性もある。だから、定期的に調査するのが望ましい。普段はその土地を魔法的に管理してる人たちがやるんだけどな。今、この土地の管理者不在だから」


「それはまたなぜ?」


 樹の問いかけに麻生はスパッと「死んだから」と答えた。


「死んだんですか」


 樹の確認するような問いかけに麻生は頷く。


「誰かに殺されたっぽいけど、誰かはわからないらしい。多分、忍者じゃないかって」


 忍者――一瞬面食らうが、よくよく考えたら魔法使いがいるのであれば忍者だっていてもおかしくないだろう。


 しかし、やはり少し信じられない自分がいることも事実で、樹は思わず麻生の横顔を覗き込む。


「忍者、いるんですか」


「いるな」


 あっさりした返事に、樹は世界の広さを感じる。

 意外と世界で目撃されたり、いる・いたと言われてるような存在は実在しているものなのかもしれないと、そう思った。


 ……まあ、自分も人のことは言えないのだが。

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