麻生教授の魔法考古学

Ayane

第1話 麻生 真那という人物

「見立て、というものを知ってるか?」


 男なのか女なのか。目で見ても口を開いても判別ができない美しい人は、教卓で何やら作業しながら開口一番そう言った。


 彼――便宜上、彼と呼ぶ――が唐突なのはいつものことなので、いつきは教室に入って扉を閉めつつ、その話を聞くことにする。


「古来より、人類は魔法や呪術を使う際に何か別のものを対象に見立てることで対象に干渉してきた。これを類似の法則といい、それを用いて使われる魔法を類感魔術、あるいは類感呪術と呼ぶわけだ」


「丑の刻参りとかでしょうか」


 樹の言葉に、その通りだと彼は頷く。

 目配せをすることもなく指先を机の上で動かすその姿を見て、樹は少しばかり眉間に皺を寄せた。が、そこから特になにをするわけでもなく、いくつも並んだ机の中から、自分がいつも座っている教卓前の席に荷物を置く。


 いつも使っている電気ケトルのスイッチを入れて湯が沸くのを待つ間も、彼はまるでこの教室に他にも学生がいるかのように話し続けていた。二人しかいないはずの教室で、彼は何を見ているのか。


「人に干渉する黒魔術や呪術において、基礎の一つとなるのがこの類似の法則だ。基礎というだけあり、これを用いた魔術は太古の昔から現代に至るまで、決して変わらず強力な効果を発揮する。それは魔法や呪術といった存在を忘れ去った現代においても、我々の生活に深く根付くほどに」


「生活に?」


だよ」


 ひな祭り――口の中で復唱する樹に彼は満足そうに口角を吊り上げると、折り終わった赤い鶴を指先で摘み上げた。


「ひな人形の由来の一つは人形に自らの穢れを祓ってもらい、その後は海や川へ流す『流しびな』。それが当時の貴族の子どもたちが遊んでいた『ひいな遊び』と結びついて、今のひな祭りとなったんだ」


 くくっ、と笑う彼はグレーのキュロットを靡かせて教卓から離れると、樹の隣に立つ。

 そして摘んだ赤い折り鶴を差し出してきた。


「人形を人に見立てて、ほら、これも立派な類感魔術」


 樹が手のひらを広げると、鶴がぽとりと落ちてくる。

 手渡されたそれをしげしげと眺めて、樹は静かに頷いた。


「なるほど、わかりました。それで、これは教授から俺へのプレゼントということで良いですね?」


 にっこりと微笑んだ樹に、彼は何を言ってるんだとばかりに呆れた視線を向ける。


「いや、ただのゴミだから捨てといて」


 その一言に、樹は首を横に振った。


「捨てませんよ。教授からのプレゼントは珍しいので全て取っておいてあります」


「全ては嘘だろう」


「いいえ、全部取っておいてありますよ。飲み終わったジュースのペットボトル。ガムの銀紙からたぬきの置物まで全部」


「怖いんだけど」


 すすす、と距離を取られたことに少しだけ寂しさを感じつつも、樹はその折り鶴を大切にカバンの中にしまった。


 ◆


 麻生あそう真那まな教授といえば、この聖応大学においては良い意味でも悪い意味でも有名な人物である。


 さて、いったいどういうことかと聞かれたらまず、良い意味で有名なのは男女問わず、美しいと評されるその容姿にあると学生たちや講師陣は口を揃えて言うだろう。


 少し癖のある黒髪を雑に結った三つ編みをハーフアップにしているところから、最低限おしゃれはするようだが、ぴょんぴょん跳ねる髪から本質的には無頓着なことが伺える。しかし背が高く、線の細い顔立ちとしなやかな体躯は男とも女ともつかない中性的な美という印象をこちらに植え付けてくるのだ。


 百人中九十九人は確実に彼を美人だと言うだろう。

 その証拠に、女子は彼を見ればキャーキャーと騒ぎだし、男子もその美貌にごくりと唾を飲む。

 ……黄色い悲鳴はいいが、邪な心を持って見たやつは是非ともその目を潰して差し上げたいので、今すぐ自分の前に並ぶといいと樹は思っている。


 次に悪い意味だが、彼は大学教授である。しかし、受け持っている学問がなんなのかは『わからない』のだ。


 大学に教授として席を置いている以上、彼はなんらかの学問の専門家であり、またそうでなければならないというのは至極真っ当な考えである。


 しかし、それがわからないとなれば、先の美貌もあって「学長の愛人とかそういうので、ズルして教授という席に身を置いてる」「実は幽霊とかお化けとかそういうもの」など、とにかく騒ぎたいこき下ろしたい、噂好きな人物たちの格好の餌となるわけだ。


 全く度し難いと樹は考える。

 度し難すぎて、ぜひともその舌を引っこ抜いて二度と憶測などというものを言えなくしてやろうかと過激なことを思うくらいには。


 とはいえ、自分のこの考えが異常だということも樹は理解していた。


化野あだしの! 今日の夜、合コンがあるんだけど来ないか?」


 講義が終わった後、隣に座った男子学生が声をかけてくる。髪を茶色に染めて耳たぶにピアスを開けた彼は、いかにもチャラ男といった容貌で、なにが気に入ったのかよく樹に話しかけてくる。


 たしか名前は戸倉とくら 雄也ゆうやだったかと、樹は頭の片隅から記憶を引っ張り出しつつ、高校の頃から愛用している黒のリュックサックへ教材と筆記用具をしまった。


「すまない。この後もう一つ講義があるんだ」


 少し困ったような表情を作って言えば、雄也はぽかんとした顔でこちらを見てくる。何を言っているんだという表情だったが、樹は構わずに片付けを続けた。


「講義って……今日のは全部終わってるじゃん」


「ああ」


「特別講義ってやつ?」


「そうだな。というわけで失礼するよ」


 忘れ物がないことを確認して立ち上がる樹を反射的に引き止めようと、雄也は手を伸ばす。

 そんな彼に対して、友人らしき人物たちが呆れたように声をかけた。


「来るわけないだろ、あいつが」


「そうそう。あいつ麻生教授にベッタリなんだからよ」


「物好きだよなぁ」


「麻生教授に?」


 まさかの名前だったのだろう。雄也の動きが止まる。

 樹はそれを一瞥し、これ幸いと教室の扉を開けて外へ出た。

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